72候【花鳥風月】秋分の候
一年折り返し
春分の日から数えてちょうど半年、一年の折り返し地点。
昼夜の長さが同じになる春分・秋分は、風の趣で季節の変化を敏感に察知できます。
からだが秋の訪れを受けとるのは、肺が気持ちの良い冷たさを感じるころ。
台風、暴風がおさまりはじめて大気が冷えてくると、折々にひんやりした風を吸い込むようになります。
肺がひんやり空気に満たされると、からだも冬支度の準備をはじめ、お肌のターンオーバー・めぐりシステムを秋冬バージョンに更新します。
秋分の候、今年は9月23日から。
風と森
風は運び屋、風はカーテン。
四大元素の比率の変化を、天空から地表へ、地表から天空へとつないで、あっという間に景色を変えてゆきます。
風の精霊「シルフィード」はラテン語の sylva (シルヴァ・森)とギリシア語の nymphe (ニュムペー、ニンフ)をかけ合わせたことばで「森の妖精」という意味を持っています。
植物はもともと風媒花、風によって受粉する植生でした。
約3億8500万年前、水がなくても子孫を残すことができるよう、種を作る植物が出てきて、種子植物から裸子植物や被子植物の祖先が出てきました。
それから被子植物が花をつけるようになり、1億年前ころから花をつけるようになり、受粉に昆虫を利用するようになった(虫媒花)ということです。
風の精霊は虫を子飼いにして、風がとどきにくい地表近くの植物たちにも、均等に子孫をのこす機会をつくったのではないか、と考えたりします。
風の精霊シルフィードが、森の妖精たるゆえんは、風が森を育てる虫たちの本能にはたらきかける伝令の役目を担っているからではないかな、と。
天地のきざはしともいえる風には、季節のうつろいや花鳥風月をあらわす、風情ある呼称がたくさんあります。
春は東風、春一番は芽吹きの合図
花風ふいて、花嵐
初夏のそよ風、青葉香る5月の薫風
黒南風ふいて梅雨入りし
白南風ふいて梅雨終わる
夏の温風、真夏の熱風
夕立風に御祭風
夜ごとの南風が水気をはこび
陸風、海風交互して、風死す晩夏の土用凪
秋は稲穂に金風ふいて、やがて疾風、つむじ風
野分、暴風、麦嵐
山からおろしがやってきて
冬の木枯らし、からっ風
大気を自由に飛びまわる風の精霊たちは、地表に降りてさまざまな風を吹かせます。
風のカーテンをゆらしながら、四季を生み出し、植物の栄華盛衰を展開して、林を生み出し、やがて森へ。
風という字をひらくと、凡と虫。
凡は普通で、ありふれていて、特にすぐれた特徴のない、並のことを表現する文字です。
凡例とか、凡器・凡才・凡人など、おしなべて凡庸とか。
サンズイをつけると汎になり、ひろくて限りがない、汎愛・汎論・汎説・汎神論と、偏在する凝りをなくして、まんべんなくひろがることを意味します。
占星学12星座のなかで、風元素を象徴するのは、双子座、天秤座、水瓶座です。
風の宮に共通しているのは、公平にすること、均等にすること。
気移りがしやすいとか博愛主義者といわれるのは、すべてを同等に、平均的に扱おうとする心理傾向がもとになっています。
「ここでしか通用しない」ローカルなルール、つまり偏在が息苦しいと感じるのも、風元素の特徴です。
太陽は天秤座に入ります
天の秤、天秤は風元素で活動宮。
積極的に偏りあるところに頭をつっこむ、時の氏神のような心理傾向をもっています。
相反する意見があれば、双方によりそい、他者を理解しようとする性質はまさに天秤のようなバランス感覚といえますが、気持ちはよりそっても、秤にかけると明確に重さが開示されるので、あいまいにやり過ごしてきたような事柄も、是か非か、白か黒か、きっぱりと決着がついてしまう、なんてことも起こりやすいと思います。
善意と悪意、守備と攻撃、進むかとどまるか、YESかNOか。
すべてが詳らかにされ、どっちつかずに小脇に抱えてきたものは、秋分の日を境に秤にかけられて、どちらかを、あるいはなにかを選びとり、次の春分までのコースが定められるような。
日本的な超自然の風の精、あるいは神格化された風というと、風神・雷神のセットを思い起こします。(仏教美術のなせるワザでしょうか)
インド神話では風の神ヴァーユ、こちらも雷の神インドラと結びつけられます。
ヴァーユが仏教に影響して、天部12柱のひとりに風天がいます。
北欧神話やギリシア神話では、東西南北に風の神が配置された4人ユニットが有名です。
風のエレメントを神格化・伝説化して、今に伝えている象徴たちです。
風の神々に仕える妖精、あるいは妖怪も、お国によってイメージがずいぶん変わります。
風の精霊シルフィードは、代表的なバレエの題材となったせいか、華奢ではかなげな女性として描かれることが多いですが、空に巨大な雲を描きだす強力魔法をもっています。
