ぼくと彼女は帰って来た橋本治展へ行く

 ぼくと彼女は『帰って来た橋本治展』へ行く。もはや一昔前(?)の話のように思えるが、ぼくと彼女は『帰って来た橋本治展』へ行ってきた。神奈川近代文学館というところでやっていた展覧会である。

 『帰って来た橋本治展』へ行こうと提案したのは由梨のほうだ。『帰って来た橋本治展』へ行くまで、ぼくは橋本治という作家を知らなかった。文学部は文学部でもぼくは文学部哲学科の学生なのである。いや、橋本治は哲学関係の本も書いていたそうですけどね。名前ぐらいは聞いたことがあったかどうか……聞いたことがあったかどうかすら記憶にないということは、やっぱりぼくは橋本治の名前を聞いたことすらなかったのだろう。橋本治ファンのみなさんすみません。

 だから、ぼくは橋本治というひとは存命中のひとだと勝手に思い込んでいて、石川町駅へ向かう京浜東北線(大船方面)の車内の中で「橋本治っていま何歳ぐらいのひとなの?」と由梨に尋ねたぐらいだった。しかも、橋本治というひとは漫画家だと勝手に思い込んでいて、「でも漫画家の展覧会を文学館でやるなんて珍しいよね。神奈川近代文学館も集客目当てでカジュアル路線に舵を切ったか」と由梨にドヤ顔で話したぐらいだった。

 直後、由梨から「橋本治さんはすでに亡くなっている」「橋本治さんは漫画家ではなく小説や評論を書いていた作家である(初期はイラストレーターとしても活動していたけど)」という衝撃の事実を教えられ、ぼくはこれから向かう『帰って来た橋本治展』に急激に興味を持った。『帰って来た橋本治展』の『帰って来た』ってそういう意味(物故者を回顧する的な意味)だったのか。不謹慎に思われるかもしれないが、ぼくは死んでいる小説家が好きだ。たまたま読んでみた小説が面白かった時、その小説の著者が故人だと判明するとうれしくなる。小林秀雄が「死んだ人ははっきりしてくる」と言っていたような話かもしれない。

 JR石川町駅到着。ぼくが世界一お洒落な商店街だと思っている横浜元町ショッピングストリートを通過し、高所恐怖症患者にはちとつらい港の見える丘公園を通って、県立神奈川近代文学館へ。入口の手前のところに今回は『帰って来た橋本治展』の看板が掲示されています。

神奈川近代文学館の入口の手前のところ

 館内に入るといつもよりだいぶ混んでいる。「いつも」といっても、ぼくらは(少なくともぼくは)しょっちゅうここに来ているわけではないんですけどね。ぼくが知らないだけで、橋本治には昔から根強いファンがいるんだろうなあ。受付で職員さんに学生証を見せて、ぼくが入場料2人分700円をまとめて支払う。もちろん、由梨からはあとで350円を受け取りました。

 特別展の展示室へ。ごあいさつのパネルのところに「橋本治は同性愛をテーマにして小説を書きました」的なことが書いてあったので、ゲイであることを隠して女性と付き合っているぼくとしては一瞬身構えたが、ここで動揺を露わにするわけにはいけない。隣の展示物にさりげなく視線を移すことにする。まずは橋本治の少年時代や学生時代を紹介するコーナーだ。

 橋本治の実家はアイス卸店だったらしい。橋本治は一浪して東京大学に進学したらしい。「高3になったら同級生たちが急に『受験生』という画一的なキャラに変わってしまったので切なくなった」というような橋本治の言葉が紹介されていて親近感を覚える。橋本治は高校時代にオードリー・ヘプバーン主演のミュージカル映画『マイ・フェア・レディ』のポスターを見てイラストレーターを志したらしい。大学進学後は歌舞伎にハマったらしい。歌舞伎座にもよく通っていたらしい。

 ……あのさあ。なんかぼくとキャラ被ってません? いや、ぼくの実家はアイス卸店じゃないし、ぼくは東大生でもないが、高校生の頃からミュージカル映画が好きだし、大学に入ってからは歌舞伎にハマった(歌舞伎座に通っているというほどではないが)。っていうかさあ、入口のごあいさつのパネルに書かれてあった「同性愛をテーマにした小説を書きました」っていうアレ。ぼくは橋本治の性的指向を知らないし、他人の(ましてや故人の)性的指向について推測するのも下衆の極みだと思うが、ぼくのゲイセンサーはビビッときたぞ。だいたい、『マイ・フェア・レディ』のポスターに心ときめく男は十中八九ゲイだと相場が決まっているのである。

