芸術起業論(村上隆)読書ノート
要旨の解釈
・芸術制作は商業行為である。だから、ビジネスセンス、マネジメントセンスが必要である。
・芸術作品は商品であり、マーケットがある。
・現在のメインマーケットは欧米である。
・その欧米のマーケットの「ルール」に則らないと、作品は評価の対象外となる。だから、欧米のマーケットで評価を受けたい(売れたい)ならば、そのルールを踏まえないといけない。(しかし日本はそのことを理解していない。)
・欧米マーケットのルールとは、「新しい文脈を作れるかどうか」である。
・欧米の消費者は、芸術作品の中の「しかけ」を楽しんだり、芸術作品の中から「新しい文脈」を読み取る「謎解きゲーム」をすることを楽しみたいという鑑賞態度を持っている。
「芸術制作は商業行為である」について
たしかに、絵画は日本では「商業行為として扱ってはいけない」という「聖域」として見られている気がしました。
しかし、他の芸術作品ではそういうことはないかと思います。
例えば、映画。
宣伝の為にテレビCMがたくさん流れていますが、それが非難されることってあんまりない気がします。
また、「興行収入○○円。歴代何位!」のように、売り上げ高を作品の評価の指標としていますが、これもそこまで問題視されません。
なぜ商業行為と結びつけることが、映画では許されて、絵画では許されないのか?
論理的に説明することが難しいように思われました。
つまり、絵画だけが商業行為と切り離されるべきだ、という認識は成立しないような気がしました。
アメリカというマーケット
著者の、アメリカというマーケットに対する解釈が面白かったです。
だからこそ、アメリカ市場におけるアートもルールに沿っている必要があると言います。
また、アメリカの特徴をこうも述べています。
つまり、いまの芸術のマーケットの中心地はアメリカである。
アメリカというのは「ルール」を好み、「説明」を好む文化である。
だからアメリカ市場で売れる芸術作品を作るにはルールを抑えて、かつ作品の価値を説明する、つまりプレゼンテーションすることが重要だと言うのです。
私はアメリカに詳しい訳ではありませんが、たしかにアメリカは「契約社会」だと聞いたことがありますし、弁護士の需要が多いイメージもあります。また、プレゼンテーションが好き、、というより必須スキルであるという印象があります。
なので、上記のような著者のアメリカ市場の捉え方は、感覚的にもしっくりときました。なるほど。
でも、アートって説明できるものなの?
しかし少し疑問に思うのは、果たしてアートは説明できるもの、つまりプレゼンテーションができるような類のものなのか?ということです。
なんとなく、アートの価値っていうのは、個々人の主観によって、または感覚によって処理されるものだと思っていました。
この絵は好きだ、とか嫌いだとかいう具合にです。
しかし著者はこの述べていました。
この前、岡本太郎の「今日の芸術」を読んだのですが、これは岡本太郎の主張と真逆でした。なので素人の私としてはやや混乱しました。
太郎は、芸術とは「わかる、わからないという類のものではない」し、「いいと思った分だけ、いい」と言っていました。
村上隆さんは「アートは単純なルールで解釈可能」と言っています。
私は両方の考え方の中庸をとりたいと思いました。
アートの歴史、文脈等を勉強していって、ルールで解釈することを目指しつつも、太郎の言うように、「いいと思った分だけ、いい」と思うような純粋な感動体験としても鑑賞していく・・・という具合です。
もっとも、両者の発言は想定している読者層も違うでしょうし、前提となる時代や状況が異なるので、そもそも比較ができないものかもしれません。
ただ、両方を読んだ読者として、自分なりの解釈を整理しておきたいと思った次第です。
価値を生むのはストーリーだ。
著者はこう述べています。
だからこそ、作品に関する説明、プレゼンテーション原稿への翻訳を強く拘っているそうです。
また、日本の芸術選奨文部科学大臣賞(芸術振興部門)での受賞理由は以下のようなものだったと言います。
物語が価値を生む
更にこうも述べています。
なかなかセンセーショナルな内容かもしれませんが・・・「物語こそが価値を高めている」という趣旨についてはたしかにそうかもしれないなと思いました。
「ベートーヴェンは耳が聞こえなくなったのに、作曲をしていた。」
「『カラマーゾフの兄弟』を書き終えたら、ドストエフスキーが死去して、絶筆となった。本当は二部作の構想だった。」
「サルトルは視力を失っていた。幻覚剤を使用していた。ノーベル平和賞を辞退した唯一の人間だ。」
など・・・。(もっと良い例えを捻りだしたかったのですが…。)
物語が価値を高めている例はたくさんあるのではないでしょうか。
もちろん、実質の価値が高いことは大前提ですが・・・。
このことは芸術作品だけではなくて、ブランディングでも重要な働きをしていると思います。
例えばスティーブ・ジョブズという強烈なキャラクターや、「自分で創った会社を追い出された」というような波乱万丈な人生。
そういうサブタイトルが、iphoneのブランディングに一役買っているはずです。
ちょっと熱が入って長くなりましたが、芸術作品もそういう側面があるというのは目から鱗でした。
アートマネジメントは料亭やレストラン経営に似ている
村上氏は、こうしたことも含めたマネジメントこそが必要だと主張されていました。それは、料亭やレストランの経営に似ている、という考えがとても面白かったです。
歴史に残るのは「技術」ではなくて「考え方・概念」に革命を起こした作品だけ。
技術的なことは結局、後世で追いつかれてしまうので、「考え方」「概念」こそを発明すべしとのことです。
概念を売る
村上氏は「スーパーフラット」(すべてが超二次元的)という概念を提唱されています。
絵を売るのではなくて、概念を売る。
映画を作るのではなくて、概念を作る。
なるほど・・・。
新しい文脈を作る方法。「文脈×自分の唯一性」
村上氏は、新しい文脈を作ることこそが欧米市場で求められるルールであると述べられてきました。
その新しい文脈を作る方法について紹介されていました。
つまり、自分のクリエイティビティーなるものを信じて、やみくもに大海原へ突入していくのではなくて、
まずは歴史を学ぶこと。そしてまだ誰もやっていないことを発見する。更に自分の中にある唯一性を発見する。
そうやってあたりをつけたうえで、もがいてみる。
「誰もやっていないこと×自分の唯一性」によって新しい宝に出会えるということかと思います。
おわりに
芸術制作は商業行為である、という新しい芸術観に出会う事ができつつ、価値とはなにか、新しいとはなにか、といった創造性に関わる諸問題を考えるヒントがたくさん盛り込まれている本でした。