ぼくは後輩の男子とデートする

 秋学期が始まった。夏休みなんてあっという間である。とはいえ、今年の夏休みはそれなりには充実していたかな。サークルの合宿があったし、歌舞伎座に行ったし、古代メキシコ展にも行ったし、東大駒場キャンパスに侵入したし、高校時代の友達に会ったし、地元の友達とも遊んだし、サークルの発表会があったし……うーん、これってリア充でしょう? この夏にぼくの相手をしてくれたみんな、この場を借りて感謝申し上げます。

 ただ、この夏休み、ぼくの胸に刻まれた最大の想い出は別のことである。いま上に書いたイベントとは別のことである。ぼくはあの日のことを一生忘れないだろう。8月のある曇りのち晴れの日、ぼくはサークルの後輩の深田健也とデートした。今年の春にぼくの目の前に突然現れた、あの爽やかで高身長なイケメン男子とデートしたのだ。

 もっともそれは、放送サークルの渉外副部長であるぼくが一年生の後輩を連れて他大学の番組発表会へ行くことを「デート」と呼ぶことが許されるのならば、の話である。でも、休日に二人きりでお出かけして電車に乗って見つめ合っているんだから、これは立派な「デート」と呼ぶべきだろう。深田的にはそんなつもりは一切なかっただろうが、ぼくにとってはれっきとしたデート、デート、デートだったのである!

 他大学の発表会への引率係は、渉外部長の浅野(三年女子)、渉外副部長のぼく(三年男子)と佐々木(二年女子)が分担して行っている。夏休み期間には複数の放送サークルが発表会を開催するとのことで(うちのサークルもそのうちの一つだったのだが)、8月半ばに開催される某大学(ここでは仮にK大学としよう)の放送研究会の発表会の引率の役目がぼくに割り当てられた。ぼくはそこの渉外部長の中井さんと仲が良いのだ。ただ、ただでさえうちの部員は他大の発表会への参加率が低いのに、この度は夏休みの真っただ中である。最悪、ぼく一人で行くことになるだろうなと覚悟していた。

 ところがである。ぼくのもとに、深田(一年男子)から「参加します」との通知が届いたのである。その時のぼくの驚きは一言では言い表せない。深田は春学期には他大学の発表会に一度も参加したことがなかった。ぼく的には「深田は発表会とか行かないタイプなんだろうなあ」と決めつけていた。それなのに「参加します」。しかも、このままいくと、その発表会へはぼくと深田の二人で参加することになりそうだ。ふたり。ふたりきり。ゴクリ(唾を飲み込む音)。ぼくは渉外をやってきてよかった。この日のためにぼくは渉外をやっていたのだな。一年半前の部会でぼくを唐突に渉外に指名した慶作先輩にいまは心から感謝したい。

 その後に他の部員から参加連絡は来ず、ぼくは本当に深田と二人きりでK大学放送研究会の番組発表会へ行くことになった。人生、生きていればこういう幸運もあります。あと、ぼくの名誉のために明記しておきますが、これはフィクションではなく実話です。ノンフィクションの現地ルポです。はあ、すごいことが現実に起きた……

 発表会当日。朝から灰色の雲が広がっていたので、ぼくは念のためリュックサックに折り畳み傘を入れて出かけた。普段の遅刻癖をこの日ばかりは克服し、集合時間5分前に集合場所(K大学の最寄駅の改札前)に到着。すでに深田は到着していて、透明のビニール傘を片手にぼくを待っていた。ああ、もう大好き。大好きすぎる。休日の深田の私服最高。いつもと変わらないけど最高。「遅れてごめん!」とぼくが告げると、深田は「いえ、まだ集合時間の前ですから」と爽やかに微笑む。「じゃあ行くか」。深田はサークルの合宿には参加しなかったから、ぼくが深田と会うのは結構久しぶりだ。やっぱり深田はかっこいいな。ぼくは超絶ドキドキしながら、前にも訪れたことがあるK大学のキャンパスへと歩きだす。

