ぼくと彼女は古代メキシコ展へ行く

 ぼくと彼女は古代メキシコ展へ行く。正確には特別展「古代メキシコ」である。先週から秋学期が始まって大学生の平常モードに入ってしまったのでもう何か月も前の話のような気がするが、夏休み期間中、ぼくは由梨に連れられ、上野の東京国立博物館でやっていたこれに行ってきた。

 古代メキシコ展行きは当然ながら由梨の提案である。ぼくは古代メキシコには何の興味もない。どれぐらい興味がないかというと、「ぼくは古代メキシコに興味がない」という話を書くのも面倒なくらい興味がない。すれ違うひと全員から「上野の東京国立博物館で古代メキシコ展やってるよ!」「古代メキシコはいいぞ!」と古代メキシコプロパガンダを仕掛けられても、ぼくは古代メキシコに1mmも興味を持たない自信がある(というかそんな風にゴリ押しされたら逆に嫌いになる)。

 念のため言っておくけど、人間が古代メキシコに興味を持つことをぼくは問題だと言っているわけじゃない。誰が何に興味を持とうとそれは自由だし(犯罪系等を除く)、古代メキシコに興味を持つことはそれはそれでとても素晴らしいと思う。だからぼくは、子どもの頃に読んだ名探偵コナンの学習漫画がきっかけで古代メキシコに興味を持ったという由梨に対しても「それはそれで素晴らしいね」と思って、古代メキシコ展へ行きたがる彼女にとりあえずついていくことにしたのである。実際に行ってみたらぼくだって古代メキシコにハマるかもしれないし。

 当日。京浜東北線蒲田駅のホームで待ち合わせ、一緒に電車に乗って上野駅へ行く。雑談しながら上野駅に到着。公園口改札を出る。なんか普段より混んでいる気がする。夏休みだからか。歩いて国立博物館へ向かう。暑い。国立博物館前のところで信号待ち。暑い。日差しヤバい。そして、国立博物館にめちゃくちゃひとが押し寄せているのが見て分かる。信号が青になる。横断歩道を渡る。国立博物館前にできている列に並ぶ。「混んでるね」「夏休みだからかな」「あの男の子のリュックサック、上のほうがちゃんと閉まってない。教えてあげようか?」「やめたほうがいいと思う」などと会話を交わしながら、入場チケットの二次元コードを掲げ、ぼくらは国立博物館へ合法侵入する。館内の庭園みたいなところを歩いて「平成館」という施設へ向かう。暑い。

 「平成館」突入。涼しい。100円入れなきゃいけないけどあとでその100円が返ってくるロッカーに荷物を預け、ぼくらはいよいよ古代メキシコ展の展示ブースへ。混んでいる。とにかく混んでいる。混みようがハンパない。ぼくと由梨はこれまでたくさん美術展や展覧会に行っていて、混雑するやつにもだいぶ参戦してきたが、このレベルの人混みは初かもしれない。

 ぼくはいつものように古代メキシコ展でも写真をパシャパシャ撮るつもりでいたが、場内があまりにも混んでいて落ち着いて撮れる雰囲気じゃなかったので、特に気になる展示品だけを撮るスタイルに路線変更した。まあ、それでも何枚か(十何枚か)(何十枚か)は撮ったので、少しご紹介します。だいたいどれもブレていますが、それは慌てて撮らなくちゃいけなかったせいと、ぼくのAndroidの性能が悪いせいです。由梨がiPhoneで撮った写真を転送してもらう手もあるけど、「古代メキシコ展の写真送って」なんて頼んだら「どうして今さら?」と聞かれて面倒なことになりそうなので、由梨に内緒でこのnoteをやっているぼくとしてはあきらめます。

 それではさっそく古代メキシコ展へGO!

ブレブレすぎてもはや何を撮ったのか不明
由梨が興奮していたやつ①
古代メキシコ展っぽいオブジェ?
元茶道部員としては妙に気になる皿
パアッ!って両手を開いているみたいでかわいい
人だかりがヤバくてモザイク処理が追い付かないので鳥だけトリミングしました(画質地獄)
人形焼にいそうな土偶

 さて、この土偶のエリアあたりから場内の人間が少なくなっていく。といっても、神隠しが起きているわけではない(はず)。美術展や展覧会の常として、展示会場の前半エリアは混んでいても、後半エリアはなぜか空いているのだ。これはぼくが思うに、来場者の集中力が徐々に落ちていくせいだと思う。最初のほうは展示物をじっくり鑑賞していたひとたちも、しばらくすると「ああこの展覧会はこんな感じね」と理解して、集中力も落ちていって、次第に鑑賞ペースが速まっていく。だからどこの美術展や展示会でも、「展示会場の入口側は混んでいるけど出口側は空いている」という現象が発生するのではないか。

 しかし、ぼくは判官びいきかつ天邪鬼なタイプの人間なので、むしろ展覧会場後半エリアの展示物に肩入れする。実際、人だかりができていない展示物のほうがしっかり鑑賞しやすいしね。というわけで、古代メキシコ展後半エリアの展示物の写真をどうぞ。といっても古代メキシコ展はそもそもが大混雑なので後半エリアでも混雑緩和現象はそれほど起きていなかったし、写真は相変わらずブレブレです。

ウエハースではない
目力強めの口半開き
ディズニーランドの魅惑のチキルームにありそう
赤の女王のお葬式へようこそ
任天堂のキャラにいそう
鳥人間(鷲の戦士像)
出口パネルの写真を撮るまでが古代メキシコ展です

 とまあ、お察しの通り、なんだかんだでぼくはそれなりに古代メキシコ展を楽しんだ(古代メキシコに興味を持つまでには至らなかったけど)。それにしてもどうして会場はあんなに混んでいたのだろうか? ぼくみたいな人間がおかしいのであって、由梨のように古代メキシコに興味がある人間こそが世間では多数派なのだろうか?

