見出し画像

峯澤典子×古屋朋 対談『てばなし』刊行記念 vol.6

誰でも知っていることばで紡ぐ。


峯:第一に言えるのは、古屋さんの書き方はとても丁寧で、眼差しがじっくりゆっくりと触れるものを書いていきますよね。息の長さが関係しているのかな。途中で投げっぱなしにしない。でも投げ出すときは潔く投げて、また大切に受け止めている。言葉の放ち方がとても的確で丁寧というのが、とても惹かれる部分だなと思いますけれど。

あと言葉に対して、あまり制約を設けないというか、自由に言葉が波のように動いていくことを許している感じを受けて。

古:ありがとうございます。私自身語彙力がそこまでないということもあって、知っている言葉の中で無限の可能性を作っていく、そういう作り方もあるのかなと最近思っています。むずかしい言葉が出てこないので、生きていて口にしている言葉をなるべく出すようにしていますね。

一時期、転換のあるかっこいい詩を書いてみたのですが、やっぱりうまくいかなくて(笑)。

憧れはあるんですけど、自分が今書ける詩っていうのは、誰でも知っているような言葉を紡いでいくものなのかなと思って。その形で最後まで書き切りたいというのはあります。

峯:私も、どちらかというと、奇抜な言葉遣いは避けたいと思っているんですよ。同じ単語を使っても、組み合わせしだいで無限だな、と思っていて。

自分が信頼する言葉ってありますよね。その信頼する数少ない言葉をいかに活かしていけるかってところに集中した方が、自分が本当に求めているものに近づけるような気がするんです。古屋さんの詩に私が惹かれるのは、私自身が好きな語彙がたくさんあるから、というのもあります。

古:ありがとうございます。

峯:でも、第一詩集の夜から第二詩集の水へと、古屋さんが書かれるものも書き方も、変化していますよね。それは古屋さんが、自分にとって信頼できる愛しい言葉をより慈しむことによって逆に世界が膨らんでいるのかな……と。

古屋さんの書き方には、私もとても共感しました。

古:共感いただき光栄です。

峯:私も言い回しがくどかったり、自分が日常であまり目にしない言葉はやっぱり遠慮しちゃうところがあって。

古:峯澤さんの詩を読んだとき、すごく読みやすくて好きだなと思いました。スッと心に届いたんですよね。言葉の選び方や心の置き方に共感できるところが多くて。

歌から詩の世界に入ったこともあってこの界隈のことにはうとい方だと思っていて。萩原朔太郎などの昔のものに多く触れていたこともあり、現代詩はあまりわかっていなかった。

そんななか、自分の中で詩の世界ってどういう場所なんだろうとなったときに、ツイッターで『ひとつゆび』について峯澤さんが言及してくださって、それを機に「見てくださる方がいるんだ」ってすごくうれしかったんですよね。前から現代詩も多少は読んではいたんですが、そこからさらに深く多く読むようになりました。

そのときに、これはとてもおこがましいのですが峯澤さんの詩からどこか似ているところを感じて。本当に心にそのまま言葉が入ってきて、だけど峯澤さん独自の感性も流れ込んでくる、というようなとても素敵な体験でした。
先日の対談の中でも、石を集めているとお聞きして(笑)

峯:(笑)

古:私も石を集めていて、小学校の夏休みの宿題で「石の博物館」を作るくらい好きだったんです。

峯:え、すごい!そうなんですね。やっぱりきれいな石を見つけた時には、つい持ち帰ってしまいますよね(笑)。

古:コレクター気質なのかもしれませんね(笑)。


vol.7「言葉をひらく。」につづく


古屋朋『てばなし』のご購入はコチラから
峯澤典子関連本は
コチラから



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?