私の不登校と家族、とHSP
さっきバリバラでHSCのことを特集していた。
私はもう大人だからHSP。敏感さん。
バリバラに出ていた子のように、小さい頃から他の人の目を敏感に気にして生きてきた気がする。今思えば、HSCだったと思う。
でも、HSPを知ったのも去年である私は、そんな子供の頃も、誰が悪いわけでもないのに学校に行くと疲れてしんどくて、自分のことが嫌いになった中高時代も、自分が敏感であることを知らなかった。
私は中学2年の春から中学卒業まで不登校だった。原因は、学校に居場所が無くて孤独だったからだ。
でも、あの孤独さは私の敏感さが創り出したものだったと今では思う。
相手の一言や話すトーン、顔色、時には目線で、嫌われてるか嫌われてないかを自分の元々敏感なレーダーで判断してしまっていた。
そのために、最後は周りの人全員が私を嫌っていると思うようになった。
そして、誰とも上手く話せなくなってどんどん孤独になっていた。
と、今ならこう考えられるのだけど、14歳の私は、自分で周りの人に嫌われてると思ったらそれは事実だとしか思えなかったし、なんで自分はこんなに嫌われるんだろう、誰にも好かれないだろうと人生で一番辛かった。それを誰にも言えなかった。
それで、中2の春にギブアップした。
学校を休めて最高に幸せだった。学校を休むだけでこんなに幸せになるのかと驚いた。もちろん学校に行けない自分への憤りは常にあったけど、あんな怖い学校には絶対に行きたくない。と思っていた。
でもただ学校を休んだから幸せだったのではなくて、家族の理解があったから幸せに家で過ごせたのだと思う。
私の家族は3世代8人家族で両親は共働きで、昼間は基本的に祖父も祖母が家にいる。
だから学校を休んだ私をいつも目の当たりにするのは、祖父と祖母だった。
私は学校休めて幸せだ〜と呑気に過ごしていたけど、田舎なので噂はすぐ広まっていただろうし、うちは良くも悪くも目立つ家だった。その時の家族の気持ちを思うと、胸が締め付けられる。
だけど、祖父と祖母は昼夜逆転生活を送る私を見ても、無理して学校に行くように言わなかった。
もちろん色々言いたいことは山ほどあっただろうし、私の見えないところできっと泣いていたと思うけど、私の前では休みたいだけ休んでいいよという態度をしてくれた。
祖父祖母に加えて両親も私の不登校に理解があって、その安心感で私は十分に休めて、次のステージに向かう力を溜めることができた。
本当に家族には感謝してもしきれない。
だけど最近になって、どうして家族は私の不登校に対してあんなに理解があったのだろうと疑問に思った。
そんな疑問を抱えた帰省の間で、どうやら祖父がキーパーソンだぞ、と分かった。
そこで深い話を聞きたいと思って、祖父と2人でドライブにでかけた。
私「私が学校休み始めた時、おじいちゃんはどう思った?」
祖父「〇〇は小さい頃から他の子より敏感だったけん、いつか爆発する時が来るなぁと思ったわね。学校休み始めた時は、ようやく来たなぁ〜と思ったわ。」
私は、祖父がさらっと「〇〇は敏感だ」と言ったことにとても驚いた。
私はあの頃もそして最近まで、自分が人よりも敏感であることに気づかなかったのに、なんでおじいちゃんがその当時から気づいてるの!?衝撃を受けた。
しかも家族の前でそんな素振りは見せず、ただのいい子だったのに…。と思ったけど、祖父はそのいい子さから私の敏感さを見抜いていたらしい。
そんな私よりも先に私の敏感さに気づいていた祖父が家族に「この子は大丈夫だから。休みたいだけ休ませれば大丈夫だから。」と話してくれていたことが、家族が私の不登校に理解があった理由の一つだった。
私は今でも自分の敏感さに悩まされるし、周りの人全員に嫌われている、と感じて辛いときもある。
だけどHSPを知り、同じような特性を持つ人も多くいることを知り、昔に比べて随分生きやすくなった。
自分のことも好きになれるようになった。
でもこの状態は私の敏感さを理解してくれた家族のおかげなくしては、あり得なかった。
もしかしたらおじいちゃんはHSPのことを知っていたのかもしれない。
それは分からないけど、HSPを知る人が増えたら私のような理由で学校に行けなくなった子供への理解もきっと高まる。
理解が高まることで、不登校の子がその先学校に行ける行けない、仕事をするしないに関わらず、「幸せだと感じる」未来を掴む確率も高まるのではないかなと思う。
そんなことをバリバラを見ながら考えた。
おやすみなさい。