 ぼくと深田が並び合って、街中を一緒に歩いている。はあ、マジか。幸せすぎる。本当はここで手をつなぎたいところだが、そんなことをしたらぼくはセクハラで告訴されて退学処分になりかねないので我慢。ぼくは内心、深田が「(ぼくの下の名前)さん、発表会行くのやめて二人でどこか遊びに行きませんか?」と言い出すのを期待していた。この夏休みの最中にぼくが引率する発表会訪問に参加するということは、もしかしたら深田のお目当てはぼく自体なんじゃないかと0.0001%ぐらいは期待していたのだ。だが、K大学までの道中でぼくが深田から聞いた話によると、深田は自宅から近いのでこの発表会に行くことにした、9月に開かれるうちのサークルの発表会の前に他大学の発表会を見ておこうと思ったということだった。

 深田はうちのサークルで技術部門に所属し、ミキサー(機材の操作係)を務めている。6月に開かれた内部発表会では大トリ作品のミキサーを務め、技術部門の新たなエースと目された(その時の話は「ぼくをアイスを差し入れする」という記事に書いた)。外部のお客さんを入れて開催される9月の発表会でも、もちろんミキサーを担当することになっていた(というかこの記事を書いている時点ですでに無事に務めを果たした)。深田は勉強熱心なやつだなあ。ぼくは改めて深田を好きになった。

 深田と二人きりの時間を過ごしているという事実に胸躍らさせながら、K大学のホールに到着。渉外部長の中井さんが受付を務めていたので、ぼくは蒲田で買った差し入れのお菓子を渡す(このお菓子代は経費で落ちません)(ぼくの自腹です)。その時、中井さんに「一年の深田です」と深田を紹介した。それは別にいいのだが、その時にぼくは「かっこいいでしょ!」という一言を付け加えてしまった。一瞬、場が凍る。2秒後、中井さんは「……あ、うん。イケメンさん!」とリアクションし、深田は顔を少し赤らめて苦笑いしていた。ヤバい。これじゃまるで年下彼氏を知り合いに自慢するイタいやつみたいじゃないか。あー、ぼくこそ恥ずかしい。

 会場に入って席に座る。舞台上に「協賛」として実在の有名企業の名前が書かれた看板が掲げられている。深田が「あれって、本当に協賛を受けてるんですかね?」と聞いてくる。ぼくは「いや、嘘だと思うよ。ネタじゃないかな、ジョークっていうか」と答える。本当のところは分からないが、まあ、パロディみたいなもんだろう。スナック菓子のメーカーが放送サークルの番組発表会を協賛する意味とかないし。

 発表会が始まった。MVだとか映像バラエティだとか音声ドラマだとかを鑑賞しながらも、ぼくは隣にいる深田のことをずっと意識している。深田、楽しんでるかな。深田、退屈してないかな。深田、ぼくの隣で落ち着けてるかな。はあ、こんなに集中できない番組発表会はぼく史上初めてだ。一年以上前に彼女と付き合うようになってからぼくは「映画は一人で観たい病」を克服したと思っていたが、まさかこんな風にして持病がぶり返すとは思わなかった。ぼくは隣の深田に全神経を吸い取られている。発表会中の場内は暗いから深田の表情はハッキリとは見えないんだけど。

 休憩時間になって、ぼくは深田の顔を見る。楽しんでいるのか退屈しているのか微妙な表情だ。「どう? 初めての他大の番組発表会は」とぼくは尋ねる。深田は「こんな感じなんですね。うちよりカメラやプロジェクターの性能がいい気がします」と語り始める。さすが技術部門。ぼくも「K大学の映像はうちよりきれいだな」ぐらいのことは思っていたが、そうか、カメラとプロジェクターの違いなんだな。

 あと、ぼくが思っていた以上に深田はよくしゃべる。向こうのほうからもしゃべりかけてくる。ぼくは最初、深田はもっとコミュ障気味な人間かと思っていた。たぶんだけど、深田は打ち解けた相手とはベラベラしゃべるタイプなんだろう。知らないひとの前では人見知りになるみたいだけど(休憩時間に一緒にトイレに行った帰り、ぼくが他大学の渉外の殿岡くんと立ち話をしていた時、深田はぼくの後ろに隠れるようにしていた)(深田はぼくより身長が10cm近く高いので隠れようがないのだが)。

