自分の運命に楯を突け(岡本太郎)【読書感想文】
これは、「読み終える」ということが無い本だ。
本棚に置いておいて、気になったらその都度本を開く。
一行一行を咀嚼し、飲み込み、自分の血や肉としていく。
そういう本だと思う。
岡本太郎の哲学であり、詩集であり、講義であり、芸術そのものであると思う。
読んでいく中で度々感動して、思わずボールペンで文章に赤や緑で傍線を引いたり、丸で囲ったり、字を書きこんだりして読んだ。
「本にボールペンで線を引くなんて!」とも思わないでも無かったが、きっと岡本太郎だったらこう言うだろう。
「線が曲がってしまったらどうしようとか、消しゴムで修正できないとか、つまらない条件に囚われてはいけない。きれいでなくて良いから、キミが書きたいように書けばイイじゃないか。」
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岡本太郎さんの思想をいくつかの柱として捉えてみる。
「瞬間瞬間に生きる。」
現代人の私たちはとかく、安全で安心な社会で生きている。
よほどのことでも無い限り、明日も明後日も生き続けられると思っている。
だから未来が存在するという前提で予定を立てたりしている。
ともすればいまこの瞬間の生がおざなりになっているかもしれない。
勿論、人間は未来を認知できるから計画的な生産ができる。
しかし頭でっかちになりすぎると「現在、この瞬間」という唯一の実存をおざなりにしがちだ。「瞬間瞬間に生きる」という言葉を胸に刻みたい。
「無条件、無目的に生きる。」(原初的・人間的な生き方。)
現代人の我々は、とかく「何の為にするのか?」「何の役に立つのか?」という目的や実用性を基準として実行することばかりだ。
良い会社に入る為に有名大学に行くとか、
英語を学ぶと就職に有利になるから勉強するとか。
あるいは条件ばかり考えている。
お金が貯まったらとか、
仕事が落ち着いたら、とか。
しかしそんな生き方はつまらないし、エネルギーが出ないと氏は言う。
功利的、打算的ではなく、無目的に、無条件で、原初的で人間的な情熱から突き動かされる。そういう人間に戻りたいと思わされる。
「人間的な誇りを守る。」抵抗、反逆、闘い。
岡本太郎さんは権威や、社会の規制、理不尽といったものと闘い続けた方でもあると思う。
それは、人間的な誇りを守ろうとしたのだ。
その闘いは小学生の頃から始まっていた。
嫌いな先生の話を聴きたくなくて、耳に指で栓をしてその声を遮ったという。先生のいう事を聞かないので、小学校だけでも4回転校しているという。
大人になってからも抵抗の戦いを続けた。
強烈なエピソードがある。
それは太郎さんが軍隊にいた時のことだ。
軍という恐らく最も不自由な環境下で、ぜったいに口にはできない「日本は負ける。」という言葉。太郎さんはそんな環境下であっても自らの考えを述べた。そのまま「日本は負ける」と言えば殺されてしまうので、工夫をして述べた。理不尽を受け入れた上で本質的に反逆をした。
「人生、即、芸術」と太郎さんは言っているが、この行動はまさにそのまま芸術であると思う。
軍隊とまでは言わなくとも、私たち現代人の生活環境にも人間的な誇りを奪うシステムはある。例えば地下鉄。岡本太郎さんは下記のように語っている。
合理性、機能性、実用性の観点を突き詰めていけばたしかにこのシステムは必然的だ。しかしそれこそが人間性、人間的な誇りを奪っている、というのは非常に納得した。だからといってルールを破ろうということではないが、麻痺してしまってもいけないと思う。
モダニズムへの抵抗
岡本太郎さんの抵抗の対象のひとつはモダニズム(近代主義)だ。
例えば現代は、計画的に、効率的に機械によって大量生産を図るマスプロダクションの時代だ。その中でデザインは、「大量生産しやすいデザイン」に収斂していくという。
そのモダニズムのアンチテーゼとして作ったのが、
「坐ることを拒否する椅子」であるという。
▼そのデザインは、下記(ほぼ日刊イトイ新聞)をご参照ください
おわりに
人間が根源的に持つ感情や歓び。
一方で現代の規制、社会/経済システムあるいは、功利主義的で打算的な自己
がそれを制してしまっている・・・。
そうした状況に気づかせてくれる本だった。
ただし冒頭に書いた通り、読み終わるものではないと思う。
これからも折に触れて本を開き、岡本太郎さんに会いたいと思う。