 ……そんなのは悪質な偏見にすぎないし、世の中にはミュージカル好きのノンケだっています(いるはずです)、と注釈を入れたところで、ぼくらは神奈川近代文学館の展示室内を進みます。橋本治は東大生の時、駒場祭のポスターを描いてメディアの注目を浴びたらしい。だから、橋本治は小説家・評論家として人気を得る前に、大学2年生の時点でイラストレーターとして有名人だったというわけだ。一方、ぼくは大学4年生になっても世間的には無名である。嫉妬心を覚えるというか、ちょいと気が焦る。

 一つ目の展示室の中でぼくが面白いと思ったのは、「幻の『明解世界史年表』」コーナーだ。橋本治は世界史の解説本を書いていたそうだが、そこに載せる年表に信憑性を持たせるための「二次資料」として、デタラメの絵画や資料を制作していたらしい。もちろんこれは橋本治のジョークであり、ニセ資料の隣では「決して受験勉強の役になんか立たないからうれしいぞ!」という橋本治の言葉が紹介されていた。ここで「うれしいぞ!」という言葉を使うところがいいよな。「だまされるな!」とか「見ても時間の無駄だぞ!」じゃなくて。ただ、この「幻の『明解世界史年表』」コーナーを見た由梨がぼくに向かって「(ぼくと橋本治は)やっていることが似ている」と言ってきたけど、それは違うと思う。ぼくと橋本治は作風(芸風?)が根本的に異なる(と思う)。

 展示室には橋本治のワープロも置いてあった。ただ、橋本治は「ワープロで書くと文章が攻撃的になるから小説に向かない」と言って、結局、ワープロは使わずに手書きで原稿を書くようになったという。ぼくは「原稿」をWordでしか書いたことがないので(中学1年の春に大学ノートに書いた戯曲を除く)、「ワープロで書くと文章が攻撃的になる」という感覚はよく分からない。というか、いまの時代にあっては手書きの原稿なんて周りの迷惑になるだけだ。ただ、手書きの原稿を書くことがふつうの時代があって、ワープロ原稿が当たり前の時代になっても橋本治は手書きの原稿が許される人気作家だったんだな、ということは分かった。

 「橋本治が敬愛する作家」のコーナーでは、久生十蘭、池波正太郎、有吉佐和子の3人が取り上げられていた(すごいだろ! ぼくの記憶力)。これまたお恥ずかしい限りですが、この日この展覧会に来るまで、ぼくは久生十蘭についてはその存在自体を知らなかったんですよね。橋本治は久生十蘭にかなり影響を受けたそうで、「自分の中から影響を追い払うのにかなりの苦労をした」と言っていたそうだ。逆に、ぼくがそこまで影響を受けた作家って誰だろうなあ。ぼくが中学生の時によく読んでいた作家は筒井康隆だが、劇作家としてのぼくの作風に影響を与えているとは思えないなあ。

 橋本治の書斎を再現したコーナーでは、色々展示されてあったが、ぼくは映画のビデオテープが並べられている棚をチェックした。ぼくは映画が好きなのである(ここも橋本治とキャラが被っている)。昔の時代劇のVHSが多くていまいちピンとこなかったが、その中に『ナック』と『ザッツ・エンタテインメント』のVHSが紛れてあったのにはゾクッとした。というのも、ぼくはどちらの映画も大好きだからだ。『ナック』は観る手段がなかったのでブックオフで中古DVDを買うほど気になっていた映画だし、『ザッツ・エンタテインメント』シリーズについてはこの世の芸術のすべてを凝縮した映画だと信じている。

 いかんいかん。『帰って来た橋本治展』の話をしていたはずが、愚にもつかない自分語りになってしまった。神奈川近代文学館へ意識を戻します。橋本治が書いた小説を紹介するコーナーでは、代表作(とされる)『桃尻娘』シリーズが詳しく解説されていた。『桃尻娘』のラストには港の見える丘公園が出てくるらしい。港の見える丘公園ってそんな昔からあったんだな。っていうか、横浜のこの地域と縁もゆかりもあったからこそ、神奈川近代文学館で『橋本治展』が開催されることになったんだな。

 『桃尻娘』シリーズでは男子2人の同性愛も描かれているそうだ。今回の展覧会では別にそこが詳しく解説されていたわけではなかったが、ぼくは、橋本治はきっとその同性愛のあれこれを嘲笑的な文脈ではなく青春ドラマの要素として描いたんだろうなと推察した。『桃尻娘』作中年表を見ながら、なんとなく、「ゲイだってただのふつうの人間なんです」と読者に示したがっているような姿勢を感じたのだ。いや、小説を読んでいないんで実際のところは分からないんですけどね。

