【エッセイ】のぐちゃん – 残酷な世界の片隅で、無垢な心を痛めながら、日々を健気に生きていた。
“のぐちゃん” は、幼稚園から中学校を卒業するまで、そこそこ仲の良かった同級生だ。
とは言っても、母に聞くところの5歳で入園した幼稚園当時の記憶はなくて、実家の天袋に窮屈そうに押し込められている思い出アルバムをめくると、のぐちゃんと隣に並んで整列していたり、かけっこで競争していたり、仲良くお遊戯をしている写真が見つかる。
のぐちゃんといつも一緒に写真に収まっている理由はのぐちゃんも僕も背が小さかったからで、僕が前から1番目、のぐちゃんが前から2番目が定位置になっていて、この順番は小学校に入学してからも1年生から6年生まで変わることがなかった。
のぐちゃんは勉強が苦手でさっぱりだったのだけど、お友達と遊ぶことが大の得意で、男の子とは男の子の遊びを、女の子とは女の子の遊びを楽しめる子で、どちらかと言うと教室や放課後では女の子と一緒に過ごしている時間の方が長かったような気がする。
“のぐちゃん” のあだ名の由来は、下校をしている途中に我慢ができなくて、草むらで屋外排泄(野糞)をしていたところを運悪く同級生に見つかってしまったからで、その翌日にはクラスどころか全校の男子児童から『のぐちゃん!のぐちゃん!』と呼ばれるようになった。
今となってはおかしな話だけど、当時の学童生活において、校内のトイレで “小” ではない “大” をしてしまう行為は、絶対に避けなくてはいけないことだった。
学校で “大” をするなんて、好きな女の子の名前を口にするよりも恥ずかしい行為であって、もし個室に入るところや、個室から出るところを同級生に見られでもしたら、『〇〇がクソするぞ~(したぞ~)』とアナウンスされ、学校中で注目の的になってしまうからだ。
僕自身もどんなに “大” をしたくなったとしても限界まで我慢し続けていたし、スリル満点の一か八かだったけれど職員室にほど近いひっそりとしたトイレに駆け込み、『お願いだから誰も来ないでよ...』と額に汗を書きながら必死に用を足したり、下校途中にある公園のトイレまで猛ダッシュで駆け込み、なんとかギリギリセーフで用を足した記憶が残っている。
のぐちゃんは、『のぐちゃん!のぐちゃん!』とみんなからそう呼ばれることに嫌そうな素振りを見せていなかったけれど、「どう思っていたのか?」は、今となって知る由もない。
僕と同じように限界ギリギリまで我慢した挙げ句の屋外排泄なのだから、きっと恥ずかしさや気まずさがあったと思うし、“のぐちゃん” というあだ名にも複雑な想いがあったと思う。
のぐちゃんは中学校に進学してからも “のぐちゃん” と呼ばれていたけれど、もうその頃には “のぐちゃん” のあだ名の由来なんてみんな忘れているし、気にかけるような子もいなかった。
中学校に進学してからの “のぐちゃん” は、勉強についていくことができなかったからか、得意だった遊ぶことも遠慮がちに見えて、ずいぶんと影が薄くなってしまった印象がある。
のぐちゃんの家は、ちょうど僕の家と中学校の真ん中に位置していたので、学校から距離の離れていた僕の家からのぐちゃんの家まで自転車に乗っていって、自転車はのぐちゃん家に置かせてもらい、そこから学校まで一緒に歩いて通っていた記憶が懐かしい。
のぐちゃん家の真横から中学校方面に続く未舗装の小路には、季節を感じる草木花が彩りと香りを添え、虫たちは懸命に音色を奏で、手入れの行き届いた小さな公園がこじんまりと佇んでいた。
僕が想像するに、もし天国というものがあったとしたら、こんな素朴な風景なんだと思う。
当時は、これといって何かを思うことはなかったのだけど、自転車を置かせてもらっていたのぐちゃんの家を思い返してみると、台風が来れば倒壊してしまうそうな薄暗いあばら家で、そう言えば玄関までは入ったことがあったけれど、家の中に上げてもらったことは1度もなかった。
家族構成も不明のままで、のぐちゃんそっくりなお母さんとは登校時に何度か挨拶をさせてもらったことがあったのだれど、いるはずのお父さんの気配は微塵も感じたことがない。
毎日のように自転車を置かせてもらっていたのぐちゃんの家は、僕らが中学校を卒業した1年後くらいに県道の拡張工事にひっかかったらしく、きれいにさっぱりとなくなってしまったのだけど、時を同じくして、周囲の天国のような素朴な風景も、きれいにさっぱりとなくなってしまった。
中学校を卒業した “のぐちゃん” が、高校に進学できたのかどうか?は、僕の記憶を遡ってみたけれど、残念ながら思い出すことができない。
僕は実家から10kmほど離れていた高校に通っていたのだけど、部活帰りのとある夏の昼下がりに、広瀬川でひとり釣りをしている ”のぐちゃん” を橋の欄干から見かけたことがあった。
『あれって、のぐちゃんだよなぁ~』と自転車を漕ぐのをやめて、欄干から下を覗きこんでいると、僕の視線に気がついたのか、のぐちゃんもこちらに視線を向けてくれた。
確かに目が合ったので、『のぐちゃん!久しぶり~』と声をかけようとしたその瞬間、のぐちゃんはさっと視線を逸らして、背を向けてしまった。
あれから30年超、のぐちゃんと会ったのは、この時が最後になっている。
字面が好きではないのであまり使用したくないのだけど、のぐちゃんには障害があって、僕ら周囲の人間が思ってもみないところで、ご本人やご家族はどうにもならない悩みや苦しみを抱えながら、日々を過ごしていたのかも知れない。
のぐちゃんは、この残酷な世界の片隅で、無垢な心を痛めながら、日々を健気に生きていた。
と僕は思っている。
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以上 –【エッセイ】のぐちゃん – 残酷な世界の片隅で、無垢な心を痛めながら、日々を健気に生きていた。 – でした。
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