#35 ポジティブとネガティブとそれ以外の感情に、出会ったり出会わなかったり
先日、友人から「辛いことがあったんだけど、どう乗り越えて日々のしあわせを感じられるようにすればいいと思う?」と連絡をもらいました。友人自身や悲しいという感情自体も、全てをぎゅっと抱きしめてあげたくなりました。私も忘れてしまいがちですが、辛さや悲しさを感じている自分自身とその感情自体をじっくり味わえる余裕があればいいなと感じます。
メンバー2人が実際に対話した記録を記事として毎週水曜日に投稿、導入部分は2人によるトークでお届けします。再生ボタンを押して放送をお聴きいただけると光栄です✨
〜 以下の記事は、上の stand.fm 放送の続きです 〜
ネガティブな気持ちに直面したとき
友人から「悲しさを乗り越えて、しあわせを感じたい」と連絡があった時ふと、「悲しさは乗り越えるのではなく、味わい尽くしたらいいのでは」と思い、友人に話をしました。私もポジティブな思考でいたいと思う方ですが、世間で言われる「ポジティブな人」だって、時にネガティブな感情や思考を持つことは当たり前です。ネガティブな感情に対して否定的になりすぎなくてもいいと感じますね。
そうですね。日本やアメリカは特に、「ポジティブな考え方をよしとする」文化が比較的強いように感じます。アメリカではどんな逆境においても前向きに考えられるタフさがビジネスでの評価で重要になってくるようで、そのアメリカニズムに疲弊してしまうアメリカ人の友人も見てきました。
そうなんですね。私は、ネガティブな感情に直面した時、一瞬ウッと打撃を受けますが、余裕があれば「ネガティブな感情も味わっておくか……」という気持ちになります。透さんはネガティブな感情になる時はどうしていますか?
そうですね。対処法で言うと「諦める」ことも時々あります。極限まで来ると、もう投げ出しちゃうんですよね。いいのか悪いかはわかりませんが。
ただ最近は、そこに価値判断をせず、起こったことそのままを受け取ることにしています。僕が好きなアーティスト、谷村有美さんのすごいところは、歌詞を間違えても何もなかったようなような表情で歌い続けるんです。多分、初めて聞いた人は間違ったことに気が付かないくらい、ご本人が間違いに対してスルーするのが上手なんですよね。
へ〜、すごいですね。それは、メンタルの強さも関係していそうですが、音楽をとても楽しんでいて間違いに左右されないのかもしれないですね。
そうですね。もしくは、僕が言ったように「間違った=悪い」というふうに価値判断をせずに、そういうものとして捉えているのかもしれません。
価値判断層の厚さが幸福度を左右する?
価値判断という言葉をあまり使うことがないですが、ポジティブな反応をするか、ネガティブな反応をするかその判断のことですか?
そうです。僕はやはり英語屋さんなので、英語の語形成の話を少し出して説明しますね。美織さん「recognition」という単語を使うことはありますか?
似た単語で形容詞の「recognize」はよく聞きますが、それの名詞形ですか?「認識」という意味じゃなかったですかね?
そうです。まず、「re」を抜いた「cognition」について説明すると、「mental action」と解説され、「精神的な反応」つまり「認知」のことを指します。その「cognition」に「再度」という意味で使われる「re」を入れて「認識」という意味の「recognition」になるんですね。言うならば「再認知」です。まず何かが起こった時、精神的な反応が起きてから一度そこで意図的な考えが入り、そのあと認識という流れになるということです。要するに「価値判断」というのは「re」させる段階のことを指しています。
なるほど。おもしろいですね。ということは何かが起こった時、私たちは反射的に認知するけれど、その後ポジティブな捉え方か、ネガティブな捉え方にするかのフィルターを一度かけているということになりますか?
