「生きてる事が社会奉仕。」by 【ROLAND】さん_71日目
吉田輝星さん、鮮烈デビューでしたね。初登板初勝利おめでとうございます。新時代の幕開け。
話は変わりますが、話題になっている広告をネタに、【ROLAND】さんがツイートしていました。
テレビなどで拝見していて、【ROLAND】さんは素敵な方だと思っていましたが、このツイートで改めて実感しました。ユーモアは尊い。
ぼくが語るまでもないかもしれませんが、この【ROLAND】さんのパロディにはやさしさが溢れています。
「生きてる事が社会奉仕。」
【ROLAND】さんのキャラクターに則って「オレ様」文脈で解釈すると、「オレは生きているだけで社会に貢献しているんだ」ということになります。
ところが、これが実際に広告として掲げられているとすると、「みんな生きてる事が社会奉仕。」という意味に置き換わります。広告が掲載されている場のことになるので。
それを見越しての「生きてる事が社会奉仕。」はやさしさだなあと思いました。
また、このパロディ自体が、広告への嫌悪感をやわらげる働きがあります。【ROLAND】さんがネタにした広告ね、となると、【ROLAND】さんを知っている方にとっては、嫌悪感よりも「【ROLAND】さんがネタにした」ことの文脈のほう強くなります。
このパロディのおかげで、元の広告に抱いた違和感の根本的な理由を掴むことができました。
その違和感を一言で表すなら、「強制」です。
元の広告には「強制」があります。
「50万円で生き甲斐のない仕事をやるか、30万円で生き生きした仕事をやるかを選べ」「ありがとうを集めろ」
もともとの意図として誰かに強制しているわけじゃなくても、公共の場にかのようなメッセージを置くと、それは必然的にその場にいる人たちを縛ってしまうことになります。
収入の金額云々の問題はあろうけれども、それ以前に、「強制」感のある表現に対しての「反発」がベースにあり、そこにさまざまな要因が絡みついて今回のようなネガティブな広まり方をしたのではないかと思っています。
その点、【ROLAND】さんのアイデアが素敵だと思う理由は、その「強制」がなくなっており、「無条件の存在承認」となっているところです。
「生きてる事が社会奉仕。」は「無条件の存在承認」であるので、基本的には「おもしろい」「いい」「同意」などのポジティブなフィードバックが返ってくることになります。
広告やクリエイティブを設計するときは、その広告が置かれる場がどういう状況で、人々がどんな印象を持つか、どんなアクションにつながるか、を考えていく「想像力」を持っていないと、今回のようなネガティブな広まり方をするケースもある、ということは肝に銘じておく必要があると思いました。