テキスト入力するときに
『読んだ本の感想をnoteに書いてみませんか?』と提案されているので
やっとnoteの正しい使い方な気がする。
晴耕雨読な生活をしてみようと思って
本を読み漁ってみた。
3週間の滞在で、できるだけたくさんの作品に出会いたくて、覚えていたくて。
心に残った言葉をメモしていた記録、
と自分が感じたこと。
すんごく長くなると思います。
お付き合いいただけたら幸いです。
タラブックス
私の独り言を書き連ねていたら、
このnoteを読んでくれた友人から連絡が来た!
『言葉遣い好き』『沁みる』って言ってもらえて、とってもとっても嬉しかった。
なんで嬉しいかって、
「ただただ自分を愛でてあげて、
向き合ってあげて、
それで溢れた言葉を書いてみよう。
その言葉で癒される人がいればいいなぁ」
っていう。
あまりにも慈善的な?自己満足な?
なんの経済的価値のない取り組みだったから。
書くことで、自分と会話する
悲しみを癒す。
っていうのが目的だったから。
まさか利己的な行為が、利他的になるなんて(?)
一見無価値に見える、わたしのやってた行動を
評価してくれて、認めてくれて。
「これからも読む」って言ってくれて!
すんごく報われた。
こういう時間が、「豊かなひととき」なんじゃないかと感じた。
意味がある、ように見える
ことばっかりが大事じゃないんだと思う。
「本当に必要かさえわからない」大きなものを必死で追いかけるよりも
「自分がただやりたい」小さいものを掬ってあげることのほうが
私には大切なことだった。
愛のあるモノを人に伝えたい、
という本心に出会った。
ひとりみんぱく
友達とワイワイ映えるスポットで写真を撮ったり、美味しいものを共有してきゃっきゃっしてる時間が好き。
でも、それと同じくらい1人でフラーっと、思いつきで放浪してみて、そこで見つけたその土地ならではの文化や人の生活に触れるのが好き。
前者が、「人と楽しいを共有」して喜びを感じる時間だとしたら
後者は、「冒険」を通して「人を想像」して癒されている時間
私にとっては
どっちがじゃなくて、どっちも大事。
旅を通して出会ったモノたちには
どっちの思い出も内包されてる。
友達と偶然カフェで見つけて「可愛いね」って共感し合った思い出も
美術館で1人、作者の気持ちを想像しながら感傷に浸って、共鳴し合った思い出も。
煌めいた瞬間が宿っている、お気に入りのモノたちを机に並べて
当時の思い出に浸ってみると
(感受性が強すぎな私は)またその時の感覚のおもかげを感じる。
全部全部、そのモノたちに出会ったときの物語が残っていて、その場所の香りを感じたり、あったかい人の笑顔が浮かんだりする。
こういうぼーっとした時間をとれると、
「充実って無理に追い求めるものなのかな?」と疑問が浮かんでしまう。
こんなに「ひとつのもの」
(人によってはガラクタと評価するようなもの)
から、充実感を得られるのになぁ〜❕
ギフトってすぐ側に落ちてたりする、みたい。
自由からの逃走
『自由』が、きっと私の人生のテーマ!
幼少期から、なんとなく閉塞感を覚えていて。
ありのままで居れない、やりたいことをできない不自由さを感じていた。
そこから脱出するために
一生懸命、自由に向かって猛ダッシュしていたはずなのに
進んでいた先が、より「不自由」を加速させる場所であったような…?
自分と向き合うことから逃げてたら
自分が求める自由もわかるはずないよね、
ってことを学んだ23歳でした。
そもそも交換日記
言葉にすることで通じるものもあれば
言葉にしちゃうことで誤って捉えられちゃうこともある。
「言葉」も一つの伝える手段なんだから
当たり前っちゃあたりまえだけど…なんと難しい。
あくまで、わかった気にならない。
言葉に集約して、想像をやめちゃわないのが大事なのかと、思いました。
自覚、不安、自立、自信、感情
ぜんぶわかった気にならないで欲しい〜!
(誰宛)
そして
「でも、そこで感情にフタをしなければならない理由もあったのだ」というフレーズに救われた。
自己否定してたって、いつまで経っても進まない。
受け止めてあげて
許してあげて
少しずつ、自分のことを認めてあげて
それでやっとちょっとずつ前に進める気がした。
ものすごく有難い対話集です。
生きるって、なに?
この本
軽い冊子で、絵本みたいな見た目なのに…
書いてある内容が深すぎる。
人もそうだけど、本も見た目によらないね(?)