そうかもしれません。不思議な表現になりますが、その価値判断層が厚いほど認知をコントロールしていることになり、薄いほど自分の認知に正直という形になる気がします。
おもしろいです。 もしかしたら本当に自分が受け取った認知って、気が付かないうちにフィルターにかけられて消えてしまっている可能性もあるかもしれませんね。自分たちが最終的に認識している自分の感情は、もしかしたら間接的な感情なのかもしれません。本当の感情に気が付けるように、価値判断層はなるべく薄くしていたいですね。
そうなんですよね。一般的に、自分の感情に素直なのが子どもで、大人になるにつれてコントロールが必要とされる風潮がありますよね。成長過程や育った場所での文化は、価値判断層の厚さに大いに関係してきそうです。幸福度数は価値判断層が薄いほど高く、厚いほど低くなりそうな感じがします。
なるほど。確かに、「こうあるべき」という圧力は価値判断層を厚くさせてしまいますもんね。私は末っ子だからか自分の感情に正直で天真爛漫とよく言われますが、一方で大学のころからできるだけポジティブでいたいと思うようになりました。大人になるにつれて段々と価値判断層は厚くなっているのかもしれませんね。
物事を「そのまま」受け取る
僕の理想は「価値判断をしない」状態ですね。層やフィルター自体がなく、一旦は起こった出来事をそのまま「起こった」と捉える「As it is」な捉え方です。
なるほど。以前も少し話しましたが、デンマークの曇天に対してホストマザーが言った「悪い天気はない、悪い服装があるだけ」という言葉の「悪い天気はない」という考えに似ているかもしれませんね。
そうですそうです。僕あの言葉好きです。以前、パリで買った大切なグラスを割ってしまったんですが、その時も「あ、割れた」と思っただけで済ませるように心がけました。いろいろ感じ始めるとずっと続いてしまいそうだったので。「また買えばいい」とか「思い出のものなのに」とか、ポジティブにもネガティブにも捉えずに。
私は以前、ホストマザーからもらった大好きなネックレスをどこかに落としてしまって1週間は引きずりました(笑)その間もできるだけポジティブに考えられるように「ネックレスがなくなる理由」とかネット検索したりして。結局は時間薬が一番効いたような気がします。今でも思い出すと少し悲しいんですが、私は価値判断の前か後かに限らず、自分の感情はしっかり感じて大切にしたいとも思いますね。
なるほど。確かに以前カウンセラーの方が、「感情は感じるためにあるものだから、悲しいとか嬉しいとか関係なく生まれた感情は感じてあげればいい」と言っていました。
「感情は感じるためにあるもの」いいですね。なんだかディズニー映画の「インサイド・ヘッド」を見たくなってきました。
今目の前に見えるものが、他人と同じとは限らない
フィルターをかけた後の捉え方は人それぞれの意識や文化によって変わってくるかもしれませんが、同じ人間として、一番最初に感じるフィルターがかかる前の感情というのは実はみんな似ているものなんですかね。
それは一概には言えませんが、不幸体質な人もいますよね。ネガティブな状態でいることが心地いい人もいるので、そう言った人たちはフィルターがかかる前か後、どの時点でネガティブな感情になるのか、気になるところですね。
そうですね。常にネガティブな感情を持っている人は、周りの状況による致し方ないものを除くと、ネガティブな状況を自分から探しに行っているのかもしれませんね。粗探しをする人、時々います。
そうですね。粗探しをするわけではないですが、真っ白い服を見ただけで、「汚れがつきそうだからやめておこう」というふうに考える人もいますよね。
それは私もわかりますよ! イタリアンを食べに行く日に、白色の服はちょっと避けます。それって、粗探しというよりは、危険回避力が強いんじゃないでしょうか。守りに入っている感じです。攻めと守りの姿勢、どちらかが強いかというだけでも、選択の仕方や人生は大きく変わってきそうですね。
おもしろいですね。攻めと守りという表現はあまり好きではありませんが、僕はどちらかと言うと攻め、というか「求めに行く」ほうが好きです。
そもそも、ポジティブとネガティブとは?
