ぼくと彼女は羅生門展へ行く

 ぼくと彼女は『羅生門展』へ行く。夏休みに入ってからのことだが、ぼくと由梨は日本近代文学館というところで開かれた展覧会『教科書のなかの文学/教室のそとの文学Ⅰ──芥川龍之介「羅生門」とその時代』へ行ってきた。これを『羅生門展』と呼ぶのはずいぶんと大胆な略し方だと思われるかもしれないが、『羅生門』にまつわる展覧会にめぐり合う機会なんてぼくの今後の人生でおそらく二度とないだろうからこれでいいのである。

 日本近代文学館は京王井の頭線の駒場東大前駅から歩いて5分ぐらい、駒場公園という広い公園の敷地内にある。駒場東大前駅のすぐ目の前には、その名の通り、東京大学駒場キャンパスがある。駅の近くに都立大学がない都立大学駅とはわけが違う。ぼくは井の頭線に乗ったことがあるし、駒場東大前駅を急行電車で通過したこともあるが、駅に降りるのはその日が初めてだった。それは由梨も同様で、ぼくらはこの日、揃って「駒場東大前童貞」と「駒場東大前処女」を捨てたのである(なんと下品な表現)。

 渋谷から井の頭線に乗って駒場東大前駅で降りる。夏休みの平日の午前であるとはいえ、やはり東大生らしきひとたちの姿が目に入る。ぼくの知り合いに東大生はいない。初めて東大生を目視して、ぼくは彼らのことを「意外と普通の学生っぽいな」と感じた。もっと、なんていうか、東大生はマッドサイエンティストみたいな風貌なのかと勝手に想像していた。ひどい偏見である。ぼくが自分の大学名を名乗るとキリスト教徒だと決めつけられるのと同レベルにひどい偏見である。このnoteを読んでいる東大生のみなさん、本当にごめんなさい。でもまあ仕方ないじゃないか。誰だってパンダを実際に見るまでは、あれが白黒模様のクマでしかないことに気付けはしない。

 思わずひとを殺めたくなるようなまぶしい太陽の光を浴びながら(ぼくはカミュが好きだ)、ぼくと由梨は駒場公園へ向かう。日本近代文学館に到着。なんだか区役所みたいな雰囲気のところだ。大学生割引はないので受付で300円×2=600円を払い(正確には1000円払って400円お釣りをもらい)、チケット代わり(?)に芥川龍之介のポストカードをもらう。展覧会場の二階に上がる。お客さんが数人だけいる。入口に置いてあった「観賞ワークシート」というのを手に取る。

教科書のなかの文学/教室のそとの文学Ⅰ
                 ──芥川龍之介「羅生門」とその時代
鑑賞ワークシート

〈第1部からの出題です〉

①「羅生門」の主人公である下人は、構想段階ではどのような名前でしたか。
                     (           )

 こういうやつである。

 春学期の期末試験を終えたばかりだというのにまた小テストみたいなのを受けなくちゃいけねえのかよ、しかも「全問正解したら記念品贈呈」とかねえのかよ、とその時は思ったが、この鑑賞ワークシートはぼくらの鑑賞に大いに役立った。由梨は(そして実はぼくも)こういうのは意外とまじめに取り組むタイプなので、展示内容を頭に入れるにはもってこいの企画だったのだ。公益財団法人日本近代文学館の職員のみなさん、素敵な企画をご用意いただきありがとうございました。悪態をついて申し訳ありません。

 ぼくはこの日、芥川龍之介の字を初めて見た。汚い字である。読めないことはないが、ぼくのサークルの同期の宮田の字と同じぐらい汚い。芥川は『羅生門』の結末の一文を少なくとも3度書き換えている。編集者のミスで改訂前のバージョンが出版されてしまったことがあったそうだが、それは「改訂後のバージョンで出版してくれ」という手紙を送った芥川の字が汚くて、編集者が文章を正しく読み取れなかったせいではないかという疑念すら抱かされる。だが、芥川はこの字によって後世に残る名作の数々を残した。『鼻』も『河童』も『トロッコ』も、芥川はこの字で書き表したのである。

 この展覧会では『羅生門』だけじゃなくて、『羅生門』に影響を与えた作品だとか、芥川の生涯についても紹介されていた。由梨から鑑賞ワークシートの問題の答えを教えてもらいつつ(ちゃんと展示パネルを読み込まないと答えが分からないやつも結構ある!)、ぼくは夏目漱石が芥川に送ったという手紙の文章を読む。

