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日記:国会図書館で赤染晶子『じゃむパンの日』を読む
国会図書館へ行くと、なぜか国会図書館で読もうとした本ではなく国会図書館へ持って行った本(空き時間に読む用)の読書がはかどるので、その感想を書きたくなります。今回は赤染晶子『じゃむパンの日』(palmbooks, 2022.)。
国会図書館へ行き、マンガを読む人の集いを見かける
今日も今日とて国会図書館に行った。前回同様、鹿の毛玉について調べるためだ。
前回は目新しくて、いちいちきょろきょろしていたけれど、今回は入館も図書の閲覧請求も慣れたものだ。さくさくと本館2Fの図書カウンターで目当ての本を受け取り、閲覧席へ向かおうとすると、ふとカウンター前のベンチに座る人々に目が留まった。
6~7人くらいの老若男女が、みんなマンガを読みふけっている。背広を着たサラリーマン風の中年男性、20代くらいの女性などみな様々で、少し離れたところには靴を脱いで立膝で漫画を楽しむフリーダムなお兄さんもいた。
「国立国会図書館には国内の出版物すべてが収蔵されるので、例えばジャンプ全巻一気読みも可能だよ」という文言は国立国会図書館の利用方法について調べている時に何度か目にしていたけれど、実際マンガを読みに人々がこんなに集まっているのか。
そしてみんなカウンター前に群れているのもちょっと面白い。出庫したらすぐ読むという固い決意を感じる。いつもあそこに集まっているのだろうか? 夕方、散歩中に偶然スズメのねぐらになっている街路樹を見つけた時のような気持ちになりながら横を通り過ぎた。
実際、国会図書館は閲覧だけなら基本的に無料だし、朝から晩まで空いているし、フリーWiFi飛んでるし、売店もカフェもなぜか理容室も揃っている。
娯楽の選択肢としては百億点満点だ。(もちろん、あの中にはマンガを対象にする研究目的の人もいたかもしれないけれど)
かくいう私も、国会図書館に行くと趣味/娯楽の読書がめちゃめちゃはかどる。閲覧請求した図書の出庫待ち、複写資料の完成待ち……という待ち時間はもちろん、出庫してもらった図書を読み疲れた時も、ついつい持ち込んだ本に手が伸びてしまうのだ。
私が国会図書館へ行くのはおもに調べもの目的で、それなりに対象への興味や熱意も抱いているのだが、どうしても閲覧する資料は読む「義務」があるものと感じてしまう。なので、もって20分、ひどいときは1ページ読んだらもう、持ち込んだ娯楽用書籍に逃げ込みたくなる。
赤染晶子『じゃむパンの日』
ちなみに今日の娯楽用書籍は赤染晶子『じゃむパンの日』(palmbooks, 2022.)。先日の文学フリマ東京で真っ先に買った本だ。
![](https://assets.st-note.com/img/1669292425461-rWzdDCNOqW.jpg?width=1200)
はじめまして、palmbooksです。今秋スタートする個人出版社です。
— palmbooks | パームブックス (@palmbooks_) October 17, 2022
palm(てのひら)の言葉のとおり、一冊の本を、手から手へ。その本に宿った熱をそのままに届けていきます。
1冊目は、赤染晶子さんのエッセイ集『じゃむパンの日』12月1発売予定です。 pic.twitter.com/1rSZdAvH0P
赤染晶子の文章は、すぱすぱと小気味よいリズムで独特の論理をもつ世界がてきぱき組みあがっていく。例えばこんな書き出し。
わたしは自動車教習所に通った。教習所には野良猫がたくさんいた。数えたら、十八匹いた。なぜですか。教官に聞いた。「猫さんに聞いてくれ」と言われた。わたしは車に乗る。教習所内のコースを走る。コースの中にも猫がいる。道の真中で日向ぼっこをしている。わたしは待つ。猫にクラクションを鳴らしてはいけない。
読み始めてすぐは「何だ、何が起こっているんだ」と戸惑うが、数ページめくっていくと徐々に慣れてきて、最後は読者であるわたしも童話の「赤い靴」を履いたみたいに著者の刻むリズムで踊り狂わざるを得ない、という気持ちになる。
美術館で音声ガイドを借りたら見知らぬおじさんと一緒に展覧会をめぐることになった話、ハエ取り紙にハエがくっつく瞬間を凝視する話、新・蝶社(こんなに華麗な伏字があるだろうか)の作家用旅館に泊まる話など、エピソードそのものの面白さも磨き抜かれている。
中でも巻末の翻訳家・岸本佐知子との交換日記では、京都最大の禁忌、「京都人は本当に『ぶぶ漬けあがっておいきやす』的やりとりをするのか」という謎に迫るドラマティックな展開が光る。面白すぎて東京メトロの車内で読みながらものすごいにやけてしまった。マスクしててよかった。
著者は京都府舞鶴生まれで、作中でも京都を舞台としたエッセイが多く出てくる。エッセイの初出をみると、京都新聞で2010年ごろ発表したものが結構ある。ちょうど私はそのころ京都で中学生~高校生をやっていた。当時、地元の新聞でこんなに面白い書き手の人がいたなんて、それを見逃していたなんて……しかも著者は2017年に早逝されているとのことで、こんなに面白い人の新作がもう出ないなんて、という悲しみや悔しさがある。
けれど、5年前に亡くなられた作家のエッセイを今出版した方がいること、そのおかげで『じゃむパンの日』を手に取れたことは本当にありがたいことだと思う。
文フリ、とてもいい本を買ってしまった。