今更ですが、ポジティブとネガティブってそもそもなんなんでしょうね。当たり前に使っている言葉ではありますが、言葉について紐解いてみたいです。私はポジティブが前向きな姿勢、ネガティブは否定的な姿勢と捉えています。
そうですね。もちろん英語から来たカタカナ語ですが、日本ではいつから使われるようになったんでしょうね。オランダでもみんな日本と同じような意味合いで使います。
そうなんですね。デンマークではどうだったけなぁ。日本語に無理矢理訳すとポジティブが肯定的、ネガティブは否定的という表現で合ってますかね。なんだか日本語にしてみると、ポジティブやネガティブというのが、やはりフィルターがかかった後の間接的な感情のようですね。
そうですね。ポジティブとネガティブという単語をメカニカルに考えてみませんか。例えば、数学の世界で言うものはポジティブがプラス(+)、ネガティブがマイナス(−)ですね。医学の世界ではポジティブが陽性、ネガティブが陰性ということになります。
冬になると流行るインフルエンザの検査をした時に、陽性だとウイルスを持っているということになりますね。唯一、ポジティブが嫌われる瞬間と言えるんじゃないでしょうか?
「好かれる嫌われる」は個人の価値観によりますが、客観的に考えると、ポジティブは何かが「ある」状態、ネガティブは何も「ない」状態を指すのかもしれません。ネガフィルムというのもありますね。簡単に言うと色が反転した状態のフィルムです。ちょっと懐かしいですが、美織さん、知っていますか?
ネガフィルム……初めて聞きました。フィルムの表現でもポジティブとネガティブが使われるんですね!
ポルトガル語「サウダージ」と日本語「 」
ポジティブな感情とネガティブな感情が混ざり合っている状態の一つをポルトガル語で「サウダージ」と言いますが、これもまた日本語で同じような言葉があるんですかね。
どうでしょう。サウダージはとても独特な感情ですが、日本の「わびさび」が近いんじゃないでしょうか? 英語で「beauty of imperfection」とも略されることがありますが「不完全さの美」ということですよね。当時千利休は、ひびが入っている器を、その不完全さこそが美しいと考えたわけですが、「不完全という切なさがあるはずの中に美しさを見出す」という、ポジティブとネガティブの2つの感情がある気がします。
なるほど。「わびさび」って素敵な言葉として海外の本でも見たことがありますが、そういいことなんですね。
あと、サウダージは長期的な感情を指すようですが、短期的な物事や感情で言えば、日本の「一期一会」も似ているかもしれません。「もう会えないだろうという寂しいネガティブな気持ちと、一瞬の出会いを大切にしようというポジティブな気持ち」が入り混じっていますね。
「一期一会」! 状況が限られている表現なので全然違う意味に感じますが、よく考えてみると確かにそうですね。ポジティブとネガティブが入り混じった状態か〜。桜の季節にも感じますね!桜って、ほんの一瞬しか咲かない儚いものだけれど、その儚さを含めての美しさというか。
そうですね。まだまだ冬は始まったばかりですが春が待ち遠しいですね。
美織さんはレゲエ音楽とか聞きますか?レゲエができた発端は、「諦め」の感情と言われています。求めているものを得られない悲しさを陽気に表現したものがレゲエ音楽のようです。
そうなんですね。レゲエ音楽はあまり聞かないですが、起源がおもしろいですね。言われてみれば、ポジティブな感情とネガティブな感情が入り混じっている状況って多くあるのかもしれません。自分の感情と向き合う時、ネガティヴとポジティブを両極端に分類しないという考え方が理解できれば、どんな感情をも受け入れやすくなるかもしれませんね!
「 今ここで、しあわせを繋ぐ意味がある」〜 しあわせ探求庁でした✨
また来週水曜日にお会いしましょう!
(2024年12月11日)