粒子レベルでみると
「私はあなたで あなたは私」
「私もなければ あなたもない」
量子力学的な話だから、ちょっと🤷🏻♀️って
なっちゃう方も多いのかなぁ
(私も全然わかんない)
なんとなく分かるのは
「私がわたしであること」はものすごく偶然で
「貴方があなたであること」も
ものすごい奇跡だってこと。
「そうである」と同じくらい
「そうでない」可能性があって、
だからこそ、今こうして「私がわたしであること」がものすごく尊いんだなって。
いろんな可能性を乗り越えて
「今」が創られていることを想像してみたら
『ありがとう!』って気持ちが溢れてくる。
当たり前に思ってしまっている、
感謝を忘れてしまっていることを
見つけ出して、ひとつづつお礼をしていたら
ものすごく自分が満たされていることに気づく。
「ありがとう」の気持ちでいっぱいになっている状態が、人が幸せであれる瞬間なんじゃないか、と思う。
私の生活改善運動
「時間の奴隷」
「食は時間を食うと思っていたが、その考え方こそが、私から時間を奪っていた。」
なんだか、ものすごく胸に突き刺さってくる。
そして、申し訳ない気持ちがこぼれる。
この申し訳なさは
食べものになのか、自分になのか。
これからは、もっともっと美味しい時間を、
大事にしてあげたいな。
暇と退屈の倫理学
人って
「15個以上のことを同時に考えたら病む」し、
「暇になっても病む」らしい。
(どっかで聞いた話だから、確証はないです。)
ようは、
忙しすぎても暇すぎても病むってこと?
考えすぎて、脳がキャパシティーを超えちゃったら、病むってことか。
何事もバランスが大事なんですね。
「暇を得た人々は、その暇をどう使ってよいのか分からない。」っていうのが興味深かった。
私はわりかし小さい時から
《あーあれやりたい、これもやりたい
それより先にあれやらなきゃ、これやらなきゃ
あれもしときたいなぁ、あーできない
んんんん時間ない〜》
が、デフォルトになっていて。
あんまり暇って感覚がわかんない。
たぶん知的好奇心が強すぎて、一生暇にならない性分。
何もない田舎に居たって
「あーあの雲かわいい」「あの植物なんだろう」
ってなってるし。
喧騒に駆られた都会に居たって
「あのカフェかわいい」「あの人なに考えてるんだろう」って人間観察してる。
たぶん、白い箱に閉じ込めても、その壁の素材感とか、床の冷たさとか(?)
何かしら気になるものを探しては、興味津々にそれを見つめてるんだと思う…
(生まれたての子どもなのか、?😅)
我ながら変なやつだなぁ、とは思っていたけど
どこでもなんでも「楽しめる」っていうのは
一種の才能なのかもしれないと思った。
楽しむことは、才能と努力の合成物だと思う。
受け取る技術
思考する技術
愛する技術
が必要なのかな。
いのちの居場所
先日、恩師と再会することができて。
嬉しくてうれしくて
私の思ってることをひたすらに発表会してた(笑)
その時に「弱さって、強さにもなると思うんですよねって話をしてた。」
「〝かわいい〟って守りたくなっちゃうじゃないですか。
それは男女問わず、かわいいって思う時って。
かよわい、どじっこ、天然、愛おしい、、、
自分が守ってあげたくなる感情だと思ってて。
すごく純粋な利他行動だと思うんです。
…
だから、例えば来世で木になるとしたら❔
私は、か細くもしっかり根を張った木になって
長生きしたいです。
図太くて強そうな木の方が、一見たくましそうに見えるけど。
その分、維持するための栄養分が多く必要だったり、それを支える根の発達が足りなかったりして、いざ災害が起きた時にポキッと折れちゃいそうじゃないですか。
でも、たくましそうに見える、って理由で折れるまで助けてもらえない気がするんです。
この木はまだいける、って人間に放置されちゃうんじゃないかと。
対照的に、か細くてひょろってしてる木なら、必要な栄養分だけ光合成したり、栄養を貯めていって。ものすごく頑丈な根を張れる気がするんです。
強風が来たって、しなやかにその風にのって、耐えられる気がする。
それに、見た目はか細くて弱そうだから、人間が必要な手当をしてくれるかもしれない。
一見弱そうに見える、しなやかな強さってあるじないですか。
そういうの憧れてて。
だから来世は、しなやかな木になります🌳」
って意味わからん宣言してた…
言葉に起こしてみるとさらに変な人すぎる😂
それを「うん、なるほどねぇ」って聞いてくださる、先生もやっぱり変な人で。
変な人は、変な人を呼び寄せるよなぁ、笑
たぶん今客観的に自分の発言を分析するなら
弱いなら弱いなりに
強がってないで、ちゃんと弱さをみして
必要な手当はちゃんとしてもらおうよ、って
伝えたかったんだと思う。
頑張って自分を強く見して、「君は大丈夫」って過信されるのって、ただただプレッシャーでしかないし。
自分の首を絞めることになると思う。
てゆうか、そうだった気がする。自分が。
「頼る」「助けを求める」ことの大切さを痛感したというところでしょうか。
まとめ?
まぁまぁ、しっかり病んでて。
「幸せ」についていろんな角度から勉強してみたんだけど。
今のところ
ふとドラマで言ってたセリフが、1番腑に落ちた。
(ここまで色んな本の話をしてきたのに、最後はドラマなんです笑)
🌷
ついつい文章が長くなっちゃうのは、
わたしの良くない癖。
ごめんなさい。
でも、そんな自分がすきだったりもする。
ありがとうございました!