 そこには「あなたの作品は大多数には読まれないかもしれないし、スルーされるかもしれないが、そんなことは気にせず、ずんずんお進みなさい。群衆は眼中に置かないほうが身体の薬です」(趣意)と書いてあった。誰にも読まれていないnoteを書いているぼくに教えてあげたい文章である。ぼくは由梨に「『群衆は眼中に置かないほうが……』だって。さすが夏目漱石はいいこと言うね」と伝える。由梨は「『ずんずん』っていう表現がいいよね。読んだひとの気持ちが軽くなるような言葉遣い」と返してくる。うーん、ぼくが感心したのはそこじゃないんだが、そこに着目するのは由梨らしいなと思うし、ぼくはその感性は嫌いじゃない。

 この展覧会の奥の部屋には、「どんな作家もゼロから創作することはできない」ということで、『羅生門』以前の文学の歴史を辿るコーナーが設けられていた。はっきり言って、芥川とも『羅生門』とももはや関係ないコーナーである。ただ、このコーナーは個人的には興味深いものだった。ぼくは文学部とはいっても哲学科なので(個人情報自主漏洩)、文学の歴史に明るくない。このコーナーのパネルで紹介されていた二葉亭四迷のペンネームの由来や「島崎藤村は自然主義」ぐらいのことは知っていたが、仮名垣魯文という明治の作家のことは初めて知ったし、『西洋道中膝栗毛』という「現代風にいえば二次創作」の小説の存在も初めて知った。ぼくはいま、仮名垣魯文のことが気になってしょうがない。

 仮名垣魯文の隣の隣のパネルでは坪内逍遥が紹介されていた。ぼくは坪内逍遥のことはシェイクスピア作品の訳者として知っている。ぼくは大学の放送サークルで音声ドラマ(あるいは「リーディング」と呼ぶべきもの)を作っているので、そっち方面には馴染みがあるのだ。パネルの説明文を飛んだ由梨が「ほら、演劇だって」と言いながらぼくの左腕を叩く。由梨はぼくが将来プロの劇作家になると思い込んでいるので、「演劇」だとか「芝居」だとかいうワードを見かけると、親切心半分・からかい半分でぼくに教えてくるのだ。ぼくは由梨のこの過保護な態度にいつも辟易しているが、この時は「坪内逍遥? 知ってるよ。逍遥訳のシェイクスピアも読んだことあるし」と得意気にリアクションしておいた。ちなみに、ぼくが坪内逍遥のことを「逍遥」と下の名前で呼んだのはこの日が初めてである。

 さらにそのコーナーでは、若き日の夏目漱石のことも紹介されていた。芥川に「ずんずん」の手紙を送った時の漱石おじいさんになる前の、まだ若かった頃の漱石の写真が展示されてある。当たり前の話だけど、夏目漱石にも「大作家」になる前の時代があった。二葉亭四迷だとか仮名垣魯文だとか坪内逍遥だとかが文学の新しいスタイルを切り拓き、夏目漱石につながって、芥川龍之介にも影響が及んでいく。文学の歴史はつながっていないようでつながっているのだ。さっき、このコーナーのことを「芥川とも『羅生門』とももはや関係ないコーナーである」と書いたけど、あれは撤回します。関係ありました。

 その部屋にはその時、ぼくらしかお客さんがいなかった。これはただの余談だし、内容的にもひどい話なのだが、明治期の雑誌が展示されている一角で樋口一葉『にごりえ』の掲載雑誌なんかを眺めていた時、ぼくはなぜか由梨とイチャイチャしたくなってしまった。ぼくはたしかに異常者だが、日本近代文学館の展示室で性行為を始めるような系統の異常者ではない。そもそもぼくはゲイである。由梨に性的に興奮するはずがない。ただちょっとどうしてもイチャイチャ願望を抑えきれなかったので、ぼくは由梨の右肩を自分の左手でポンポンと叩いた。由梨が顔を横に向けて「何?」と言う。ぼくは「樋口一葉の『にごりえ』だって」と目の前の雑誌に指を差して誤魔化す。「読んだことある?」と由梨。「ない」とぼく。はあ。なんか最近のぼくはおかしいんだよな。暑さのせいだろうか。

