「るん(笑)」(酉島伝法)
・薬の効果を、わたしはどうしたら確信できるだろう。
・例えば頭痛。痛みを感じて薬を取り出す。薬が入っている箱にはいかにも頭痛に効きそうなイラストが描かれていて、薬の見た目もいかにもな「錠剤」で、この人工感が薬の”見た目効果”を増幅している。
・箱の裏には、この薬を構成している成分が細かく記載されているけれど、当然のことながら、わたしにこの妥当性を確かめる術はない。大手の有名な製薬会社が出している商品だから大丈夫だと妄信している。もしもこの成分の表記に嘘があったり、製法に問題があったとしたら、その製薬会社は法的に罰せられるわけだし。と。
・この頭痛薬がただの無味無臭のタブレットだったとしてもわたしが気づくことはできない。もしかしたら自分の自然治癒で痛みを感じなくなったタイミングと薬を飲んだタイミングが一致しただけかもしれないし、薬にはなんの痛み止めの効果もないけれど、プラシーボ効果で痛みを感じなくなったかのように錯覚しているだけかもしれない。
・わたしが薬を頼りにする理由が”信用”だとするならば、”得体のしれない民間療法”に熱心に頼る人がいたとして、わたしはそれをどう論理的に批判できるだろう。わたしが薬の製造元の企業のことを信用しているように、民間療法派が、その地域に伝わる伝説や”神様”を同じ深度で信用していたら、どう批判することができるだろうか。
・「るん(笑)」は、スピリチュアルと科学が逆転してしまった日本が舞台になっている。同じ世界観を共有した短編が3つ入っており、それぞれ主人公が異なる。
・1作目「三十八度通り」では、結婚式場に勤める青年。2作目「千羽びらき」では、闘病を続ける老齢の主婦。3作目「猫の舌と宇宙耳」では、小学生の少年がそれぞれ主人公となり、彼ら視点から見た、この世界での”日常”が描かれる。
・スピリチュアルを信用していない人間(わたし)にとって、「るん(笑)」で描かれるスピリチュアルの数々は、あまりにこの世界における信仰心が根深すぎて、読み進めるほどに疲れがたまる。吐き気を催した時のように、つばの飲み込みが悪くなる。
・人々は”心縁”と呼ばれる、いきすぎた”ご近所づきあい”のような独特な関係性によって結束している。
・外出時には「思考盗聴」を恐れて皆サンバイザーを深々とかぶり、風邪を引けば邪気を払った水に満月の光を当てた「愈水(ゆすい)」を飲む。
・科学的な薬や手術を提供する病院は存在はしているものの、住民からは「病院へ行くと地縛霊になる」と忌避され、病院の外壁は罵詈雑言の落書きで埋められている。
・こんな世界でも薬を求める人はいる。
・薬を求める人は、心縁たちを裏切って病院へ駆け込むか、人通りの少ない路上で個人的に薬を売っている「ヤクザイシ」と呼ばれる浮浪者から買い付ける。普通の薬が、まるで現代の覚せい剤取引かのような扱いを受けている。
・上記に挙げたスピリチュアルの世界観は、「るん(笑)」で描かれるスピリチュアルの1割にも満たない。常軌を逸した習慣。この作品でしか登場しない聞き覚えのない用語が次々と飛び出す。
・凶悪な敵も現れないし、世界を崩壊させるような大事件も起こらない。
・淡々と、主人公たちの日常が描かれる。家族や近所の人(心縁)とのやりとりから描かれる人間関係。職場や学校での様子。
・それでも、特に1作目「三十八度通り」を読み切るには、この異常性と向き合う相当な根気が必要だ。
・だけど。
・「るん(笑)」の魅力はこの異常な世界観だけではなく、読み進めるごとに実感する”体験”にある。
・人は異常な環境にいても、すぐに慣れる。
・外から見たらどれほど異常な職場だったとしても、それが当たり前の環境だと思って生活できるようになってしまう。
・環境を離れて初めて、「あの環境は異常だった」とか、「今思い返すとあの時の自分は鬱だった」とか気づくことがある。
・「るん(笑)」を読み進めていくと、わずか300ページほどの間に、異常への忌避感、異常への慣れ、異常だったことの気づき、を体験することができる。
・先ほど書いたように、本作の短編3作は世界観を共有している。1作目で描かれたスピリチュアルな風習が、2作目、3作目でも登場する。そのため、2作目を読み進めるときには、1作目で登場した風習については、既に知っている風習として、違和感がいくらか緩和された状態で読み進めることになる。
・そしてこの慣れは、3作目「猫の舌と宇宙耳」において最も効果を発揮する。
・3作目まで読み進めれば、もうこの世界のスピリチュアルな習慣はひととおり描かれたかと思いきや、3作目では新たに書かれる習慣や「文字」が次々と出てくる。1作目を初めて読んだ時のような違和感の連続を思い出すことになる。
・しかし、3作目を読んでいるときには、わたしはその新たに書かれたスピリチュアルに対して、「読み」が利くようになっている。
・これまでの1作目、2作目でこういう習慣が描かれていたから、この新たに書かれた習慣にはこのような意味があるのだろう、だとか、わざわざこの漢字が当てられているのは、こういう意味合いがあるからだろう(本作では「疲れている」を「憑かれている」と表記するなど、独特の漢字の当て方が試みられている)、だとか、この世界に慣れている自分の存在に驚く。わたしはあれほど忌避していたスピリチュアルの世界に、いつの間にか違和感を感じなくなっていた。
・「るん(笑)」は、異常に見える世界に自分が置かれたとき、そこから自分の感覚がどのように変化していくのか、読み進めるほどに自分自身の身体で実感できてしまう、体験型アミューズメントだった。