柴田彼女
自作の小説をまとめたマガジンです。
小説「命、在るものになりたくて」(全22話)をまとめたマガジンです。
別名義で書いていた掌編・短編小説をまとめたマガジン。全26作、長くても6000文字足らず、10分程度で読める作品ばかりです。
小説「レーズンとオウムとミイラのワルツ」(全9話)をまとめたマガジンです。
怪文書、というと、少し大袈裟になるのかもしれません。 それでも正直、初めて見たときはぞっとしたんです。 崩れた、汚い、ギリギリ読める文字、でも小さな子どもが書いたわけではなさそうなその文面の紙切れが、三つ折りにされてポストに入っていたんです。 なんて書いていたかって? 【ユ未とオトモダチになって下さい】 です。 片仮名のユに、未満の未。片仮名のオトモダチ。ください、じゃなくて、下さい。 ユ未ちゃんなんて子が誰かもわからないし、そもそも私のところの子どもは男の子だ
母は小説家だった。 高校時代に執筆を始め、大学時代に目立つ賞をいくつか取り、流れのままに作家となった。 家庭を持ち、子どもを持っても、母は高いクオリティを保ちながらコンスタントに執筆を続けた。高頻度で出版される母の小説は、容易く私たちの生活の軸となるほどの金銭を産む。 父も父で働いていたが、一般企業のサラリーマンと母の収入には雲泥の差があった。 母はその程度のことで偉そうぶるような人間ではなかったが、父はどこかいつも申し訳なさそうに、あるいは狭苦しいような思いをして
その夜は妙に客入りが悪かった。 隣町で祭りがあるからそれなりの売り上げを見込んでわざわざいつものルートを逸らしてまで幹線道路まで出てきたというのに、回れども回れども道路脇で片手を上げてタクシーを待っている人間はいなかった。 個人タクシーだからこそ、一日一日の売り上げがリアルに生活に反映する。 いっそいつも通りのルートに戻ろうか、そう思いウインカーを左に切り、住宅街へ続く細道の門で、ようやくこちらに手を振っている男が目についた。俺はハザードランプを焚き、男のすぐ前に停ま
その、本当に言い出しにくいんだけどさ、最近極端に痩せてきている気がするんだけど……だいじょうぶ? 恐る恐る僕がそう伝えると、彼女は、あーバレたかー、と軽やかに笑って、 「ああ……あのね、食べるの、やめてみたんだ。“ナシ”のこと」 「え」 「今はこっそりインターネットで代替の植物由来の偽肉を輸入していて、それに切り替えているんだけど、やっぱり、代替品は代替品でしかないよね。そもそもネットで手に入るものなんて粗悪品だろうしね。はは」 彼女がコーヒーをすする。その頬にひどく濃
小説 マッチングアプリで知り合った、と他人に告げることに、なんとなく抵抗があるのは私が臆病者だからだろうか。友達には仕事の関係で交流を持ち始めたと嘘を吐いている。 彼はときどき目にするビートルズの写真みたいなマッシュボブの似合う、少し幼い顔立ちの男性で、流行りを取り入れながらシンプルに服を着こなす。収入は同年代の平均より四割ほど多く、女性と付き合った回数は私を含めて三人目だと言っていたが、年齢的にも経験的にも想像を優に超え、驚くほど紳士的で、よく気がつき、配慮に長け、思慮
周りの人たちは因習だとか時代遅れだとか犯罪だとかいろいろ言っていたけれど、私は別にそれでよかった。おばあちゃんの言うとおりにすれば村のみんなはしらひび様の祟りから逃れられるし、それによってあと五十年はこの村は恵まれた土地として痩せることもなくみんな充分満足に食べていけるらしいし、何より私は十五歳より先のことを一切考えずに生きることができたから。 行きたいときに山を下りて小学校に行って、そうじゃなかったらおばあちゃんと一緒に行動して、しらひび様の供物になるための存在として様
暗闇の中もがいている。 頭の先を引っ張られるような、掴まれるような感覚があって、次の瞬間、僕は光の中に突き落とされた。 「おめでとうございます! 元気な男の子ですよ!」 水色の服を着た女が言い、僕がいま通ってきた道が一人の女の体内だったことが判明する。 僕は産まれた。産んだ女の胸に抱かれる。温かい。 ああ、そうか。あと、二十一年か。 ただそう思う。 * 思い出は常に重なる。どれだけ抵抗しようとしても。 二歳の夏に階段から落ちて頭を縫ったこと。 幼稚園の
チッチは、 「ああ、君こそ魔法少女に相応しい。その秘められた力で、世界を救うんだ」 私の部屋の窓際、ゆらゆらと蜃気楼のように揺れるカーテンに見え隠れしながら、そう言って、ひょい、と私の肩に乗ってきた。二つに割れた尻尾の片方で私の頬を撫で、 「君は、きょうから魔法少女になるんだよ」 尻尾の先をマッチ棒のように光らせると、一つの指輪を私の前に出現させてみた。ぽう、と淡い紫の光と共に私の掌の中に指輪が納まる。それは私の薬指にぴったりのサイズで、 「これは【契約】だからね。契約