 展示室の出口のところで鑑賞ワークシートの解答をもらって、答え合わせしながら、ぼくらは日本近代文学館を出る。せっかくなので駒場公園内を散歩することにする。さっそく60代ぐらいの男性とすれ違った。ぼくが由梨に「ぼくたち、あのひとに東大生だと思われただろうね」と言ったら、由梨は鼻で笑いながら「日本近代文学館に来た学生としか思われてないと思うよ」と返してきた。冷酷な現実主義者め。「でも、東大のひともこの公園に来たりはするのかな」と由梨が言う。「あー、来てそうだよね。芝生の上に座ってお酒飲んでそう……あ、東大生もお酒を飲んだりするんだろうか?」とぼくは続ける。すると、由梨は呆れたようすで「当たり前でしょ。東大のひとをなんだと思ってるの」とぼくを叱ってきた。なんだこいつ、やけに東大生の肩を持つな。東大生と浮気でもしているのか?

 このあとは渋谷でお昼ご飯を食べようということになって、駒場公園を出て駒場東大前駅に進んでいったら、午前にここに降り立った時よりも多くの東大生が視界に入ってきた。ぼくは由梨の耳元に顔を近付け、小声で「さっきより東大生増殖してるね」とささやく。由梨は「東大コンプレックスでもあるの? (ぼくの下の名前)くんの大学だって賢いでしょ」と呆れたようすで言うと、「そうだ、キャンパス散策しようよ」とぼくに提案してきた。おいおい、東大のキャンパスに勝手に侵入しちゃっていいもんなのかい。

 由梨はまるで自分が毎日ここに登校しているかのように堂々と正門から駒場キャンパスに入っていった。学生証の提示を求められたらどうしよう、東大侮辱罪で逮捕されたらどうしようと怯えつつ、ぼくは由梨についていく。東大生がウヨウヨ……ってほどでないがチラホラいたので緊張したが、中は至って普通の大学だった。「○号館」の建物が並んでいて、木が並んでいて、木の下がちょっと汚いから靴で踏みたくない感じのやつである。東大生とすれ違うのもだんだん慣れてきた。由梨が「お昼、学食で食べてく?」と言ってきたがさすがにそれはまずいと思ったので「いや……渋谷へ行こう」と断って、細い路地を通って西門からキャンパス外へ出て、結局さっき歩いた道路を歩いて駒場東大前駅へと向かう。ぼくのひと夏の冒険が終わった。

 渋谷の宮益坂方面にあるカフェでお昼ご飯を食べながら、ぼくが「さっきは東大、緊張したね」と言うと、由梨は微笑みながら「ヤレヤレ」みたいな感じで首を横に振る。ぼくが「芥川の字、汚かったね」と言うと、由梨は「(ぼくの下の名前)くんの字も汚かったよ」と言う。なんだよこいつ、反抗期かよ。「さっきの鑑賞ワークシート見せて?」と言ってきたのでリュックサックから取り出して見せてやると、由梨は「読めないよ、これ」とぼくの字をディスってきた。いや、それは机や台がないところで慌ててメモしたから汚くなっただけです。ぼくは普段は字がとてもとてもきれいなのです。

 ぼくが由梨に「じゃあ、由梨の鑑賞ワークシートも見せて?(怒)」と言って見せてもらったら、なぜか由梨の鑑賞ワークシートはきれいな字で埋まっている。ぐうの音も出ない。何らかの不正を働かせたのではないかと疑いつつも、ぼくは分かっている。ぼくの彼女は机や台がなくても文字をきれいに書けるし、東大生を前にしてもたじろがないで駒場キャンパスに堂々と入っていける。「ずんずん」という表現に意味を見出すし、ぼくが将来劇作家になると思い込んでいるし、東大の学食で食べていかないかと気軽に提案してくる。そういう女性だ(どういう女性だ?)。

 「ねえ、由梨さん。いまだから言うけど、あの樋口一葉の雑誌見てた時、ぼく、由梨とイチャイチャしたくなってた」とぼくは唐突に告白する。「でも我慢した」と付け加える。それを聞いた由梨は最初、なに言ってんだこいつという目つきでぼくを見ていたが、首を縦に振りながら「我慢して偉かったね」と言ってきた。なんだか馬鹿にされている気がしたが、まあいい。「そういえば、坪内逍遥……逍遥がさ……」と、ぼくは『羅生門展』の展示内容の話に再び戻る。由梨も「芥川龍之介は叔父さんの養子になったって書いてあったけど……」とかなんとか、思ったことや感じたことを言ってくる。こういう風にこういう中身の話ができるから、ぼくは由梨と付き合っていて楽しい。ぼくらのデートはだいたいいつもこんな感じだ。

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