飛ばしても大丈夫
私が幼稚園の年長さんぐらいの頃、
姉が『知っていますか』という本をもっていた。
「ヒョウとライオンの子どもをレオポンといいます」
「びっくり! ラジオ人間!?」
なんていう小ネタを集めた子ども向けの読み物だ。
「お話」とは違う雰囲気がなんだか新鮮で、
姉が学校から帰ってくるまでの間をねらって
こっそりひとり占めするのが楽しみだった。
おそらく小学校中学年向けに書かれていたため、
5歳児には読めない漢字もあった。
でも前後の文脈からおおよその意味はつかめるし、
仮に漢字が読めたとしても
どうせ書かれている内容を
完全に理解できるわけではないので、
大きな問題はない。
タイトルの『知っていますか』の「知」という字も、
単体では読めなかったけれど、
おそらく「し」なんだろうな、と思っていた。
が、100%の自信はもてなかったので、
心の中ではこの本を『ていますか』と呼んでいた。
そして、私はあるとき大失敗をした。
姉にむかってうっかり、
「ねえ、“ていますか”貸して」と言ってしまったのだ。
その結果、どんな姉妹の間でも起こることが起こった。
姉は大笑いしながら、ここぞとばかりに
私をバカにしまくった。
「“ていますか?” 何それ?
こんな字も読めないの? バ~カバ~カ」
あのとき私は、大急ぎで大人になろうと決心した。
高校時代、日本史の先生が言った。
「日本人は坂本竜馬が大好きですけど、
私は、竜馬は過大評価されてると思いますね。
彼は西郷隆盛の使いっ走りです。
そして西郷隆盛も、ただのデカいおっさんです」
このひと言に影響を受けてしまい、
私はずっと、『竜馬がゆく』を手に取る気になれなかった。
初めて読んだのは二十代半ばになってからだ。
職場の同僚・Yに「たぶん、シバ田は好きだから!」と
勧められたのだ。
そうかなあ?
過大評価されてるたいしたことない男が
いい気になってる話でしょ?
などと思い、とりあえず1巻だけ買った。
その夜、寝る前に読み始めて明け方までやめられず、
翌日、2~8巻を買った。
その後も、くり返し読んでいる。
いろいろな読み方があると思うが、
私にとって『竜馬がゆく』は、
「大志を抱け」とか「大きな視野を持て」とか
「時代の先を見よ」とか
そんな教訓を与えてくれたり、
やる気や勇気を出させてくれたりする本ではない。
いい男が活躍する、ただただおもしろい小説だ。
後日、この本を勧めてくれたYにお礼を言った。
「Yのおかげで、坂本さまと出会えてよかったよ。
ありがとね」
Yは言った。
「そうでしょ?
シバ田は時代小説も好きそうだから
楽しめると思ったんだ。
私はさ、出てくる人の名前や地名が
漢字だらけなのは苦手なんだけどね」
「……え? でも、おもしろかったんでしょ?
坂本さまのファンなんでしょ?」
「うん。漢字を読むのがめんどくさいから、
“竜馬”って文字が出てくる周りだけ読んだんだけどね。
ほんと、竜馬っていいよね~」
本当におもしろい本というのは、
読みにくいところや読めない漢字を飛ばして読んでも
満足できるものなのかもしれない。