私は、教師だった。 生徒に物を言い、導き、教える立場だった。 今とは違う生きかたをしていた。嘘じゃない。嘘じゃない私は、また何者かにならなければならない。 丁寧な暮らしを続けて、その先に何があるだろう。心の安寧を手に入れて、いびつなまま心がくっついて、もうクリニックにも通わなくていいですよと担当医に言われて、そのころ私は何をしているのだろう。また教師に戻っているのだろうか。それとも別の何かに変わっているのだろうか。まだ丁寧な暮らしは続けているのだろうか。続ける余裕はあ
私の診察が始まる。案の定話の切り出しは医師からで、 「他の患者さんとちょっと仲よくしすぎかなと、看護師から話を受けていますが、いかがですか? 大丈夫ですか?」 とのことだった。 「外のベンチでお弁当を食べている時に、一方的に話しかけられているだけです。返事もそれほどしませんし、連絡先なども交換する気はありません。基本的にずっと無視しています」 端的に事実だけを述べる。医師は理想通りの回答に満足したように、 「それならいいのですがね」 と言って、そのまま話題は私自身のこ
中に入ると、看護師がいつかのように私を廊下の隅に追いやる。 「前も言ったけど、他の患者さんと深く関わらないようにね」 はい、と返す。深く関わっているつもりがないので、それ以外の返事ができない。看護師は続ける。 「どうせまた、女優だったころは、とか、ストーカーが、とか言っていたんだろうけど、犬塚さん、ここが地元で、一度も他の土地に出たことなんてないのよ。ずっと引きこもって、趣味が舞台鑑賞だから、でも引きこもりで外に出られないから、映像作品になっているものだけ観ていて。全部、
犬塚さんとまた会ったのは、秋になってすぐだった。診察時間を昼手前に戻し、案の定何時間も待たされ、外のベンチで昼食を摂っていると彼女は現れた。 「あ、あの時の人だ?」 私は、お久しぶりです、と、覚えています、の二つの意味を込めて小さく頭を下げる。 「あれ以来見かけないから、転院したのかと思ってた。また会えてわたしは嬉しいよ」 犬塚さんはベンチに座り、やはりこちらを見ずにそう言った。 「今年の夏は暑かったね。焼け死ぬかと思ったよ。なんとか終わってよかった」 「そうですね」
日々は続く。二週間に一度の診察は繰り返され、本格的な夏がくる。私は予約時間を夕方にずらしてもらって、数時間の待ち時間は待合室で本を読み、スマートフォンを触り、また本を読み過ごした。薬は一度ほんの少し減り、けれどそのまま停滞したままだ。 未だスーパーマーケットとドラッグストア程度しか行けず、それも非常に疲れを伴う行為であることに変わりはない。去年も着ていた服を今年も着ている。化粧品はインターネットでまとめて注文している。本も同様に、音楽は配信サイトで聴いているから何も困るこ
スーパーマーケットの、値下げコーナーでスイートスポットまみれのバナナを買った。ほとんど真っ黒で、よく売るなあ、といっそ感心する。それと同時、捨てられる寸前で、灯の消えそうなそれを見ているとなんだか今の自分の姿と重なってきてしまう。 親の仕送りで生きている自分。丁寧な暮らし、なんて言いながら、日々無駄に時間をかけて怠惰に生きているだけの、偽物の『丁寧』を続ける自分。いけない、フラッシュバックしてしまいそうだ。 かごの中に腐りかけのバナナを入れて、そのまま無人レジに向かう。
そこから更に一時間半、やっと自分の番がやってきた。担当医は四十代ほどの男で、患者の話を長く聞いてくれる。それがこの混雑に繋がっているのだけれど、こういうジャンルの患者として思えば話を聞いてもらえる機会は非常に貴重で、だからこそ何時間でも待てる。需要と供給が合っているのだ。時間が無限だったら、この医者は何時間でも話を聞いてくれるだろう。そんな安心感がある。 私は医者に今の生活を話す。できるだけ丁寧に暮らしていること、きのうはパンを焼いたこと、ケーキ作りに興味があること。今
再び涼やかなクリニック内に戻る。順番はまだまだ先だ。鞄から本を取り出して読もうとして、そこで一人の看護師が近づいてくる。 「名城さん。ちょっといいですか?」 「はい」 看護師に誘導され、薄暗い通路の端に立たされる。 「さっき、外でお弁当召し上がってたわよね?」 「はい。駄目でしたか?」 「ううん。お弁当はいいよ。むしろお弁当食べなきゃならないくらい待たせて申し訳ないね。悪いんだけど、どうしても混雑してしまうから時間通りに診察してあげられなくて」 「いえ、余裕をもってきてい