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感情という名の催眠術

大学4年生の秋。朝10時。土砂降りの雨の中、約半年ぶりに登校。
私はゼミの研究室近くで先生を待っていた。

先生と授業以外の時間で会うのは小学生でも大学生でもピリッとするもので。
たくさんの先生がいる職員室の独特な空気やコーヒーの香りを思い出した。私が今いるのは誰もいない雨の匂いが充満した薄暗い廊下なのだが。

このままで卒論完成するのかな、と未来に対して不安になっている私の心にぴったりの景色だった。

コツコツとブーツの音を鳴らしてオーラのある男性が颯爽と現れた。

あ、めっちゃ先生最近忙しいんだろうな。
せかせかした雰囲気をなんとなく察した。ちょっと怖い。

「お久しぶりです!お忙しい中、ありがとうございます」
『いえいえ。卒論の進捗発表お願いします。』

正直、全然進んでないのだ。
先生は基本は朗らかなのだが卒論になると話は別らしい。

パソコンを開いてWordを立ち上げてzoomで画面を共有しながら稚拙な説明を進める。


先生はずっと無言でパソコンを見つめる。
ふと溜息をつき、また画面に向き合う。
失望されたかな、呆れられた?
このテーマ、全部練り直しか、またか、もう研究計画書3枚目だよ…。

「以上です。ただこの部分で今悩んでいて先生に相談したくて。」
『…結局何が調べたいの?なんでこのテーマなの?』
「…興味です」

凄く笑われた。先生が笑ったので、ちょっと安心した。
大学生の卒論のテーマ設定の理由は興味が大半なのではないか。

そこからは私も緊張が解けて空気も柔らかくなり素で話すことができてサクサクと今後の道筋が立った。

ただ、研究計画書は書き直しになった。残念。

私はいつでも相手の「態度や雰囲気」に翻弄される。気にしいな性格なんだろう。

親のため息、面接官の目線、先生の笑顔、友達の私を見る時の目、バイト先の生徒の貧乏ゆすり、自動車学校の教官が注意してくる寸前の空気、気になってる異性と目が合った時。

「なんとなくこう思ってるんだろうな」と考えてしまって一歩行動できなかったり調子に乗ることもたくさんあった。
その考えが間違っている可能性もあるのに。



高校の帰り路、私はいつも親友と帰っていた。

優しい友達なので、伝えたところで謝らせてしまうだろうから一生伝える気はないが、よくため息をついていたのだ。受験生だったから、そのストレス、塾に行きたくない気持ち、未来への不安、体調…いろいろ原因はあるだろうけど「私のこと、本当は嫌いだから、ため息ついてるんじゃ」と疑心暗鬼になっていた時期があった。

誰かの感情が行動になって現れた時、他人の心はすこしでも動く可能性がある。それがもととなって行動として現れたら、大きな誤解が生まれる場面もあるだろう。

それを機に、ため息は本当に腹が立った時以外は封印するように心がけている。

ただ、自分の態度が誰かの「メリハリがつける」ことに繋がるという考え方もできる。さっきのゼミの先生の話もそうだし。
緊張をほぐすために相手を笑顔にさせたり。相手の感情をプラスの方向でコントロールできる人って本当にかっこいいと思う。

塾講師のアルバイトではそれが求められる場面が多いように感じる。
手より口ばかりを動かすおしゃべり大好きな小学生、常に睡魔と戦う中学生、いろんな子と出会う。平等に勉強を進める必要がある。

自分はちゃんと誰かの感情を前向きにできているだろうか。
教えている生徒が問題集とにらめっこしはじめ、手持ち無沙汰になった瞬間ふと考えに耽ろうとしていたら。

『僕、先生の授業、すごく好きだよ!!!!もうおしまい!?来週も先生の授業?!』

突然、入塾したての小学生の男の子がそう言ったのだ。

「え、ほんと~~~!?嬉しい!来週も私だよ、一緒にがんばろ~ね」

びっくりした。嬉しかった。すごく。子どもは素直だからなおさら嬉しい。

誰かの感情は察することができるのに、どう思われてるか、はマイナスな方向で勘違いしやすいのかもしれない。自己肯定感が低ければ尚更。
おそらく恋愛面でも鈍感になってしまうんだろう。

ただ、もうちょっと自信を持ってもいいのかもしれないなと思った。
気付かせてくれた男の子に感謝。


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