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#25 【ゲスト回】 好きなことで生きていく、清々しい覚悟 〜 音楽家・写真家:近田めぐみさん

音楽や美術や文学に触れると、気持ちが高鳴りますよね。日々の生活の質を高めてくれる芸術。今回は、音楽家と写真家という二つの顔をお持ちの近田めぐみさんをゲストにお迎えして、「しあわせと芸術」の関係について対話しました。街には音楽や写真が溢れていますが、それを仕事にしている方の日常は、どんなものなのでしょうか?

導入部分はメンバー2人とゲストによるトークでお届けします。再生ボタンを押してぜひ放送をお聴きください✨


〜 以下の記事は、上の stand.fm 放送の続きです 〜

音楽家ってどんな人がなるの?


楽器というとピアノ以外はあまり馴染みがなくて、サックス奏者の方にお会いするというのは初めてです。何というか、違う世界にいる人、才能を持って裕福な家庭に生まれた人が進む道という先入観がありますが、実際はどうなのでしょうか?

確かにそういうイメージはあるかもしれませんね。実際、音楽大学にはそういう人もいます。ピアノ科や弦楽器科はそういう人の比率が高いかもしれませんね。
 でも、管楽器・打楽器科は中学に入ってから吹奏楽部で本格的に楽器を始めて、それから音楽の道を志したという人もかなりいます。私もそのパターンでした。ピアノは小さい頃からやっていましたが、周囲にはピアノも受験の課題曲に合わせて急いで始めたという人もいます。

そういう意味では、日本の管楽器・打楽器の世界は民主的ですね(笑)ヨーロッパにいると、歴史的にクラシック音楽の本場ではあるもの、中高で気軽に音楽に触れる機会はなかなかなく、「特別な人がやっている」という感覚は、ヨーロッパの方が強いかもしれません。楽器業界に12年間いましたが、日本や韓国などの東アジアは世界的に見ても音楽が最も盛んな地域ですね。

私の家庭は姉と兄がいて、私は末っ子なのですが、家がとても厳しかったです。「私立の音楽大学に行かせるお金はない」とはっきり言われました。それでもどうしても行きたくて、「学費は3年分しか出せない。途中で退学でもいいのか」と聞かれ、「それでもいい」と覚悟して進学しました。結果としてはどうにか卒業することができ、今に繋がっています。

忘れたくない、コロナ禍での音楽文化の姿


優雅というイメージとは裏腹に、清々しいほどの覚悟を感じますね……ところで、めぐみさんが音楽大学を卒業なさったのは2019年で、卒業して演奏活動を始めようか、という時にコロナ禍が始まったタイミングではないですか?

そうですね。その頃は、音楽教室で教え始め、写真スタジオでの仕事も始めていた頃でしたが、すべてが止まったように記憶しています。音楽の指導や演奏、スタジオ撮影すべてが対面で成り立つ行為なので、完全に活動がストップしました。
 逆に、大学時代はスケジュールが過密過ぎて、心身ともに疲弊してしまっていたので、すべてが止まったその時期に自分を見直すことができました。言い方は難しいですが、貴重な充電期間だったという感じでしょうか。美織さんはその時期はどうされていましたか?

私は2020年に卒業して就職したので、コロナ禍真っ只中の社会人スタートになりました。鉄道関連の仕事だったので、人の動きが止まると仕事もなくなり、どうにかお給料は確保してもらった上で、時間をぼんと渡された感じでした。
 あの頃は、編み物をしていたのを覚えています。やはり、編み物や芸術というのは、余裕があって始めて気が向くというか受け入れることのできる、ある意味の贅沢なのだなと感じました。

そうでしたか……ちなみに僕はコロナ禍の始めは、会社が「いつも通り対面業務を続行する」という方針を出したので、それまで通り普通に通勤して仕事をしていました。当時は主にロックやジャズの音楽に関連する仕事をしていましたが、そういうジャンルの音楽家たちは、音楽大学に職があるわけではないので、あっという間に生活できなくなりましたね。なじみのライブハウスが閉鎖に追い込まれたりしたのを目の当たりにしました。

あの頃は、音楽やその他の芸術が、「不要不急」のものとして扱われましたよね。なんだか、コロナ禍と「不要不急」という言葉が結びついて感じられます。

先ほど美織さんが、「芸術を受け入れるには、余裕が必要」と言っていましたが、おそらくそういう認識が世間一般なのだと思います。一方、ドイツでは当時のメルケル政権下の文化大臣が、「アーティストは必要不可欠であるだけでなく、生命維持に必要なのだ」「文化は良い時にだけ享受する贅沢品ではない」と発言して、フリーランスを含む芸術家のサポートをしましたよね。
 思えば日本でも、戦後の焼け野原で満足に食べ物もない時に、みんなで焚き火を囲んで歌を歌って辛い気持ちをしのいだなんていう話を聞いたことがあります。僕も音楽業界にいたものとして、芸術が「不要不急」のものだとは思いません。

好きなことだけで生きていくとは


そのあたりは、やはり音楽文化の中にいた人と、そうではない人の間でかなり温度差がありそうですね。ところで、めぐみさんは今、サックスの演奏や指導と写真の仕事で生活されていますが、音楽大学の仲間もみなさんそういう感じなんですか?