 橋本治はオリジナルの小説を書いていただけではなく、古典文学の現代語訳や翻案も書いていたらしい。ますますぼくとキャラが被る。というのも、ぼくも少し前から『源氏物語』の光源氏退場後の「薫パート」だけ現代語訳してみようと考えているからだ。と思ったら、橋本治はもうとっくの昔に『源氏物語』を現代語訳してやんの。全巻通しで現代語訳してやんの。なあんだ。もうやられちゃってんじゃん。ただ、「うち7割は原典にない創作」という解説が書かれてあって、だったらぼくが『源氏物語』の「薫パート」を現代語訳するのも価値がないわけじゃないんじゃないかと、ぼくは決意を新たにした次第です。

 それから「評論」。この記事の最初から何度も触れている気がするけど、橋本治は評論も書いていた。幅が広すぎだろう、橋本治。子どものための数学の本も書いていたし、宗教について考える本も書いていたし、『「三島由紀夫」とはなにものだったのか』という本も書いていた。橋本治は最初は三島由紀夫の「自己完結」の姿勢が嫌いだったそうだが、評論を書くうちにだんだん好きになっていったという。ここらへんもぼくとキャラが被る。

 次の展示室(最後の展示フロア)へ移り、ぼくらは橋本治が編んだニットやセーターを眺める。由梨は「すごい、見てこれ! 模様が二色で編み込まれてる」などとはしゃいでいたが、ぼくは内心それどころじゃなかった。ぼくは橋本治の天才ぶりに打ちのめされていたのだ。ふつうのゲイの男子が出てくる小説に、『源氏物語』の現代語訳に、歌舞伎指南に、ミュージカル解説に、三島由紀夫論に、『寒山拾得』の評論に……って、なんていうか、ぼくの興味がある分野、ぼくだったら独自の個性を発揮できそうだなって思っていた方向の仕事を全部やっちゃってるじゃん。しかも、ぼくには絶対できっこない「イラストレーション」や「ニットの編み物」や「数学の解説」までやっちゃってる。ぼくにはもう付け入る隙がありません。

 神奈川近代文学館を出たあと、元町ショッピングストリートのカフェでチーズケーキを食べながらぼくが由梨にそんな話をすると、由梨は「またそうやって他人と比べるのよくないよ。同じテーマに興味があっても物の見方はひとそれぞれだよ。歌舞伎とか落語だって同じ演目でもやるひとによって全然違うものになるんでしょ?」と諭してきた。ぼくは「さっき『幻の明解世界史年表』コーナーでぼくと橋本治が似てるって言ったのはそっちだろ」とツッコみかけたが、由梨の言っていることは正しいので反論しないでおく。励ましの言葉に反論してもしょうがないしね。

 それに、実際のところ、ぼくと橋本治は共通点よりも相違点のほうが多いのだ。橋本治は『枕草子』を現代語訳したが、エドガー・アラン・ポーの「デュパンもの」(探偵のオーギュスト・デュパンが主人公の短編)は日本語訳していない。『四谷怪談』は翻案したが、『番町皿屋敷』は翻案していない。三島由紀夫論は書いたが、カミュ論は書いていない。由梨の言葉を借りれば、ぼくと橋本治は「物の見方が違う」以前に、そもそも同じテーマに興味を持ってきたとは言い切れないのだ。

 ただ、ぼくはあえて橋本治の著作を「読まない」ようにしたいと思う。『帰って来た橋本治展』の「橋本治が敬愛する作家」コーナーで紹介されていた「久生十蘭の影響を追い払うのに苦労した」という言葉に倣うわけじゃないけど、いまのぼくが橋本治の著作を読んだら、ぼくの創作活動はだいぶ影響を受けて引っ張られてしまう気がするからだ。

 ……もっとも、「小説でなければよかろう」ということで、『勉強ができなくても恥ずかしくない』とか『古典を読んでみましょう』などのちくまプリマー新書の本は図書館で借りてきて読んじゃってるんですけどね。ありもしない映画について語っている『嘘つき映画館 シネマほらセット』という本がこれまた面白くて……って、いえいえ、ぼくは橋本治なんて知りません。影響なんて受けてません。ただ、このタイミングで神奈川近代文学館の『帰って来た橋本治展』へ行ったことはとってもよかったなと思っています。

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