承久記の順徳院と九条道家のやりとりから学ぶメンヘラ対処術

最近「承久の乱」関連の本が次々に出版されていますね。
坂井孝一先生の「承久の乱」本郷和人先生の「承久の乱」

ちょっと学術的な内容の本も、3月中に2冊、以降も2冊出版予定です。
おそらく、承久の乱から800年後の2021に向けて多くの承久の乱関連の本が出版される事でしょう。

そこで、必ず取り上げられるのが「慈光寺本承久記」なんですが、これ、現代語訳がないんですよ。
「無いのなら 作ってしまえ」の精神で、「高校の時に古文の成績が良かった」程度の素人程度の知識ですが、がんばって現代語訳をしました。

4/6 で六本木でやる 「おもしろ同人誌バザール」(スペースno65) で頒布予定なので、よろしくお願いします。

さて、前置きはここまでで
本題です。

順徳院について

まぁ、承久の乱については義務教育でやっているので、今更感がありますが、

簡単に言うと

1. 鎌倉幕府の将軍がいなくなって実権を持った北条義時のドヤ顔がムカついた後鳥羽院が追討令を出した。
2.「やべー。このままじゃ鎌倉幕府解体するし、最後の意地で一矢報いるわー」と反撃したら勝っちゃった。
3. とりあえず後鳥羽院隠岐に流すわー

って感じです。

順徳院は後鳥羽院の息子で、鎌倉幕府絶対潰すマンでした。
何故かと言うと、彼はおばあちゃんに育てられてたおばあちゃん子なんですが、そのおばあちゃんが平家一門の出身なんですよ……。

鎌倉幕府絶対潰すマンになるための英才教育を受けたと言っても過言ではないでしょう。

まぁそんな感じで順徳院も戦の首謀者として、佐渡ヶ島に流されるんですけど、その場所が古い民家で荒れに荒れてるわけですよ。
配流先について行ったお気にの家臣は、病気になって帰っちゃって、順徳院は一人寂しく病んでいきます。

そして仲が良かった左大臣の九条道家に、めんどくさい彼女みたいな病みメールを出します。

それがこちらです

順徳院からの手紙

長いので画像にしました。
高校時代、古文の成績良かったなー程度の人なら、理解できる範囲だと思うので、ちょっと読んで下さい。

3行に超意訳すると

もうマジムリ。。。家に草はぇてゑ。。。ァタシは草はぇなぃのに。。。
都に帰りたい。。。でもどうせ みんなァタシの事嫌ってるんでしょ。。。
もう生きるのヤダ。。。死にたい。。。

って感じです。
……いやほんとですって。
後半になるにつれてめんどくさい彼女みたいな事言っています。

これになんて返事したら正解なのか……
その模範解答がこちらです。

九条道家の返事

これも3行に超意訳すると。

わかりみー。私も左大臣やめてから、あなたといつ会えるのか、見当もつかなくなっちゃって、毎日泣いてるー。
あなたと遠く離れて、会いたくて会いたくて、生きるの辛い。
生きるのは辛いけど、またあなたに会える時を待っている。

いやマジこんな感じなんですって。

なぜこれが、病みメールの最適解かといいますと……

アイメッセージしか書いてないんですよ。コレ。

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