 休憩時間中、夏休みをどう過ごしているかという話になって、ぼくは深田がプールの監視員のバイトをしていることを知った。えっと、めちゃくちゃ見に行きたいんですけど。溺れたふりして人工呼吸とかしてもらいたいんですけど(不謹慎)。これ以上深田のプール監視員姿を想像したら鼻血が出かねない……と思っていたところで、発表会第二部の幕開けを告げるアナウンスが流れた。ふう、助かった。ごめんね、深田。深田はぼくに彼女がいると知っているからぼくを警戒しないでくれているのかもしれないけど、実はぼくは深田のことをずっと性的な目で見ている。深田がプール監視員のバイトをしているという事実だけでぼくはご飯を三杯食べられる。

 後半の部も終わり(ぼく的には後半のMVがいちばんよかった)、ぼくと深田は会場を出る。受付のところで再び渉外部長の中井さんに挨拶して、K大学の外へ出た。晴れている。雨が降らないでよかった。大学と駅とのあいだの街並みを歩く。ああ、幸せすぎる。これはれっきとしたデートだ。逆にこれをデートと言わずして何と言う? ぼくはいま、ぼくの好きなひとと馴染みのない土地を並んで歩き、時々目を合わせながら笑い合っている。これをデートと言わずして何と言う?

 そろそろ駅に着こうかという時、深田が「あ」と声を出した。「ん? どうした?」とぼくは尋ねる。「……傘、忘れてきました」。言われてみれば、K大学へ向かう時には持っていたはずのビニール傘を、いまの深田は持っていない。「あっ、中井さんに連絡してみる!」とぼくは応じ、さっそく中井さんにLINEで「お疲れさまでした! とても面白かったです!」「ところで、うちの後輩が傘(透明のビニール傘)を会場に忘れたみたいなんだけど、置いてあったりする……?」とメッセージを送った。

 深田が申し訳なさそうな表情で「すみません……」と言ってくる。いつもの爽やかな笑顔ではなく、少し顔が引きつっている。こんな深田の顔は見たくないよと思っていると、すぐに中井さんから返信が届いた。「もう部室棟のほうへ誰かが持っていっちゃったみたい! 探してみます」。ぼくはその返信の内容を深田に伝える。深田は「……それなら探してもらわないで大丈夫です。すみません」と口では言っているが、確実にさっきよりテンションが下がっている。ああ、どうしよう。

 ぼくはここの駅前にドン・キホーテがあることを思い出し、「そこのドン・キホーテ行こうか。傘あると思うから!」と深田に提案する。「いや、大丈夫です」と言っている深田を半ば強制的に誘導する形でドン・キホーテへ入る。深田がさっそくビニール傘のコーナーを見つけた(有能)。白いビニール傘と黒いビニール傘があったが、深田は白いビニール傘を手に取った。ぼくは「それでいいの? 他の傘も見ようか」と言うと、2階の傘コーナーへ向かうべく「ほらほら」と言いながら深田の背中を押して階段を上らせる。ああ、深田に触っちゃった! 深田の背中は広くてあったかくて、ちょっと柔らかかった(ぼくがやったことってセクハラにあたるでしょうか?)。

 二人で並んで、色付きだったり柄物だったりする傘を眺める。やっぱりちゃんとした傘は1000円はするんだな。深田は「これにします」と言うと、手に持っている白いビニール傘を小さく掲げた。ぼくは「お金なら払うよ? 好きなの選びなよ!」と言ったが、深田は「いや、これで……」と譲らない。二人で階段を下りてレジに並ぶ。ぼくは店員さんに呼ばれたタイミングで深田を先回りし、Suica(モバイルでない定期券)を取り出して「Suicaで!」と告げる。深田が「え?」と驚いているのを横目に、ぼくは自分のSuicaで支払いを済ませた。ビニール傘を受け取ってドン・キホーテを出る。「はい、どうぞ」と言って深田にビニール傘を渡す。深田はぼくの目を見つめて「いいんですか?」と言ってきた。さっきよりちょっとテンションが上がっている。資本主義社会において金の力は偉大だ。ぼくは「(深田が傘を)忘れたことに気付かなかったぼくの責任だから」と深田に告げる。二人で並んで駅のほうへ歩きだす。深田は「ありがとうございます」と言うと、受け取ったビニール傘をしばらく眺めていた。

