熊野の旅 2日目
今回の熊野の旅は1~2日目のメニューが盛り沢山で朝の出発が早かった為、朝食のみのビジホに2連泊するプランにしました。
ちなみに宿は新宮市のホテルニューパレスです。
朝食は6時半開始のビュッフェ形式でとてもGOODでした。
2日目も朝早く8時前にホテルを出発。
最初の目的地【阿須賀神社】(あすかじんじゃ)に3分程で到着。
古い記録によると、神倉神社(前記事の1日目最後にお詣りした神社)に熊野権現が最初に降り立ち、その後に(紀元前423年)阿須賀の森へ移ったとされており、それが阿須賀神社の創祀とされています。
御祭神は伊弉諾尊と伊弉冉尊の御子神である事解男命(ことさかおのみこと)と熊野大神の三神です。
紀元前3世紀、秦の始皇帝の命を受けた徐福がこの地に辿り着いたとの伝説があり、ここから数分行った所に徐福の墓所があります。
この境内にも摂社として祀られています。
次の目的地、玉置神社に向かいます。
「呼ばれないと辿り着けない神社」とよく言われていますが、玉置川沿いの古いルートで登っていくと、確かにギリ1台しか通れないくらいの険しい道が続きます。
マジ油断すると脱輪からーの谷底へ転落します。
2日目の夕食でおじゃました寿司屋の女将さんから、本当に行けなかった人たちのエピソードをいくつも聞きました。
この龍神水、外が寒かったせいか思ったほど冷たくなかった。
でもって、龍神水の隣に巨大な岩がありました。
これまた写真では伝わりにくいけど、とてもじゃないが自然にできたとは思えません。
きっと龍神様と宇宙人?による神業に違いない。
新宮から1時間半、やっとのことで【玉置神社】駐車場に到着。
ずいぶん登ってきた感じはしてたけど、さすがに眺めがすばらしい!
駐車場からすぐに参道入口の鳥居があります。
ここから本殿まで15分ほど歩きます。
御祭神は
国常立尊(くにとこたちのみこと)
伊弉諾尊(いざなぎのみこと)
伊弉冊尊(いざなみのみこと)
天照大御神(あまてらすおおみかみ)
神日本磐余彦尊(かむやまといわれひこのみこと):初代神武天皇の別称
山頂という看板を見ると
登りたくなる症候群です😂
気温はたぶん3〜4℃しかなかったけど、いい感じに汗かいて20分?で山頂に着きました。
標高は1,076m
標石の中心に謎の水晶玉?が置いてある???
やはり苦労して登ってきた者には、すばらしい眺望のご褒美が用意されてます。
山頂からは直接駐車場に行けるなだらかな登山道を下りていきます。
体力に自信の無い方は、駐車場の手前に山頂登山口があるので、これまでの逆ルートとなる先に山頂を経由する参拝道がおススメです。
ここからは熊野本宮大社に向かって、比較的走りやすい十津川村方面を抜けていきます。
玉置神社から約1時間走って【熊野本宮大社】に到着。
まず祓戸大神で祓い清めます。
御本殿の撮影やSNS投稿は控えてくださいとありましたので、境内にあった写真看板をご覧ください。
主祭神は家津御子大神(けつみこのおおかみ) 別名は素戔嗚尊(すさのおのみこと)
おなじみサッカー日本代表のシンボルとなっている八咫烏
三社でそれぞれ向きが違いますね。
本宮大社のお詣りを終え、本殿裏手に抜けて伏拝王子方面へ熊野古道を歩きます。
まあまあ汗をかいて、ちょっとより道どころではない展望台に到着。
暑くなったり又すぐ寒くなったり大変😅
ここからまた来た道を戻って、昔の社殿があった大斎原(おおゆのはら)へ歩いていきます。
大斎原は、明治以前まで三つの川の中洲に本宮大社の社殿があったところで、明治の大水害で社殿が流出してしまい現在地に遷されました。
大斎原をあとにして那智勝浦の海へ向かいます。
大斎原から1時間半弱で那智勝浦【お蛇浦海岸】へ到着。
広い無料駐車場があり、ここもなかなかの奇岩が続いています。
海辺に降りられて楽しめました。
本日の最終目的地へ向かいます。
10分弱で【補陀洛山寺】に到着。
ここは、その昔、補陀洛渡海という捨て身行が行われていたお寺です。
ここから海へ出て南方の浄土である補陀洛へ辿り着く目的で、窓や扉の無い密閉された船室に僅かな食料と水と灯の燃料を携え、僧侶が乗り込み死を迎えるまでお経を唱え祈り続けたそうです。
なんとも無謀な捨て身行ですが
いい感じで沖に出てみたものの波をクラって転覆でもしたら、船室に浸水してもがき、お経どころではない苦しみに遭いそうな気がします(・_・;
御祭神は熊野大神の三神です。
これで2日目のメニューは終了して新宮の宿へ戻ります。
夕食は宿から歩いて5分程の回転しない昔ながらの寿司龍さんへ行きました。
お寿司屋さんなのに熊野牛をいただきました。
地元で水揚げされたメバチマグロも大変美味しゅうございました😋
もちろんお酒は地酒の太平洋を冷で🍶
お腹いっぱいの2日目でした。
お疲れ様でした🙇♂️