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#18 死と生を考える。わからないけど、それでも。

お盆の時期ですね。小さい頃は決まって、祖父のお墓参りに行きました。「亡くなったらどうなるんだろう。生きるって、死ぬって、どういうことなんだろう」こうして生きる我々には明確な答えが出ることはない疑問ですが、考え、自分の意見を声に出し、人の意見を聞いてまた考えることが、より豊かに生きることにつながると思います。今回は「死生観」について真剣に対話してみました!
 メンバー2人が実際に対話した記録を記事として毎週水曜日に投稿、導入部分は2人によるトークでお届けします。再生ボタンを押して放送をお聴きいただけると光栄です✨


〜 以下の記事は、上の stand.fm 放送の続きです 〜

あの世?この世?


美織さんは「死んだらどうなるんだろう」についての考えや、今信じていることはありますか?

これは父の考えに影響を受けたのですが、今生きているこの世は、なんというか「旅をしている」感じで、俗に言うあの世が本来、私達人類の「ホーム」なのかなって思うことがありますね。

なるほど。そういう、目に見えないものを信じることができるって豊かなことですよね。ただ僕は、死生観に関してはもっと、この世を中心に考えています。

目に見えるものの方が信じやすいですもんね。「この世を中心に」とは、どういうことですか?

僕は神道の考え方に近いのですが、神道では、あくまで現世がメインで、死後の世界は現世を見守るものという考え方があるので、「今を大切にし、現世をどれだけ素晴らしいものにするかどうか」という風に考えています。なんだかあの世をベースとして考えるのは、今ある命に対してとても失礼だと思うんです。

なるほど。興味深いですね。まずは根本的に、私たちの魂の本来の居場所が、この世なのか、あの世なのかで大きく分かれるかもしれないですね。その上で私は「あの世が魂の本来の居場所だからこそ、今ある命を大切にしよう」と思わされます。せっかく何か意味を持って命をいただいたのだから、大切に、より良い人生にしたいなって。

なるほど、早速「しあわせ」にも関連してきそうな雰囲気がありますね! おもしろいです。

お金と死生観


僕は、あの世の考え方について、「人間の本当に純粋な思想なのか」と疑問に感じることがあります。ここで少し歴史的側面から考えたいのですが、美織さんが信じているあの世も、きっと日本での教育や文化や、周りの影響があって信じられるようになったものですよね。ただ、そのあの世という考えは本来、聖職者が得できるシステムによってできたものという側面があるように思います。

なんだかそれ、お金が絡んでくるやつですよね。命の価値がお金で操られるような感じですか?

近いかもしれません。キリスト教であれば贖宥状(免罪符)を買えば魂が救われるという昔の教えですね。元は聖職者が金銭的に都合のいいように作られたものが、今なお続いて、その考え方が当たり前になってしまっているような気がします。

なるほど、おもしろい見方ですね。確かに、仏教で「長い戒名をもらうためにお金を払う」というシステムには強い違和感を感じます。多くの人が「亡くなってから迷惑をかけないように」と亡くなる前から葬式代のために貯金していると聞きます。

僕の祖母もそうでした。仏教は特に、亡くなってからお金がかかります。一方で、神道は亡くなった時にお金はあまり掛からないんですよね。僕はその方が、余計な心配もすることなく、個々の人間の思想に基づいていて健全だと思います。もっと死ぬと生きるってシンプルなものだと思うんです。

医療と死生観


亡くなった後の葬儀なども大変ですが、「最期をどんな風に過ごしたいか」を考えることも死生観を扱う上で大切なトピックですね。

そうですね。僕の家族には医療従事者が何人かいるのですが、皆口を揃えていうのが、亡くなる直前に衰弱した老人を救おうと肋骨が折れるのもいとわず心臓マッサージをすると聞きます。そんな最期は残酷に感じますね。

ん〜……苦しいですね。本人がそんな最期を迎えるのは辛いと思う一方で、少しでも長く生きていてほしいと願う家族や医療者の想いを想像すると、逝かせてあげて欲しいと言うのは難しいことだと思います。

そうですね。ただそのような状況では、心臓マッサージをして延ばせる寿命はたった数十分程度だそうです。それでも少しでも長く、家族が最期に間に合うまで生かすことが重要だと考えられている風潮があるそうです。

なるほど。評価の仕方が変わってくるとなるとお医者さんもすごく複雑でしょうね。すごくすごく難しいです。やっぱり、本人の命だけど、それを愛する周りの人たちの気持ちもわかります。

少し話は変わりますが、村上春樹さんの作品、『ノルウェイの森』では、「死は生の一部だ」という考え方が軸にあります。その考え方から比較して見てみると、特に日本人は死ぬことと生きることはキッパリと分かれており、死をできるだけ遠ざけなければいけないとして考えているんですよね。

確かにそうですね。日本では「死」は不謹慎で、触れてはいけないトピックのような風潮があります。だけど、自分のためのよりよい最期を考えることは、本当に大切のような気がしますね。

これは友人のお父さんの話ですが、余命が残り少ないとわかったときに「最期何したい?」と話をしたようです。その時にお父さんが、「寿命が少し短くなってもいいから、大好きなお酒を目一杯飲みたい」と言ったそうで、その通り日本各地から評判の日本酒を取り寄せて一緒に飲み、最期を迎えられたようです。そんな風に、きちんと考えて話し合い、自分がしあわせだと感じられる最期を迎えることを最優先に選ぶのはとてもいいことだと思います。

そうですね。数時間や数日の寿命の違いなら選択しやすいですが、それがまた単位が変わってくれば、きっと判断することはとても難しいだろうなと思います。

安楽死は合法にすべき?