 駅前のジョナサンを指さして「ご飯食べてく?」と誘ったが、深田が「いや、家(実家)で用意してあると思うんで大丈夫です」と言うのでお食事デートはあきらめて、ぼくらはそのまま駅に入った。ぼくらは途中駅までは一緒だ。同じ電車に乗る。車内の座席はほぼすべて埋まっていたので、ぼくらはドアの前に立って向かい合う。「今日の番発どうだった?」「うちと違うところも多くて刺激を受けました」「『あまちゃん』のアンコール放送見てる?」「『あまちゃん』って何ですか?」などと話しながらも、ぼくは深田が先に降りる駅が近付いてきていることを意識している。ああ、ちょっとした故障で電車止まってくれないかな(不謹慎)。ぼくはもっと深田と会話したい。二人の時間を過ごしたい。深田と別れたくない。

 深田が降りる駅に着く。深田が「じゃあ、自分はここで……傘、ありがとうございました」と言って、微笑みながら電車を降りていく。ぼくは「うん、またね!」と別れの挨拶を告げる。深田の背中を見つめる。振り返ってくれないかな、振り返ってくれと念を送ったが、深田は振り返ることのないまま改札方面の階段へ向かっていった。はあ。ぼくのデートが終わった。

 次の日は、彼女の由梨と午後から会うことになっている日だった。ぼくは集合時間を3分過ぎて集合場所(JR横浜駅みどりの窓口前)に到着する。由梨を見つけて「ごめん! お待たせ」と声をかけた時には何とも思わなかったが、横浜の街を一緒に並んで歩きながら、ぼくは昨日のことを思い出して罪悪感を覚えた。昨日の深田とのあれがデートなのだしたら、ぼくは立派に浮気をしていることになるのではないか。由梨を裏切っていることになるのではないか。ぼくは由梨と話しながら、由梨の顔を見つめる。相変わらずきれいな顔だ。ぼくに見られていることに気付いた由梨が「なに?」と聞いてくる。ぼくは「……なんでもない。かわいいなと思って」と誤魔化す。由梨は少し照れつつ「今さら?」と返してくる。うん。やっぱりぼくにとって由梨は大切なひとだ。由梨を捨てて深田に走るなんて真似はできない。

 ぼくはしっかり分かっている。深田はほぼ100%の確率でノンケだし、この恋愛感情的な感情はぼくの一方通行だ。変な話だが、K大学放送研究会の発表会を舞台にしたこの前の「デート」でそれを実感してしまった。深田はぼくのことを「先輩」としか思っていない。ぼくはそのことを二人で半日を過ごして察したし、深田の背中に触れた時に確信した。オカルトじみた話だし、馬鹿な話だと笑われるだろうが、ぼくの中のゲイセンサーが「こいつはノンケだ」「お前に恋することはない」とぼくに教えてきたのだ。非常に冷静に、まるで裁判官が判決でも言い渡すかのように。

 だけど、とぼくは思う。こんなことを書いたらnoteをお読みのみなさんに嫌われるだろうけど、ぼくは由梨のことが大切だが、でもやっぱり深田のことが好きだ。ぼくは高校生の時に違うクラスの須川くんに恋をして、ノンケを好きになることの愚かさを知った。ノンケを好きになってはいけないと学んだ。でも、ぼくの理性を上回る熱量でぼくの感情は深田に傾倒している。正直に言っていい? ぼくはいま、自分でもどうすればいいのか分からない。この現実とどう向き合えばいいのか分からない。ぼくは由梨のことがどんどん大切になっていっていると同時に、深田のことをどんどん好きになっていってる。たぶんぼくはいま世界でいちばん不埒なゲイだと思う。

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