津村記久子『苦手から始める作文教室 ──文章が書けたらいいことはある?』
私は毎日日記をつけていて、「前日こねたパン生地が発酵してあまりにもふくらみ、タッパーの蓋を自力でこじ開けているのを発見した」などしょうもないことをせっせと書いては、それでも夜寝る前に「これもあれも書けていない」と思いつつ眠りに落ちています。頑張って日記を書いても、全部を記録できないなら意味がないのでは? そもそも誰にも読まれないし……
などとつらつら考えている中で、津村記久子『苦手から始める作文教室——文章が書けたらいいことはある?』(筑摩書房, 2022)を読みました。
元々はWebちくまでの連載を1冊にまとめたもの。1章は下記から読めます。
タイトルが「自由作文のテーマをどう選ぶのか」となっている通り、基本的には小学生~高校生くらいに向けて、作文とか読書感想文をどう乗り切るのかのノウハウを説くものですが、もちろんnoteやブログを書く大人たちにもがんがん響く内容です。
ゆるく寄り添ってくれる文章指南書
世に文章指南書はあまたあるかと思いますが、(そして私はそのごく一部しか読んでいませんが、)この本ほど友達のように隣に寄り添ってくれるものもなかなかないのではと思います。
なにしろ第1回目からこのような調子。
肩の力がほどよく抜けた文章で、講師というよりは部活の先輩のような感じです。
幼い頃は単に背伸びして、年を重ねたら無知を笑われるのを恐れて、「わたしは〇〇ができません/知りません」と素直に言うことはいつも難しいことです。さらりとこういうことが言えるようになりたい。
本文はその後、「そもそも作文をわざわざ書くとなんかいいことあるんだっけ?」というような問いへと続いていきます。……続いていくものの、「第3章 作文はどう書いたらいいのだろう?」の書き出しはこんな感じ。
この、のっけから膝カックンしてくる感じ、好きだ! と思わず叫びたくなってしまいます。こういうひょうひょうとした文章がここかしこに潜んでいて、読みながら全然油断ができません。楽しい。
メモをとることで自分の輪郭がわかる
本書で感銘を受けたのは、自分の考えを書き留める行動(=メモをとる)は自立につながるというくだり。
本書の第3章「作文はどう書いたらいいだろう?」で、「自分が関心のあるもの、興味のあるもの、よく考えているものを探すのがどうも良さそうです」という津村さん。
続く第4章「メモを取ろう」で、そうした関心・興味のあるものをつかまえるために、くだらないものでもなんでもどんどん考えたことをメモに取ることを提案します。さらに、そのメモは誰にも絶対見せないこと(そのほうが「めちゃくちゃ」自由に書くから)。上記で引用した文章は、そのメモを取る意義についてのくだりで出てきたものです。
脳裏によぎったどうでもいい考えを書き留めることが、自立につながる。こうして抜き書きすると突飛な気もしますが(本文ではかなりページを割いて丁寧に説明されています)、毎日めちゃめちゃしょうもない日記を書き散らしている自分としては実感のある言葉です。
感じたことを言葉にするだけだと、その考えは「嬉しい」とか「しんどい」とか一語に集約されてしまう。
けれど、その単語を書いてしまえば、自分で「どう嬉しいのか」を「返信」できる。メモを書くのはたった1人でやっているSNSのようなもので、自分自身の得体の知れなさに少しずつ輪郭を与えていくような作業なのだろう、と思います。
そして、たぶん「すべて」を書き留める必要も別にない。自分の感情全部を書き留めることは物理的に難しい、ということもさておいて、その時点で書けないことは「まだ自分の輪郭をとらえられていないこと」だから、それを書きたいと思うのであれば貪欲にどんどんメモを取るしかない、ということなのでしょう。
ちまちまと日記を書き、その中から人目に耐えそうなものをこれまたちまちまとnoteに上げている身としては、なんだか背中を押される文章です。
ちなみに、文中には津村さんの書いたメモも実録されています。淡々と状況を整理しつつたまにジャブのようなつっこみが入っている『マルタの鷹』の読書メモが個人的に好き。
具体的な作文ノウハウも紹介
もちろん、その他にも具体的な作文のノウハウ(書き出しをどうすればいいのか、文章の題材をメモするやり方、「良い文章」を書くには)もふんだんに紹介されています。
特に書き出し、「ゼロ文目(今からXXについて書きます)」をまず書き、徐々に情報をつけ足していくという方法はすごい実践的。
子ども向けなので読みやすく、かつ内容もnoteにエッセイを書いている方にはかなり刺さるのではないかと思います。ぜひ、この秋に手に取ってみて下さい。