医療に関していうと「安楽死」についても関心があります。よくニュースで、故郷の日本を離れてスイスなど安楽死が認められている海外に渡ってまでその想いを遂げようとする人がいると聞きます。

そうですね。僕はその点に関して、安楽死は基本的に反対派です。もちろん耐え難い痛みがあった際に致し方ない選択であれば話は違いますが、もし日本で安楽死が合法になった場合、安易な安楽死が増えてしまうと思うんです。

安易な安楽死というのは、例えば一瞬の思いつきや諦めで死を選んでしまうということですか?

その通りです。あとは、日本では「人に迷惑をかけてしまうから」という文化が強いので、その考えを元に死を選ぶ人が増えたら、それは良くないんじゃないかと思います。そういう面で、ヨーロッパのスイスで安楽死が認められているのは、成熟した文化があるからだと思います。

なるほど。下の記事にもまさに、その「忖度文化」が危惧されていますね。文化の成熟度も然りですが、未来を見据えた時になんだか不安になってしまう日本で安楽死を合法にするのは、事態を良くない方向に誘導してしまう可能性がありますよね。その他にももちろん、色々と合法化には難しい問題点があるようです。
 ただ、本当に苦しく、どうしようもないという人にとって、故郷の国でその選択肢があるというだけで救いである気もしますけど……そう簡単に決められることではないですね……

死を恐れるってよくないこと?


美織さんは死が怖かったとお話していましたが、僕はあるきっかけで死が怖くなくなったんです。数年前に手術で全身麻酔を経験した時に、麻酔の注射を打って、約12秒ほどで記憶が消えたんですよね。あの経験から、死ぬ瞬間ってこんな風にスーッと逝くものなのかなと思うと怖さが和らぎました。

なるほど。最近書店で見かけた本の紹介文にあった「寝ている間は死んでいるのかも知れない」という考えに似ていますね。
 ただ、なぜ私が死が怖くて仕方なかったんだろうって考えると、幼さもありますが、未来への希望や大好きな家族を想っていたから死が怖かった気がします。死んでしまえば、これからしたいことや一緒に過ごしたい人との時間が全部無くなってしまう。その事実がすごく悲しくて、辛くて、怯えていたんですよね。そう思うと死を恐れるって悪いことではないのかも知れません。

なるほど。いい考え方ですね。確かに、死を恐れなくなるって生でもなくなるということかもしれませんね。

終戦記念日に。戦争と死生観


なるほど。「死を恐れなくなるって、生でもなくなる」かぁ……。
 8月は終戦記念日もあり、一年の中でも特に戦争へ想いを馳せることが多いですが、特攻隊を志願された方々は、死ぬことが怖くなかったんだろうか……といつも思います。日本では年々、教科書やテレビで戦争について取り上げられることが減っていますよね。とても恐ろしい傾向だと思いませんか?

そうですね。僕が小さい頃はこの時期に『はだしのゲン』や『火垂るの墓』が毎年放送されていました。最近は、『永遠の0』や『あの花が咲く丘で君とまた出会えたら』など、特攻隊をテーマにした物語が多いですよね。

確かにそうですね。『あの花が咲く丘で君とまた出会えたら』のある一説で、特攻隊員として出動命令が下された青年の一人が怖くなって逃げる場面があって。当時の周りの人は、彼を卑怯者だと言って罵っていたんですが、現代の記念館でのその一説について、「彼は、幸いにも逃れられた」って書かれてあったのを観て鳥肌が立ちました。いつの時代だって尊い命に変わりはないはずなのに、時代によって、こんなにも捉え方が変わるんだと、とても虚しく、複雑な気持ちでした。

そうですよね。どんな時代であっても「生きたい」という想いを優先できる、自分を守れる勇気を持っていたいものですよね。

当時を生きる人たちはそれこそ、どんな死生観を持っていたんでしょうね。死生観を持つことすら許されないような非人道的な風潮があったんだろうと思いますが……

そうですね。ただ、大前提として戦争はもちろん、特攻という手段はあってはならない残酷なものですが、戦争に勝つという軸で見ると、一人ひとつの機体で、大きな空母を沈没させることもできたので、他の各種作戦に比べて特攻だけが特別残酷というわけではなかったという考え方もあるようです。

……なるほど。特攻隊をテーマにしたものも、地上戦や捕虜についても、戦争に関してはもっと幅広くきちんと知るべきですね。あまりに残酷な歴史ですが、それこそ、彼らの魂が生まれ変わってしあわせであることを祈るばかりです。

そうですね。今はそう願うことしかできませんが、全ての命を後付けでそう捉えるのはやはり悔しいですよね。やっぱり、現世で、今ある命を大切にしたいです。東京にいらっしゃるなら、平和祈念展示資料館にもぜひ行ってみてください。無料で、様々な展示会もされているようです。

そうなんですね。今度行ってみます。
 今日は本当に重いテーマでした。死生観はとても興味深いものですが、「しあわせ」を考えるのと同じように、答えがなく、一人一人違った考えがあるものですね。あまりにも難しくて、明確に意見ができないというか、答えの出せないトピックばかりでした。

そうですね。だけど、だからこそ、まずは考えて、対話してみることが大事です。日本でも触れにくいテーマで、人と話すことは少ないかもれませんが、上智大学大学院では死生学について研究している学科があるようですよ。もっと多くの人に今回のしあわせ探求庁で対話したような機会があればいいなと感じます。

「 今ここで、しあわせを繋ぐ意味がある」〜 しあわせ探求庁でした。
 また来週水曜日にお会いしましょう!
(2024年8月14日)

しあわせ探求庁|Shiawase Agency
  日本支部:成江 美織
  (miori @しあわせの探究
オランダ支部:佐々木 透
  (ささきとおる🇳🇱50歳からの海外博士挑戦
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