『八犬伝』を観に行って、虚と実について考えた話
久々に映画館で映画を観に行きました! 『八犬伝』!
わりと好きですよ、八犬伝。こんな記事を書きましたし。
八犬伝を劇中劇として、それを書いている馬琴の話だと聞いて、柳川さんが出てくるかなと思ってましたが、出てきませんでした。
だけどお路ちゃんの話、ガッツリやりました!
お路ちゃんの存在はFGOで知りましたが、改めて映像としてみると、お路ちゃん……本当に頑張ったんだな……。
お路ちゃん……旦那さんが亡くなって、でも旦那さんの頼みだからって八犬伝を手伝って……。映画では感情の乏しい人でしたが、旦那さんのことは愛していたんでしょうね(ほろり)
八犬伝パートでは、板垣李光人くんの毛野がヤバかった……。
最初からもう、低音ボイスの美女にしか見えなかったもん……。
どうする家康での女装も美少女にしか見えなかったけど、マジやばい。李光人くんの女装もっと見たい。ヤマトタケルとかしてほしい。
とまぁ、ここからは少し真面目な感想を書きます。
『虚』と『実』の割合の話
私は歴史オタクで、歴史創作民だから、たまに考えるんですよ『虚(フィクション)』と『実(史実)』の匙加減ってのを。
個人的な創作のスタンスとしては『修羅の刻』の「これは私にとっては史実です。あなたにとっても史実だったら嬉しいなぁ」でファイナルアンサーなんですが……。
なんていうか商業作品というか大人気作品となったら「もうちょっと史実に配慮してくれ」という気持ちもあるというか……。この作品の〇〇像がスタンダード化するのは勘弁してくれという気持ちというか……。
映画内での『虚実のスタンス』は「滝沢馬琴」「葛飾北斎」「鶴屋南北」の3通り出て来て、私はたぶん滝沢馬琴に近いとは思うんですが、鶴屋南北の気持ちもわからないでない。
結局は読者(観客)に委ねるしかないのよね……。
うむむ……咀嚼するには、山田風太郎の小説も読みたいところ。