私はかなりうまく行ったケースだと思います。これは透さんも音楽業界にいて見聞きされたかもしれませんが、音楽大学を卒業して、演奏で食べていける人はごく一部なんです。楽器店で勤めたりする人も多くて、中には音楽とは関係のない仕事に就く人もいますね。日本は音楽大学が多く、夢に向かう間口は広いと言えますが、それに合わせて仕事もあるというわけではないですね。

私はやはり、「企業に勤める」というレールに乗って人生を歩んでいくという感覚が強いのですが、フリーランスで音楽の演奏や指導、また写真の仕事で食べていくことに不安のようなものはなかったのですか? 自分の意識以外にも、両親や兄弟姉妹からの期待のようなものもあったんじゃないですか?

それは、そうですね。兄も姉も国立大学へ進んで、姉は公務員をしています。当然そういうのが「進むべき道」として家庭内でも認識されていたので、音楽の道に進んでフリーランスで生きていくというのは全く未知の世界でした。
 でも不思議と、やり始めてみるとどうにかなるものですよ。ずっと先まで見てしまうから不安になるのであって、とりあえず生活するにはいろいろアルバイトすることもできますし……透さんも企業勤めではないですか、その点はどうですか?

今めぐみさんがおっしゃったことは感覚的に少し分かります。僕も、そのままいれば定年まで勤められる会社を辞めて研究の世界に飛び込んだわけですが、今のポジションは、年末の研究成果審査を乗り切っても、2028年までのポジションです。でも、じゃあその先のことが不安かと言えばそうでもなく、「きっとどうにかなる」「自分で切り拓くから大丈夫」という、不思議な自信があります。これ、多分似てますよね?

似ていると思います。逆に私は、会社という組織の一員となって毎日オフィスで働くということはできないなと感じています。それぞれが適材適所ということではないでしょうか。あとは、音楽の仕事で食べているというと、いつも自分が演奏したい曲を演奏していると思われるかもしれませんが、そういうわけにもいかないのが現実ではありますね。

そうなんですか? でも、コンサートとかで演奏する曲って、自分で決めるんじゃないんですか? 会社勤務だと、したくない業務も仕方なくやるっていうのは分かりますが、音楽の世界で、「あまり演奏したくない曲を演奏する」っていうのは、少し不自然に感じます。

実際には、自分が演奏したい曲を演奏できるのは、自分のソロコンサートだけですね。誰かと一緒だとその人の希望とすり合わせることになりますし、外部のプロジェクトに参加するような場合だと、そこで取り上げられる曲を練習して演奏することが求められます。今のクラシック音楽の世界では現代音楽への挑戦が盛んなので、技術的に要求度の高い曲も多く、いつも大変な思いで練習しています。

ジャズやポップス業界も似ていますね。僕がジャズを習っていた先生に聞いたのは、本当に演奏したいジャズではなかなか稼げないから、演歌歌手のディナーショーに出て生活を立てている、という話でした。ディナーショーはチケットも3万円〜5万円以上になる場合もあって、ミュージックチャージが数千円のジャズクラブでの演奏とは違う世界のようです。

それでも音楽を続けていこう、と思うパワーがあるのがすごいですよね……でも気づきました。「しんどくても好きなことを続ける」って言うとネガティブに聞こえますが、考えてみれば、普通に会社勤めをしていて、「好きなことをしていなくても、結局しんどい」ことも多いわけですよね。「好きでもないし、しんどいし」って感じで。どうせしんどいんなら、「好きなことしてしんどい」方が幸せなのかな、と思ったりしました。

それ、素敵な考え方だと思います。私は絵を描いたりピアノを弾いたりすることも好きです。でも何と言うか、サックスだけは他と違って、「努力し続ける」ことができた対象なんです。「つらいけど、続けられる」という感じでしょうか。「つらいけど、嫌ではない」と言い換えられるかもしれません。

それは、僕の仕事に対する感覚にも似ているかもしれません。最初に英語教師をしていた頃から、今も語学教育AI の研究をしていますが、結局英語や語学教育に携わることは「時につらいけど、嫌ではない、続けられる」対象なんだと感じています。仕事の話ではなくなりますが、今日めぐみさんと話して、もう一度サックスに向き合ってみようという気持ちになりました。年末に帰国して楽器を持ってきたら、またがんばって吹きたいと思います。

めぐみさんは、サックス奏者としての活動に加えて、写真家としても活躍なさっているので、ここで作品を見せていただきましょう。まずは、音楽家をモチーフに撮影なさった写真です。こっそり僕の写真も入れてしまいます!

音楽と写真に対する姿勢の違いとは?


