中学校入学からもう半年以上経ってしまいましたが、今回は場面緘黙症の三女が中学生となって最初の難関となった入学式のことについて振り返ってみたいと思います。 卒業式を無事に済ませた安心も束の間、今度は中学校の入学式について悩みました。既に中学校に対して不安や恐怖を抱いていた娘は緘黙・緘動も酷く出るだろうし、何より『中学校に行きたくない』を卒業式後から毎日のように言ってました。ひとまず入学式についての不安や心配事を小学校の担任に卒業前から伝えてはいたので、小学校の担任から中学校の
春からのドタバタがひと段落してきました。この3か月間があっという間でした。振り返る間もなく次から次へと忙しなく、目まぐるしく日々が過ぎていきます。だいぶ時間が経ってしまいましたが、心配していた三女ちゃんの小学校卒業式は無事に終えることが出来ました。記録としてここに残しておきたいと思います。 小学校卒業式までの過程 3学期の2月末から本格的に卒業式の練習が始まりました。私が先ず3学期に入ってすぐに行なったことと言えば、三女ちゃんの卒業式に対する意思確認。卒業式に出たいか、出
2024.06.04 ここのところ病院病院ばっかりで、もはや高齢者ありありの病気自慢か?て言わんばかりの日常となりそうなので言うのは控えてますが… 歯の詰め物が欠けて、1週間待ちでようやく数年ぶりに昨日歯医者へ行ったら、もうね、歳のせいよって。歯茎が痩せてくるお年頃だから、それに伴って歯列にも隙間が出来てきて、そこから虫歯になってきてるのよ、て話で。結果昨日は1時間半かけて診察・治療となり、銀歯破壊して新たに型取り。脳内に暫くチェンソーみたいな音と振動が響きまくりそれだけで
場面緘黙症で緘動(かんどう)症状が強く出てしまう我が家の末っ子三女ちゃん。 そんな彼女もいよいよ小学校卒業を迎える年になりました。過度の緊張や不安から身体を全く動かせなくなる娘に、卒業式はどうしたものかとこの一年間悩んでおりましたが、 『皆と同じように卒業式に出て卒業したい』 という本人の意志と周りからのサポートを得られるという事から、今週から本格的に始まった卒業式の連絡に参加しています。 勿論、練習と違う本番の式場の雰囲気等から緊張と不安が強くなって動けなくなるという事態
ここのお店で焼肉が初めて美味しい、と感じて以来、ここでしか焼肉は食べない私。値が張るだけに年に数回しか行けないけれど。 基本、肉の塊とか臓物系は苦手で食べない。 長女は剣道仲間とたまに焼肉へ行くようになってから、知らぬうちに牛タンが食べれるようになって今日はよく食べていた。
気づけば夏休みも終わり、9月も半ば過ぎ…。 2学期に入り、いよいよ6年生の場面緘黙症をもつ娘、最大の課題となるメイン行事、それは修学旅行。夏休み前から色々先生と相談し合い、学校側の意見も取り入れたうえで話を進めてきたつもりではいましたが…。ここにきて本当に支援級の先生と普通級の先生との連携がとられていないことや配慮の点に関しての互いの相違が明らかになり、加えてここ最近、その修学旅行に関しての話で、正直学校側といえばいいのか担任とのやりとりに疲弊を感じている日々。 修学旅行に
母のお仕事お休みDayは、当面こはるの学校早退日にした。 目標は週に1~2回でも、6時間目まで学校で過ごせるように。 ここに大人の事情が加味されて、実は母の職場のリハビリスタッフが今足りてなくて、請け負う患者様の数がえげつない。パートで13:00勤務を、現況娘の早退要請令が学校から来なければ14:00まで働く。なるべく多くの患者様がリハビリ出来るようにするため、この事情をこはるにも話してあるから、多分こはるも母が仕事出来るようにと頑張ってくれている。
この時期、運動会というところも多いのではないでしょうか? 我が家の三女の小学校でも今日は運動会でした。そして、娘にとっても、我が家にとっても、小学校最後の運動会となりました。 今日はここで場面緘黙症をもつ三女のこれまでの運動会について振り返ってみようと思います。 1年生。入学早々で初めての運動会。緊張してはいたものの、この当時は3年生、5年生に姉たちも居たし、周りの1年生のみんなのはしゃぐ姿に、控えめながらも一緒に便乗出来ていた。もちろん、競技全般に参加も出来ていた。
この春高校生となった長女。それに伴い毎朝、弁当作りからスタートとなった私の生活。 昔から早起きが苦手な私。朝がほんとに苦手なのである。低血圧で貧血持ちのせいか、とにかく起き上がるまでが大変だし、未だに朝ごはんを食べられない体質なのである。 そんな私が今までより更に早起きしてお弁当を作るだなんて…!たまにならまだしも、ほとんど毎日だなんて…!嫌だわぁ~、辛いわぁ~…なんて娘達が春休み中はそんな事を思いながら過ごしていました。 ところが始まってみれば、嫌だわ、辛いわ、なんて思う
先日、夜中に軽いアナフィラキシー症状が出た。蕁麻疹に呼吸苦、こちらは症状が比較的軽かった為、喘息発作の吸入薬でなんとか落ち着いたが、右瞼が酷く腫れ上がってしまった。真夜中に鏡で自分の顔を見てビビるくらいに。 翌日仕事を休み、流石に腫れ上がった瞼で、場面緘黙症の三女を学校に連れて行くのも嫌だったし、この日は二女の花粉症の目薬もついでに処方してもらおうと、二人とも学校を休ませ、眼科に付き合ってもらった。 瞼の腫れに牛乳瓶の底のような分厚い眼鏡、ビジュアル的にはもう最悪である。眼
1年半ほど痛みに耐え続けてきた腰椎椎間板ヘルニアによる左坐骨神経痛の左下肢の痛み。年末年始からようやく復活の兆しをみせ、しばらく痛みのない生活を送れるようになった。1年間ひと月に2回、痛みに耐えながら打ち続けてきたブロック注射とも、これでおさらばだ~!と喜んでいた矢先、まさかの今度は右側に症状が出始めた。 朝の寝起きに再び寝返り、起き上がり、立ち上がるまでにかなりの苦痛を伴うようになり、んもゥ、朝からかなりの気力と体力を消耗してしまうことになってしまったここ最近の私。 そし
日々あれこれしているうちに月日の経つ早さに驚く。気づけばもう年度末。 我が家では無事に志望校へ合格した長女ですが(春から高校生)、母の日々のあれこれに加えて、更にドタバタな日々を送っております。 もうあれこれ多すぎて、何から書こうか、いや、何を書けばいいのかさえわからないでおります。 長女は剣道特待生として高校を受験し、無事に合格しましたが、ここに至るまでに実は年末に一大事な出来事が発生。長年定期的に脊椎側弯症で受診していた長女でしたが、これまで何年間も装具着用生活を送って
ご無沙汰してます。腰椎椎間板ヘルニアで痛みと戦いながら、仕事、家事、育児をまわす毎日でなかなかゆっくりする時間もないまま月日が流れてしまいました…。ようやく長女の受験も終わり、無事に志望校合格。春にはまたバタバタするかと思いますが、日常のあれこれをまた 刻んでいきたいと思います。