見出し画像

育児のブログはモヤモヤする...

私はまだ結婚もしていないし、もちろん子供もいませんが、将来的にはそのような家庭を築いてみたいという気持ちがあるので、育児のブログをついつい読んでしまいます。そして、大体その後少し複雑な気持ちになります。

育児ブログを見て、「このブログ主は今本当に幸せなのか?」

私がたまたまそのようなものばかり目につけて読んでしまうということがあるのかもしれませんが、そのような育児ブログに書いてあることはワンオペの辛さ、夫婦間での溝、世間体の問題、何だか暗いことばかりで...「でも今は子供が大切な存在になったので幸せです」っていう感じで大体は締められていますが、たとえその気持ちが本当だとしても、「このブログ主は今本当に幸せなのか?」とモヤモヤしてしまいます。

ただ、そのようなブログで書かれていることを否定したいわけではありません。詳細ではないにせよ、育児は楽しいことばかりではないことは経験していない私でもわかります。増してや、そのような暗い現実の問題ばかりを書き綴っているからモヤモヤするのではありません。まぁ多少は嫌な気持ちになりますが、それがこのモヤモヤの一番の原因ではありません。私がモヤモヤするのはそのような問題・課題自体ではなく、それを通じて結局何も解決されていないということなのです。

問題・課題を出しておいて、その答えが全く帰ってこない育児ブログ

育児で問題・課題が生じるのは仕方のないことです。ですが、そこにおいて本来最も重要であるのは「その問題・課題を知恵を振り絞ってどう解決したか」ということです。従って、私はそのような育児での課題を、ブログ主はどのように解決したかのプロセスや結果を知りたいのです。ですが、大半の育児ブログはそのような問題・課題解決がすっぱ抜けています。まだ「しっかり解決はできてないよー」という明記があるならまだ腑に落ちるのですが、そのような記述なしに「あれが大変だ」「これが酷いと思った」ということばかりで...そのようなブログは問題・課題を提唱しておきながら感想文になっているのです。

加えて、問題・課題を解決したように見せかけているブログもあります。例えば、「夫が育児に非協力的」という問題に対し、「夫はATMだと割り切る・諦める」というものがあります。一見解決したように見えますが、これは問題・課題の根本的な論点からずれています。この場合「育児に非協力的なことに不平等を感じる」ということが論点であり、これに対して有効な手段を取らなければならないのに、この結論では「有効な手段を考えずに諦める」と言っていることと同じになります。夫婦間で真剣に話し合えば、たとえ妻の方が育児に専念するという現状が変わらないとしても、「不平等を感じる」という内面の問題はクリアになるでしょう。なのに、ここに対してアプローチがないので、話がずっと平行線なのです。

このように、そんな育児ブログを見てると、「結局どうなんよ」という感じで煮え切らない気持ちになります。さらに、育児に関する問題・課題は根本に関わるシリアスなものばかりなので、解決策がお預けされると普通の問題・課題よりも尚更モヤモヤするのです。

大半の育児ブログは共感を得ることが目的

原因としては、そもそもそのようなブログは問題・課題をどのように解決したかを書くのが目的なのではなく、「私はこんなに大変なことがあったんですよ...」という育児仲間の共感を得たいというのが目的である、ということがあると思います。確かに、SNS上のやりとりですから、自分の考えが共感されたいという気持ちがあるのは当然だと思いますし、それが一切ないのもかえって不自然です。ですが、問題・課題を提供しておいて、ずっとほったらかしというのは書き物としてはどうかと思いますし、その問題・課題を解決しないまま愚痴をこぼし続けることのどこに幸せが待っているのかがわかりません。我慢し続けるのにも限界がありますし、貴重な時間を愚痴に注ぎ続けるのは読み手としては全く面白くありません。だから記された今の幸せもとってつけたものに見えてしまうし、「このブログ主は今本当に幸せなのか?」とモヤモヤするだけなのです。

ですが、世の中には素敵な育児ブログもあります。実際に直面した問題・課題をゆっくり時間をかけて解決したことを書いて、今は身軽になって幸せなのだということがはっきりと伝わってくるものがあります。このようなものは本当に参考になりますし、無事解決したブログ主やその配偶者の努力に敬意を払いたいです。それに、読んでてとてもほっこりします。これからもそのような育児ブログは読んでいきたいと思いますし、自分もそのような文章を書けるようになりたいと思うのです。

ある程度愚痴って共感されたら次のステップへ

世の中、SNSの発達もあり、共感だけで何とかなるというイメージがだんだん強くなっていると思います。育児に関することのみならず、社会に対することも大半はその問題・課題解決にではなく愚痴に時間が費やされています。もちろん愚痴は大事です。なぜなら、ふくらむ気持ちを抑えるには、誰かにありのままを聞いてもらうことは有効であるからです。しかし、いつまでも愚痴は疲れます。愚痴を続けるというのは、目の前の問題・課題から目を逸らし続けることと同じです。そうならないためにも、根本的な問題・課題に目を逸らさないようにする習慣をつけていきたいです。結局、そのような問題・課題は早い段階から解決策を考える方が一番楽で、ストレスが少ないと考えています。「急がば回れ」とは、まさにそういうことだと思います。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?