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場面緘黙症の娘ちゃん①

場面緘黙症とは、ある状況(例えば本人の安心できるかんきや人など)では問題なく話すことが出来るが、ある特定の状況下(例えば本人の不安や恐怖、緊張の高まるような場面)では話せなくなったり(緘黙:かんもく)、身体を動かせなくなる(緘動:かんどう)不安障害のひとつである。

そのような障害を背負って生まれてきたのがうちの三女ちゃんです。

幼稚園にあがるまでは特に発達検査でも問題なく育ってきました。強いて言うなら、言葉数は少なく大人しくはありましたが、言葉の理解も出来ており、姉達と外で遊び回ることも出来ていました。

入園式では泣いて俯いたままになってしまい、結局笑顔での入園写真は撮れませんでしたが、その時は、初めての幼稚園で緊張したかな、という程度でしか考えていませんでした。年少時は、二歳上の二女ちゃんも一緒の幼稚園に居た為、最初の一週間程度、私と離れる時に泣いたくらいで後は大丈夫でした。

ところが二女ちゃんが小学校へ入学し、三女ちゃんが幼稚園年中児となってから、いよいよ私を悩ます数々の問題が生じてきたのであった。

一番大変だったのは朝の登園でした。毎日毎日、もう本当に毎日、幼稚園の玄関先で、もはや母と今生の別れか、という程に泣きまくったのである。

年中時には幼稚園行事も何かと先生や私の手がかかる様になっていった。運動会や発表会など人の目があるところでは表情や身体がこわばり、先生や私が手を引いて持ち場につかせる事が当たり前のようになってきたのである。その時はまだ成長段階のひとつ程度か、運動会や発表会は苦手なんだな、くらいにしか思っていなかったのである。何故ならカレーパーティや焼き芋会、夏祭りなど親が一緒に行う行事に関しては、なんてことなくお友達と笑顔ではしゃぐ姿も見られており、安心していたのである。

ところが年中後半、幼稚園のお誕生日会では、誕生月の子の親も招待されて誕生日会を一緒に参観出来たのであるが、12月生まれの子が娘1人になったその年、参観していた私はさすがに娘の様子に不安を感じたのである。

誕生日会の主役、娘がみんなの前に立たされ、恒例のみんなからお祝いの歌をご披露されていた時から既に表情がこわばり始め、先生やお友達からのインタビューではもはや立ち尽くして今にも泣き出しそうな顔で俯き、結局一言も話せないまま終わってしまった。

普段ずっと幼稚園の様子を見れるわけではなかった為、この娘の様子に結構衝撃を受けた私は、今までの娘の様子を思い返しながら、以前何かのテレビ番組で知った『場面緘黙症』が頭の片隅をよぎった。

誕生日会の日、私は先生に『娘はよくこういう感じになりますか?』と尋ねたら『普段人前に立つ機会があまりないですから、恥ずかしがり屋さんな三女ちゃんはちょっと緊張しちゃったみたいですね』という様な返答だったと記憶している。ちょっとどころではないような緊張ぶりだと感じたのであるが、その時は『そうみたいですね』と特にそれ以上は言わなかったし聞かなかった。

ただ『場面緘黙症』という言葉がその当時私の頭をよぎった事で、個人的にその情報を調べ、文献を読み漁り、調べれば調べる程に、やはり娘はそうなのではないか…?と思い始めてきたのである。
それはほんの短期間、精神科リハビリに仕事で携わった事がある私の浅い経験と知識がそう思わせているだけなのかもしれない、という疑念も持ちながら。

年中最後の保護者面談で思い切って私は先生に『娘はもしや場面緘黙症なのでは…?』と相談してみた。先生は場面緘黙症とはなんぞや?というような感じだったので、コピーした文献を持って行って簡単に説明したのであるが、先生は『お母さんは医療のお仕事をされてるし、そう思われるかもしれませんがきっと気にし過ぎですよ。今までもああいった感じのお子様を何人も見てきましたが、三女ちゃんも人よりちょっと恥ずかしがり屋で人見知りが強いだけで、慣れたらきっと大丈夫です。今だってなんだかんだでしっかりやれてますから大丈夫大丈夫。』と言われ、『そうか、やっぱり私の気にし過ぎなのかもしれないな、なんだかんだでもちゃんとやれてるもんな』と自分の中で釈然としないながらも納得させたのである。

そして幼稚園最後の年長児となった時、娘は驚く程に前年度と変わり、登園で泣くことも無くなり、運動会や発表会、なんだって先生や私の手を焼く事もなくこなしていったのである。その成長ぶりに私も先生も大層喜び、卒園式では卒園証書を受け取りに皆の前にも出れたし、卒園の言葉を述べる事も出来た。

『年長さんになって三女ちゃんはものすごく成長しました。だからもう大丈夫ですよ。』園長先生と先生がそう言ってくれた。私も娘の成長に喜びと安堵でいっぱいになり『そうだ、小学校に入ったらお姉ちゃんも二人居るし、この子はきっともう大丈夫だ』と思えた。

しかしそれは大きな間違いであったとは、この時、娘の成長と丸八年間、毎日の登降園や旗振り当番から解放される事で頭の中がルンルン気分だった私には気付く由もなかったのである。

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