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そしてまた一年後(小説)

 暗闇の中もがいている。
 頭の先を引っ張られるような、掴まれるような感覚があって、次の瞬間、僕は光の中に突き落とされた。
「おめでとうございます! 元気な男の子ですよ!」
 水色の服を着た女が言い、僕がいま通ってきた道が一人の女の体内だったことが判明する。
 僕は産まれた。産んだ女の胸に抱かれる。温かい。
 ああ、そうか。あと、二十一年か。
 ただそう思う。


 *


 思い出は常に重なる。どれだけ抵抗しようとしても。
 二歳の夏に階段から落ちて頭を縫ったこと。
 幼稚園の芋掘りでクラス一重いサツマイモを掘り当て、先生にめいっぱい褒められたこと。
 小学四年の秋にクラスの女子に手紙をもらい、すきです、と書かれていたこと。そこに女子の名前は書かれていないこと。
 中学時代はずっと陰キャとして扱われたこと。
 高校一年の文化祭の前にバンドを組まないかとあまり会話もしたことのないクラスメイトに誘われること。

 僕の人生はずっと、常に何重にも重なっている。
 そして、生まれ変わるたびに一年ずつ増えている。
 前回の僕は二十歳の誕生日にひどい食中毒になって死んだ。前々回の僕は十九歳の誕生日に通り魔に刺されて死んだ。その前の僕は十八歳の誕生日に酒飲みの喧嘩に巻き込まれて死んだ。その前は――

 死んでしまうたび、僕の人生は振り出しに戻る。暗闇の中でもがき、頭を掴まれ、激痛のような光に包まれ、この世に産まれる。
 さすがにさすがにここまで回数を重ねてしまうと輪廻なんてものを信じるしかなく、しかしその輪は僕を僕としてしか誕生させてくれない。
 今この世に産まれた僕は、今回で二十一回目の「僕の人生」を歩むことになる。前回は食中毒で死んだ。だから、食べ物に気をつければ死ぬことは必ず回避できる。今までもそうしてきた。十八の誕生日は一歩も外に出ず、十九の誕生日も同様に引きこもって過ごした。今回は二十歳の誕生日に何も食べなければ問題なく二十歳と二日目を迎えることができるだろう。
 でも、その必死の延長は次の誕生日にはまたリセットされる。何をどうしても、僕は前回の死んだ誕生日、プラス一年後に必ず死んでしまうらしかった。
 そしてリセットされ、元通りに生まれ、けれど記憶は継ぎ足されている。
 二十一歳の誕生日、僕はどうやって死ぬんだろう。それをずっと考えながら、この二十一回目の人生を生きる。
 最大限足掻いて、その上で、必ず、死ぬ。のに。


 *


「たっちゃんってなんていうか、達観してるよね」
 一周目の人生から、この二十一回目の人生まで、必ず高校時代に付き合うことになる女。梨花のこの台詞を聞くのは何回目だっただろうか。毎回梨花と付き合うことになるのが十六の夏だから、つまり五回目か? 聞かなかった周はあっただろうか。さすがにそこまで細かいことまでは覚えていない。
 達観している、と言われても、同じ人生を二十一回も繰り返せば嫌でもそうなるだろうよ。言いかけた台詞を飲み込んで、
「そんなことないよ。ガキはガキ」
「あはは、高校生が自分のことガキって言い切れる時点で、なんか変だと思うけどなあ」
「まあ、事実は事実だからね」
 ガキだろ。お前とも、お前がふっかけてきた意味のわからない喧嘩で半年後に別れるよ。前回までの記憶をそのまま、脳内で再生しながら梨花と夏の暮れの帰り道を往く。なぜ自分がこの輪廻の中に囚われ続けているのか、自分でもわからない。わかるのはこれが妄想や幻覚などではないこと、現実に置き続けているということ、誰にも相談できないということ、そして、誰にも解決できないということ。神頼みに明け暮れた周もあったし、必死に人生を変えようとそれまでのルートと全く違うことを試みた周もあった。前回の死と同じ動きを取れば逆に何か起きるのかと思って、一回前の周の死と全く同じ誕生日を過ごしてみたこともあった。だが、その日はなぜか死なず、その翌年の誕生日に死んだ。
 ああ、どうしたって死ぬのか。
 その辺りから僕は足掻くことを徐々に諦め、繰り返される生と死を反発することなく受け入れることを選んだ。
 今回、二十一回目のルートをたどるとして、確実にその誕生日に僕は死ぬだろう。そして気がつくとまた新しい、二十二周目が始まる。人間の寿命はざっくりと見積もって八、九十年といったところだろうか。あと七十回程度生き死にを繰り返せば、きっと、いつか死んだままで人生を終えることができるはずだ。いつまでも死なない人間はいない。必ず人には死がやってきて、それは自分も例外ではない。だってもう僕は二十回も死んでいる。
 本当の寿命か、あるいは´天命か、それが終われば、僕は【僕】として生まれ変わらなくて済む日が、きっと、やってくるはずなのだ。

 それだけが、僕の願いだ。


 *


 二十一回目の人生は、二十一歳の誕生日に無事終了した。
 家族に「誕生日プレゼントを買ってあげるよ」と言われて外出した先のショッピングモール、吹き抜けを囲むように作られたガラス製のシールドに寄りかかってスマートフォンをいじっていると急に身体が後ろに引っ張られ、世界がスローモーションに切り替わった。
 あ、ガラスが外れたんだ。
 落ちる。
 手からスマートフォンが離れ、四階から三階、二階、そして首に強い衝撃が走り、そこで一瞬だけ視界が暗転する。

