目的地のない散歩
引越し先を探している。
どこを目指しているわけでもなく、いい感じの街を探して、歩くのが好きだ。
ルールはない、どこを歩いたっていい。
目的地がないから、遠回りも道草も存在しない。ちょっと暑いから日陰の道を探そうとか。あの道好きだなとか。とにかく、自分の直感に従って、その街を歩くことが目的だ。
これは一人でやるのが醍醐味だ。
どんなに仲が良い人でも、誰かと時間を過ごすということは、二人の目的を共有する必要が出てくる。
街を、早くもなく遅くもないペースで歩くことだけを考える。
ずんずん進む。
目の前に現れた文字を読む。
ずんずん進む。
いい感じの喫茶店を見つけて、今度来ようかな、なんて考える。
ずんずん進む。
その間に、誰かのことを考えている暇はない。とにかく自分勝手に歩く。一人でやる方がいいに決まっている。
地図アプリがなかった頃は、自分がどこに居るのか分からなくなるのが不安で、ここまで没頭して楽しんでいなかったように思う。
どこに居るのか確認してみたり、近くのあの駅を目指して歩いてみようとか、最終目的地はないけど、ひとまず歩く。体力の限り。
ふと、振られた時のショックが強すぎて、あんまり眠れていなくて、でも、脳が働くのをやめなかった時期に、じゃあ、身体を疲れさせようと思い立って歩いた日を思い出した。
初夏だった気がする。
とにかく手持ち無沙汰で、何も考えたくなくて、初めて、高円寺の阿波踊りを観に行った。
エネルギーが、すごい。
同じ格好をし、同じ方向を向き、同じ踊りを踊る。
声を合わせる。音楽が鳴り響く。
曖昧な意識の中、身体の全感覚が、阿波踊りのリズムに持っていかれる。
そして、特にキレよく踊る若い男性が目に入った。彼の指の先からつま先まで、些細な動きの全てを見逃してはいけないような気がした。
今思うと、自分の作り上げた鬱々とした世界の中で生きていた私が、私の外の世界に気づいた初めての瞬間だったのかもしれない。
私は、今まで、自分の作り上げた鬱々とした世界を通して世界を見ていた。生きる価値もない私以外は、素晴らしい人間が生きている世界だった。
ふと、阿波踊りの一番前で踊る彼を見て、「今日という日のために、どれだけ準備をしてきたのだろうか?」と彼の世界を想像した私がいた。
それまでの私は、「私だったら」がまず先行していて、純粋に他人の背景を考えることなどなかったように思う。そして、その世界は、私の世界とは全く繋がりのない、彼が創り上げてきた世界だ。
私が見てきた世界は、私が創り上げた世界だ…
「もう限界だ」と言って、私以外の好きな人ができた彼も、私の創り上げた、何をしても、私の声が誰にも届くことのない鬱々とした世界の中で生きて欲しいと願っていたのかもしれない。
気づけば、阿波踊りの彼の踊りは終わっていた。
私は、無我夢中で彼を追いかけていた。「ここで話しかけないと、後悔する!」
「あの!!」
阿波踊りの彼が汗だくになりながら、不思議そうな顔で振り向いた。そりゃ知らん人が突然話しかけてきたら、そういう反応だろう。
「突然すみません!!!踊りがすごい素敵だったので、とにかく、それを伝えたくて、よかったら握手してください」
「あぁ、いいですよ」と彼は爽やかな笑顔を浮かべて、手を差し出してくれた。
興奮が覚めやらなかった。それは、阿波踊りのリズムのせいなのか、私が言ったことに、他人が動いてくれたことにびっくりしたのか、とにかく、興奮を覚ますために、歩かなきゃと思った。
気づけば、高円寺から西荻窪まで10km程歩いていた。
途中に立ち寄った神社でお参りした。何を願ったかは覚えていない。ただ、私は、生まれて初めて、自分のために願った。
気づけば、足が棒のようになっていた。もう歩けない、と思った。
その日は、倒れるように寝た。久々によく眠れたように思う。
私は、その時気づいたのだ。歩くことが好きだと。とにかく、自分の直感を信じるだけの目的のない散歩が、私の遊びのない人生に欠けていたものだ、と。
久々に、そんなことを思い出して、目的ない散歩をしている。
そろそろ夕立が来そうだ。帰ろう。