シェイクスピア最後の作品といわれる「テンペスト(嵐)」は、風の精エアリエルが船を嵐で遭難させるところから物語は佳境に入ってゆきます。
日本では妖怪かまいたちや、宮沢賢治の描く風の又三郎といった、ローカル社会に一石を投じる、謎めいた存在になります。
つむじ風、旋風、辻風のことを天狗風という地域もありますが、天狗もカラスを従え大空を滑空する異界のマレビトです。
かたよりや偏重をうすめて地をならし、森林を広げ、多様性を均等に広げるのは風の精霊たちのおしごと。
やりすぎると凡庸になり、やがて風化してしまう、なんてこともあるかもしれませんが、小さな社会の風習に風穴をあけて、横広がりに風通しをよくするのは、風の妖精も、妖怪も同じなのかな、と。
風向き、追い風、逆風と、運命の山坂を形容するのに風ということばはとても便利です。
ヒトは呼吸で空気を体内に循環させるので、風の精、ムシの精はきっとからだのなかにも棲んでいて、ときおり風神・雷神の伝令で、ざわりとなにかを予感させる。
ムシの知らせ・風の知らせは、からだのなかに吹く風なのかもしれません。
虫のしらせ
オーストラリア先住民のアボリジニは、風によって神の意志が人間に伝えられると信じていました。
メキシコのマヤ人は、風は黒と同一で、すべてを飲みこみ同色にするので、風にあたるのを好まず、とくに冷たい風は病気をおこすと考えてきました。
ミクロネシアのヤップ島では、西風が吹くと風邪が流行るという言い伝えがあり、数十年前に訪れたときの現地ガイド氏は、「今日は西風が強いからマングローブ散策はやめた方がいい」と提案してきました。
風の便り、風聞、風の使いといった表現は、風が温度や湿度や匂いだけではなく、五感ではとらえきれないものを運ぶ力があることを示唆しています。
風格、風貌、風采、芸(作)風など、固体の周囲にただようオーラのようなものを、風と言い表す感覚は、誰とでも共有できる便利な言の葉でもあります。
古来日本では、ムシは昆虫のことだけではなく、もっと広範囲の意味をもち、人、獣、鳥、魚介類以外のすべての生き物をさす言葉でした。
風神雷神のユニットからは、雷にまつわる虫、三尸・三虫を思い起こします。
道教の教義で、三尸は人が眠るとカラダから抜け出して、その人の罪を帝釈天(インドラ神)に知らせると伝えられてきました。
虫のしらせの「虫」は、もともとヒトのからだを棲家として、意識や感情に影響を与える存在と考えられてきました。
虫がいい、腹の虫がおさまらない、という表現も、そうした発想から生まれたそうです。
今風にいうと、潜在意識に棲んでいるナニモノカを、虫と考えていた、ということでしょうか。
虹、螺旋、蛇、融かすなど、虫のついた文字には風元素を中心に、次元と次元をつなぐ秘密が隠されているような気がして、ついぼんやりと見入ってしまいます。
ヨガの呼吸法に、エネルギーの通り道である3本の管を活性化する、片鼻呼吸法というのがありますが、三尸・三虫はこの3本の管のことか、あるいは管に棲む風の精霊なのかもしれないな、と思ってみたり。
片鼻呼吸法については、ヨガ講師でありボディワーカーでもある友人が主宰しているリーラ・スクールさんの記事が参考になります。
森へ行こう
町や平原から森林に入ったとき、あきらかに森の体内に入りこんだなぁ、境界線を越えたなぁ、と感じる1歩があると思うのですが、
森はシグナルを発して、土が絶えず有機分解をくりかえしていることや、
植物が土中から水を吸い上げ、二酸化炭素を取りこんでは酸素を吐きだしていること、
風には風の、虫には虫の、獣には獣の通り道があることを知らせてくれます。
森でたとえると、なにか大仰・特殊な状況説明みたいになってしまうかもしれませんが、風の精霊たちの棲み分け・境界線は、小さい範囲でいうとおうちのなかにもあって、台所と寝室では明らかに匂いも空気の質も変わります。
ひと呼吸するごとに、風の精霊たちは選手交代して、わたしたちに新しい風、あたらしい印象を届けてくれるように思います。
風の精霊たちが選手交代すると、スピリットのレセプターが変容して、それまで見ていたもの、接していた環境に対する印象が変わることも、ままあると思います。
とくに横隔膜をしっかり広げたり縮めたりする、深くて長い呼吸は、胸膜や骨盤底筋、硬膜とも同期をとって、からだの深部まで入りこんだ精霊たちを総入替えするような。
森にいくとフィトンチッドでさわやかな気息に満たされます。
自然と息も深まり、からだじゅうすみずみまで、風の精霊が満ちてゆく感覚を楽しめるかもしれません。
秋分の日の森散策は、きっと特別なものになると思います。
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