 『恐竜博』に行った時のぼくほどではなかったが、会場内で由梨はずっとテンション高めだった。ああ本当に由梨は古代メキシコが好きなんだな、というのが伝わってきた。それに由梨は歴史方面もかなり詳しい。ぼくらは音声ガイド(上白石萌音&杉田智和)を借りなかったが、ぼくは自分の隣のリアル音声ガイド(小声)のおかげで不便しなかった。まあ、専門家ってほどじゃないけどさ。でも、由梨がマヤ文明の生贄がどうの人身供養がどうのと解説してくれなかったら、ぼくはこの古代メキシコ展をただの「石と陶器の美術展」としか感じなかったと思う。いまからでもぼくは由梨に音声ガイド代650円を支払うべきなのかもしれない。

 グッズショップでは、由梨は図録とかポーチとかキーホルダーとかバッグ入りのお菓子とか、色々な商品を手に取っていた。憧れの古代メキシコグッズを目の当たりにして完全に金銭感覚がバカになっている。いつもは由梨がぼくの無駄遣いを叱る立場だが、今日に限ってはぼくが注意してあげたほうがいいのかもしれない。でも、由梨が古代メキシコ好きなのは分かっていたし、もしかしたら由梨はこの日のためにバイトのシフトを増やしたのかもしれなかったから、注意する代わりにぼくは「そんなに買って大丈夫? お金足りなかったら払うよ」と言った。すると、由梨は「(ぼくの下の名前)くんお金ないでしょ?」と返してきた。う。事実なので反論しようがない。ぼくは「よくご存じで……」と言うと、自分も記念に何か一つだけ買おうかなと思って、さっき上にトリミング写真(画質地獄)を載せた鳥のポストカードを手に取った(今回の展示物の中でぼくはあれがいちばん好き)。

 100円ロッカーから荷物を取り戻して、同じ国立博物館で開催中の「日本の考古・特別展」だとか常設展だとかも見た(どっちも古代メキシコ展のチケットに観覧料が含まれている)。そのあと上野のいつも行く洋食屋さんへ行って、ぼくらはご飯を食べながらまた古代メキシコ展の話をした。紹介されていた古代メキシコの都市って大学のキャンパスっぽかったねとか、鷲の戦士像は『君たちはどう生きるか』に出てきたアオサギっぽかったねとか。由梨は「高校生の時に自由課題でマヤ文字のはんこを作ったことがある」という話もしてきた。ぼくが初めて聞く話だ。由梨は放送サークルでアニメを作っているひとだからそういう系のものづくりをしていてもぼく的には意外ではないが、でもそのことは1年半近く付き合っていて初めて知った。

 考えてみれば、ぼくは由梨のことを何も知らない。いや、「何も」は言いすぎだけど、高校時代をどんな風に過ごしていたのかとか、もっと前の小中学生の時はどんな子どもだったのかとか、本当に断片的にしか知らない。ぼくが子どもの時の写真は「見せて」と言われたので見せたことがあるけど、由梨が子どもの時の写真は見たことがない(それについてはぼくも見たいわけじゃないから別にいいけど)。

 怖い。急に怖くなってきた。目の前にいるこの女性は何者なんだろう。ぼくはこの女性のことを詳しく知らない。彼女は去年の春にぼくの前に突然現れた女性だ。それなのに、いつの間にかぼくの人生の重要人物ポジションに溶け込んでいる。上野の洋食屋さんでご飯を食べながら、ぼくは由梨の顔を見つめる。もちろん馴染みのある顔だが、改めて見てみるとこんな顔だったんだなと新鮮に感じる。急に由梨のことが初対面のひとみたいに思えてきた。っていうか、あんなところにほくろなんてあったっけ……?

 凝視されていることに気付いた由梨が「何?」と聞いてくる。ぼくは適当に「……いや、ぼくたち出会ったの運命だなと思って」と返す。由梨は表情を変えずに2秒ほど沈黙したあと、「『運命』とか言うの珍しいね。(ぼくの下の名前)くんらしくない」と言ってきた。洋食屋さんを出て、ぼくはまた由梨の顔を見る。このひとは本当にぼくの彼女なんだろうか。ぼくは自分の右手を伸ばして由梨の左手を握る。ぼくから手を握られることに慣れていない由梨が、ちょっとびっくりしながらも手を握り返してきた。

 別にいいのだと思う。ぼくと由梨のこの関係がいつまで続くのかは分からないが、ぼくは少しずつ由梨の過去を知っていけばいいのだと思う。いや、別に知ろうとしなくてもいいのだと思う。現在と過去はつながっている。古代メキシコ展に一緒に行ったことがきっかけで、ぼくは由梨が高校生の時にマヤ文字のはんこを作っていたことを知った。相手と「現在」を一緒に過ごしていれば、そんな風に、相手の「過去」も自ずと浮かび上がってくる。そのひとの現在と付き合うということは、実はそのひとの過去と付き合うということを含んでいるのだ。

 ぼくは由梨と過ごす現在の時間を大切にしようと思う。いまここにいる由梨との時間を大切にしようと思う。それが由梨の過去を知ることにもつながり、ぼくらの現在と過去を結ぶことにもつながる。古代メキシコ展へ行った日の次に会った時、由梨は高校時代に作ったマヤ文字のはんこを持ってきて、「これだよ」とぼくに見せてきた(しかもぼくの学生手帳の白紙ページに押印してきた)(ぼくは「いい。押さなくていい」と言ったにもかかわらず!)。こうしてぼくらの思い出は増えていく。「現在」が「過去」になっていく。さーて、ぼくらの「未来」はどうなるんでしょうね?

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