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完璧な恋人(小説)
小説
マッチングアプリで知り合った、と他人に告げることに、なんとなく抵抗があるのは私が臆病者だからだろうか。友達には仕事の関係で交流を持ち始めたと嘘を吐いている。
彼はときどき目にするビートルズの写真みたいなマッシュボブの似合う、少し幼い顔立ちの男性で、流行りを取り入れながらシンプルに服を着こなす。収入は同年代の平均より四割ほど多く、女性と付き合った回数は私を含めて三人目だと言っていたが、年齢的にも経験的にも想像を優に超え、驚くほど紳士的で、よく気がつき、配慮に長け、思慮深く、何より笑顔が素敵だった。余程ご両親の教育がよかったのかと訊ねてみたら、
「いやー、結構厳しかったけどね。それも今は感謝してるよ」
と、やはり軽やかに、そして爽やかに笑ってみせた。
趣味は散歩で、住宅街から、自転車や電車を使って近隣の山や川の近くまで行って、輝く世界を一傍観者として眺めるのが何よりの至福だ、と話す。無駄遣いもせず、貯蓄は潤沢にあり、しかしデートやイベントごとでの出費を渋るような格好悪さなんてどこにもなかった。
こんなにも完璧な人間が、なぜマッチングアプリなどで私と出会ってくれたのか、今でも不思議に思っている。平凡で、平均的で、良くも悪くも「ありきたり」な私に対して、彼はまるでお姫様のような扱いをしてくる。金銭目的か、詐欺目的か、性暴力目的か、と疑いもしたが、何か月と付き合っていてもそのような動きは全く見えない。それどころか、うっかり財布を忘れてデートに現れた私に、
「たまには割り勘じゃなくて、全部奢らせてよ。僕の男らしいところも見てほしいんだけどな」
なんて言って、豪華な食事にアクセサリーのプレゼント、帰り道は「何かあったら僕が怖いから」と、彼の自宅とは正反対の電車に乗って、一緒に私の自宅アパートのドア前まで送ってくれた。
こんなにもしてもらって、どうかお茶の一杯でも、それにお金も返したいし、と願い出た私に、
「ここにくるときさ、ふたりで電車に乗っていて。窓の外をみたら真っ暗な景色の先、斜めに横切る河が月明かりに照らされてちらちらと水面が揺れているのが見えてさ。右肩には君がうつらうつらと寄りかかってきてくれていて、ああ、幸せだなあ、って思ったんだ。きょうは、それで充分だよ」
そんなことを言って、踵を返して行った。
その後の帰りの電車で撮影して送ってくれた河の写真はあまりにも薄暗く、ぼんやりとしていて輪郭すらよくわからなかったけれど、彼が言いたかったことだけは、その濁りの中からでもきちんと抽出することができたと思う。
ああ、なんて、完璧な私の恋人。
業種的になかなか休みの合わない私のために、自身の休みには散歩中の写真を何枚かLINEで送ってきてくれる。
春には隠れ家のように密かにあるという、人気ない公園で撮ったブランコの写真。梅雨時には山の入り口かどこかで撮っただろう、雨に濡れた地面と、笹のような細長い葉のついた藪の中の画像。夏にはダムを上から撮った、強い日差しにきらめく水の塊。秋には一人キャンプでもしたのか、どこかの山道の、少し開けた場所で開けた缶コーヒーを左手に翳して写したもの。
仕事中にスマートフォンが鳴り、彼の名前が表示される。
【きょうの散歩も楽しい!】
なんて無邪気な文面と、一、二枚の写真が私の心を潤わせる。
続いて届いた写真には、幅の広い河が写っている。
【いいね! きのうの雨で増水とかしてないかな? 気をつけて楽しんでね!】
返事をすると、数分後にまたスマートフォンが音を立てる。
【ありがとう! 大丈夫だよ! そっちも仕事がんばってね! 近いうちデートしよう】
思わず口角が上がる。
ああ、私の、大切な、最愛の、完璧な恋人。