音楽から少し話題を変えて、写真はどんな思いで始められて、その後仕事になさったんですか? 音楽と写真の違いって、結構はっきりしていると思うんです。楽器は、全員が演奏するものではありませんが、写真は、特にスマホが普及して以降は、誰でも気軽に撮影するものになりましたよね。

そうですね、私の中で写真は結構はっきり、「自分が撮りたくて撮る写真」と「仕事で撮る写真」に分かれています。仕事の方の話をすると、スタジオや出張先のロケーションなどで宣材写真の撮影をしているので、要はその人が素敵に見えるような写真を撮るわけです。大抵の人は撮られ慣れていないので、必要に迫られて仕方なく来るような人もいらっしゃるわけですが、それをいかに楽しんでいただいて、完成した写真を見て、「私って結構いいかも!」って思って頂けるか、というところにプロ意識を向けています。衣装の選び方や、どんな表情で撮るかといったことには、十分に時間をかけるように心がけています。

僕も写真を撮られるのは苦手ですが、昨年撮っていただいた時は、男性でもちゃんとメイクにヘアアレンジが入ります。スタジオについてからめぐみさんと話しているうちにどんどんワクワクしてくる自分が面白く感じられました。年末には、しあわせ探求庁のポートレートも、撮ってもらいましょうね。今後我々が世の中に出ることがあれば、写真は必ずお願いしますね。

嬉しいですね、よろしくお願いします。このプロ意識、「仕事として、お客様のニーズを満たす」という感覚は、「生き様」として捉えている音楽とはまた少し違った感覚があります。どちらも大切で、どちらも仕事なのですが、質的には違う感じです。

そうやってプロとして二つのお仕事をなさっていて、キャパオーバーというか、無理し過ぎてしまうことはないんですか? 私はどちらかというとつい頑張り過ぎてしまうタイプなので、少し心配になってしまいます。

そうなりがちだと思います。なので、実際には予定が空いているような場合でもあえて入れずに、積極的にオフの日を設けるようにしています。昨年は、年末に3週間ほど仕事を抜いて、ヨーロッパを回りました。今年も旅行に出る予定です。旅行の話が出たところで、自然をモチーフにした写真を見ていただきたいです。

めぐみさんにとっての「しあわせ」とは?


最後に、テレビ番組みたいですが、「めぐみさんにとってのしあわせとは」をお聞きしたいです。日々の小さい幸せというよりも、「自分がしあわせをかみしめる時の共通点」を教えていただきたいです。

なるほど。それは、「長年自分が取り組んできたことが、間違っていなかった」ことが分かる時だと思います。私の場合一番はっきりしていたのは、保守的で、「フリーランスで音楽家や写真家として生きていくなんて、有り得ない!」という価値観だった家庭に生まれたのですが、この間母がぽつんと、「私もあなたみたいな生き方ができたらいいのに」と言ってくれたんです。その瞬間、大きなしあわせを感じました。「周りからの雑音に屈したり同調したりせず、自分が信じることをやり通してて良かったと思う瞬間」でしょうか。美織さんはどうですか?

私は、「しあわせ = 大切な人と一緒にいる」という感覚が強いです。なぜ大切な人と一緒にいるとしあわせを感じるのか、その種を更に探究して、「大切な人と一緒にいる」ことをベースに、まだまだたくさんのしあわせを見つけていこうと思います。透さんはどうですか?

僕は、やはり「時を超えて人やことがつながった時」に強くしあわせを感じますね。何と言っても、めぐみさんとの出会いと再会が最高の例だと思います。その時のことはこの記事にまとめました。同じく、30年ほど前に大好きだった喫茶店があって、その喫茶店のことも記事に書いたんですけど、なんと、「私、その喫茶店で働いていました!」っていう人から連絡を頂いたんですよ。そんな時、「note やっててよかったな」と強いしあわせを感じました。

その気になれば、そういう「縁」って、引き寄せられますよね、きっと。周囲を見ていると、うまくいっていないことを次々と見つけ出して、「私はやっぱり不幸だ」と結論づけてしまうような、何と言うか「不幸体質」の人も多いですね。なんだか、自分から不幸に引き寄せられていっているように感じることもあります。そうではなく、自分から「うまくいっていること」を積極的に見つけにいく生き方をしたいですね。

私たちが3年後や5年後、どこでどのように生きているか、楽しみですね。今日は本当にどうもありがとうございました。最後に、最初に話題に出た、めぐみさんと透さんが共演した時の動画を引用しておきますね🎷

S .シャリーノ《口、足、音》4人のソリストと100人の動くサクソフォーン奏者のための(1997) 
指揮:橋本晋哉 サクソフォン:原博巳、江川良子、井上ハルカ、小山弦太郎
JSA シャリーノ・スペシャル 100人アンサンブル

「 今ここで、しあわせを繋ぐ意味がある」〜 しあわせ探求庁でした✨
 また来週水曜日にお会いしましょう!
(2024年10月2日)

しあわせ探求庁|Shiawase Agency
  日本支部:成江 美織
  (miori @しあわせの探究
オランダ支部:佐々木 透
  (ささきとおる🇳🇱50歳からの海外博士挑戦
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