 *

 暗闇の中もがいている。
 頭の先を引っ張られるような、掴まれるような感覚があって、次の瞬間、僕は光の中に突き落とされた。
「おめでとうございます! 元気な男の子ですよ!」
 水色の服を着た女が言い、僕がいま通ってきた道が一人の女の体内だったことが判明する。
 僕は産まれた。産んだ女の胸に抱かれる。温かい。
 ああ、そうか。あと、二十二年か。
 ただ、淡々と、そう思う。


 *


 生と死を八十七回繰り返した。
 三十一歳で僕は結婚し、三十二歳、三十四歳でそれぞれ女の子と男の子の父親になった。娘は毎周中学二年生で精神疾患を発症し、しかし年を重ねていくごとに寛解して、二十八歳で大学時代の同級生と結婚、その後一児の母親となった。
 息子は毎周、高校時代の反抗期がひどく、そのたび妻と共に手を焼いたが、大学で一人暮らしを始めてからは程よい距離感がいい薬になったのか、それからは普通に仲のよい親子として関わることができた。息子は三十四歳で趣味の延長線で独特の趣味の音楽をかける喫茶店を経営し始め、それなりに繁盛し、仲間内でわいわいと、うまく切り盛りしているようだった。

 僕は毎周、死ぬたび追加で一年の延長時間をもらい、その延長時間だけが人生のちょっとした楽しみ、そして人生最大の不安要素として存在していた。
 知らない、ということがほとんどない人生で、死ぬたびに一年だけ追加される不確定な時間は確かに自由で有意義だったが、それ以上に、想像を絶するほどに恐怖として僕の肩に圧し掛かった。前周での死を回避した誕生日の翌日から、翌年の誕生日までの一年、僕は何をするにも「本当にそれでいいのか」と自分自身に問い続けた。その行いは、次の周から【固定】されるのだからと、それをお前は耐えられるのかと、常に自分に問うた。そしてそのたび答えは出ず、結局周囲に流されるように一年を過ごし、やはりお約束として翌年の誕生日に何らかの要因で死んだ。

 きょうで八十八歳の誕生日だった。同じ人生を、八十八回繰り返した。
 妻は数年前に亡くなり、子どもや孫は米寿の祝いだと久々に僕の暮らす家にやってきて、祝いの支度をしている。
「じいじ、これ、見て、ケーキ」
「どれどれ」
 箱の中を覗く。ケーキにはチョコレートのプレートが載っていて、【じいじお誕生日おめでとう!】という文字と、【8】の字を描いた赤い蝋燭が二つ突き刺さっている。
「あ、ちょっと斜めになってるね」
 孫が倒れかけた蝋燭を指先で整える。8、は、無限大によく似ているな。そんなことを思う。自分の人生のようだ。切れ目なく、永遠に繋がっている。しかし僕はきょう中に死んで、そして次は八十九回目の人生が待っているのだろう。そんなことを思う。もう感情も揺れない。


 夜。ケーキの上の蝋燭の日だけを灯りとして残し、部屋の電気を消して、家族がハッピーバースディの歌を歌う。ほらじいじ、吹き消して、と言われて、擦れた息で蝋燭の日を消す。
 部屋が真っ暗になる。

 と、次の瞬間、一気に明るくなって、そこは知らない白い空間になっていた。
 意味がわからない。家族のいたずらか? そんなことを思って椅子から立ち上がろうとして、すでに自分が立ち上がっていることに気づいた。おかしい、と思い自身の手を見る。皺ひとつない、張りのある肌。なんだ? 何が起きている? 僕は死んだのか? ならばどうして分娩室の赤子に戻っていない? もしかして、やっとあの輪廻から外れられたのか? 思わず目に力が入る。喜びで瞳孔が開いている気さえする。

 やっと、やっと、やっと、僕は死ねるのか?

 空間を見渡す。
 少し先に、一枚の紙が落ちていることに気づいた。随分と軽い足取りで近づき、それを手に取る。二つ折りのそれを開いてみると、まるで子どもが見本を見ながら書いたかのような字で、
【やり直す場合は①を、新しいを選択する場合は②のスイッチを押してください】
 と書いてあった。
 紙から目を話す。いつの間にか眼前に①、②、それぞれ書かれたスイッチが出現していた。
「新しい、を、選べる、のか」
 全く同じ、プラス一年、なんて、とうの昔に厭き厭きしていた。八十九回目の僕なんてもう懲り懲りだ。
 僕は一切の躊躇なく、満面の笑みで二番のスイッチを押した。
 途端に空間は真っ暗になり、自身の五感が全てなくなる。そして――


 *


「おめでとうございます! 元気な女の子ですよ!」


 *


 もう何回目のこの人生だろう。
「たっちゃんってなんていうか、達観してるよね」
 隣に並ぶ、彼に伝える。彼は、
「そんなことないよ。ガキはガキ」
 とっくに聞き飽きた台詞を吐いた。ああ本当だ、この時の自分はなんて子どもだったんだろう。
「あはは、高校生が自分のことガキって言い切れる時点で、なんか変だと思うけどなあ」
「まあ、事実は事実だからね。梨花にはまだちょっとわからないだけだよ」
 大昔の【自分】が言う。四十四回目の【梨花】の人生を生きる私は、八十八回目で転生した【自分】に向かって告げる。

「そんなことないよ。私にはわかるよ。私だけには、君の気持ちが、全部、わかるよ」

 そうだよね、早く、早く、死にたいよね。
 この輪から外れるまで、私は、私達は、いつだって、いつまでだって、死にたくてたまらない。
 早く、早く、早く。
 でも、次は、いくつのスイッチがあるんだろう。
 そんなことを、いつだって思っている。



(「そしてまた一年後」24.6.6)

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