きょうは大田木村まで行っているんだね。この写真の河は、大田木河って言うんだね。電車に乗って随分と遠くまで出かけるから不思議に思っていたけれど、この河を私に見せたかったんだね。ありがとう。
密かに仕込んだ彼のスマートフォン、GPSアプリは私に彼の所在地を常に教えてくれる。
彼の基本的な行動圏内から逸脱するたび、アプリはポップアップでエラーメッセージを吐き、彼が今どこにいるかを私に密告する。大好きな、完璧な恋人。私が君の全てを把握してあげたい。何も漏らしたくない。あなたの人生に不安なことが起きないように、ずっと見守ってあげたい。
彼は大田木河にもう二時間ほどいる。河の流れにでも見惚れているのだろう。
いつもそうだ。私のスマートフォンが鳴って、彼の所在地が規定範囲外になった瞬間から眺め続けていると、彼は山や河に行って、そこで数時間を過ごしていることがわかる。彼なりの息抜きの仕方なのだろう。
でも、そんなところへ行って、もし暴漢にでも襲われたら大変だ。私は彼の行動を把握してあげている。そして彼の人生に不安が起きないように見守ってあげている。大好きな彼。大切な私の恋人。
どうか健やかな人生を送ってほしい。
私はきょうも彼という一つの【点】を、地図上で見守っている。
見つけてください
『喜多島春子ちゃん・四歳』
二〇一×年、四月××日
×××県、籐家町北部にある公園で、母親が七分ほど目を離した隙に行方不明になる
監視カメラに一切の記録がなく、何らかの事件に巻き込まれたとみられる
犯人は監視カメラの位置を把握していた可能性が極めて高い
『柚村みこちゃん・五歳』
二〇一×年、六月×日
×××県、追根村に住む祖母の家に両親と遊びに行った際、庭先でひとり遊んでいるところ行方不明になる
家族の証言により、誰もみこちゃんのことを見ていなかった空白の時間が十分ほど存在することが発覚する
近隣に監視カメラ等はなし
『九津漣くん・四歳』
二〇一×年、八月××日
×××県、成原市の公営住宅の入り口で蹲っていたところを近隣住人に目撃されて以降、消息不明
警察の調べにより両親から慢性的なネグレクトを受けていたことが発覚し、彼らに容疑がかかったが二人には明確な証拠があったため犯行は不可能であると判断される
近隣にはいくつかの監視カメラがあったが、それらの前を通る漣くんの姿は確認されず、事件、事故の両方で捜査が進められているが、事件である可能性が有力視されている
『弓良桐奈ちゃん・七歳』
二〇一×年、九月××日
×××県、大吹山に家族でピクニックへ行った最中、家族が目を離した数分の間に行方不明になる
まだ遠くまで行ってはいないだろうと家族で二時間ほど探した後、事故及び事件を考慮した母親が警察に通報
山中で缶コーヒーを片手に休んでいた二十代男性の証言により、山の上のほうまで歩いていく桐奈ちゃんらしき女児がいたことが判明する
男性曰く、一人で山奥まで行くのは危ないと止めたが「上でお母さんたちが待ってるから急いでいる」と振り払われてしまい、そういうものかと納得してしまったとのこと
引き留めなかった自身の行動に対し非常に憔悴している様子で、任意の取り調べ後は男性の恋人だという二十代女性が迎えにきた
『糸ヶ家夕来さん・二十四歳』
二〇一×年、十月×日
恋人と河に遊びにきた際、二日前の大雨で増水した河に高所から足を滑らせ転落する
恋人はすぐさま救出に向かおうとするも、流れの速さから断念し、スマートフォンで警察を呼びながら糸ヶ家さんに声をかけ続けるが、糸ヶ家さんは反応に応じる暇もなく河の流れに飲まれ行方不明になる
その後下流で遺体が見つかるが、捜査の結果、事件性は見受けられないとの判断が下る
現在恋人は心療内科への定期通院を行っている模様
(「完璧な恋人」24.6.18)
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