『私と直観と宇宙人』感想【"横尾忠則氏の本9冊読む"の1冊め】
「なんや…横尾さんもチャネラーやったん…」
「紫綬褒章も受賞したスゴい人におこがましい」といわれようと、猛烈に親しみが湧いてしまった。
直観について書かれた部分のほとんどに「うん、うん。そうなんですよね、横尾さん…!」と納得しながら読んだ。
一方、異界とやり取りする中で見聞きしてきたものを、こうも堂々と大公開することに驚愕もした。
私も同じチャネラーでありながら、「変な人と思われたくない(まともな人間に見られたい)」が根深く、自分のやってることをうまく表現できずにきた。
だから、シンプルにスゴいと思った。
9月下旬より、横尾忠則氏の作品を鑑賞中。
ただ1回だけ観に行って終わりではなく、
予習なしで美術館に突撃
横尾氏の著書を9冊読む
再度美術館で作品鑑賞
の手順のうち、第2フェーズの模様をレポート。
今回は1冊目に読んだ『私と直観と宇宙人』の感想を。
美術鑑賞の楽しみかたを知りたい
精神世界に興味ある・親しんでる・生活の中に根付いてる
芸術と精神世界の関係に興味ある
夢占い、UFO、宇宙人が好き
こんなかたに楽しんでもらえたら。
『横尾忠則の不思議の国』展レビューはこちら↓
前提:なぜ9冊読むのか
最初に「なぜ9冊読むのか」という話をしておきたい。
当初、タイトルだけ見て惹かれたものを手当たり次第に予約。
数えたら7冊。内訳は、横尾氏主観のもの6冊+美術館年報1冊。
そこに後から、対談や往復書簡といった「横尾氏に対する第3者視点が入るもの」を2冊プラス。横尾氏への理解を立体的に深めたいので。
なぜ9なのかというと「最強の数字だから」。
例えば、9月9日重陽の節句。
今の時代ではメジャーじゃないけれど、昔から特にめでたいとされ、菊の花を飾ったり、花びらを浮かべたお酒を飲んだりしてきたらしい。
横尾氏に最大限に通じられる機会にしたい。
だから、数字のパワー借りちゃえ〜というわけなのだ。
この本のテーマにも合ってるし(ワクワク)。
本の概要
本書は3つの視点で直観や宇宙人に関する横尾氏の考え、体験がつづられている。
目次はこちら。
第1話 ワシ(夢の滝を想う)
第2話 彼(自己を想う)
第3話 わたし(宇宙人)
裏表紙に書かれている本の紹介文は次のとおり。
屋久島や隠岐、富士山などへの精神世界紀行。
直観(夢やシンクロ)。精神世界と芸術の関係。
そして、神、天使、自然、UFO、宇宙人との対話…つまりチャネリング(※)的な内容になっている。
※チャネリング…異次元とつながり、霊的存在や宇宙人など「生きている人間でない存在全般」からメッセージを受け取る行為
こういった構成の全体が、「横尾氏独特のユーモアと空気感」でカラフルにコーティングされている。
感想と考察【解像度が上がっていく”うさんくささ”の正体】
『私と直観と宇宙人』を読みすすめるうちに、だんだん私の中で横尾氏と横尾氏の作品の解像度が上がっていった。
感想として、その様子をつづってみる。
絵だけ鑑賞した時点での横尾氏の印象
横尾氏の作品を美術館で観たとき「このうさんくささ、どこかで見たことある…」と思った。
個人的に「うさんくさい」というのは悪い意味ではない。
「あやし興味ぶかい」って言い換えたらいいのかな〜
不思議に懐かしいような親しみを覚えるような…
今思うと「あなたもそうなんですか?(不思議なこと信じてやってるかた?)」という、知らない土地で同郷人を見つけたようなうれしさを薄々感じてたのかもしれない。
もうひとつ、コミカルさも。
ゲラゲラ笑いたくなる類の"コミカル"ではない。
失礼ながら「ぷぷ…かわいい」と吹き出してしまうような「可笑しさ」。
それも横尾氏にしかない空気感だ。
女性の…をねこで隠してるのとか。
(「女性への最高の賛美」と受け取ったので、すっごい覚えてる)
この2つの要素が合わさった独特のあやしい癒しエネルギーに、気づいたらズブズブとハマりこんでいた。
以上が、絵だけ鑑賞した時点での印象だった。
第1章 ワシ(夢の滝を想う)
音読したくなった。
文体が関西弁な上に、夢の話ならではのぶっ飛んだ内容だったからだ。
関西弁で夢と自分の課題を冷静に分析してる。
分析しながら大真面目に悔しがったり、ウーンと考えこんでる。
その様子がおもしろすぎる。
「そうそう、夢ってそういう感じなんだよなぁー!!」と共感も多々。
それでいてめちゃくちゃ示唆に富んでる。
夢の解釈がすごくハマってるというか納得できるというか。
おもしろすぎる上に示唆に富んでるなんて、ずるい。
「夢枕に立つ」という言葉がある。
昔から、夢はお告げのような役割をするものとされてきた。
運気をよくするのに夢を活用したい人は、かなり参考になるはず。
また
と言っているとおり、横尾氏のアートワークも何らか異界からのインスピレーションを受けて制作されているのだろう。
芸術と精神世界は親和性が高い。
その親和性ってどんなもの?
どんなふうにインスピレーションを受け取って活用するの?
こういったことを具体的に知りたい人にも参考になると思う。
ここでおまけ。
私は、トイレとか排泄物関連の夢をよくみる(きたない…)。
トイレ行きたいのにトイレが全部きたなくて入れないとか。
きたないトイレが詰まってあふれるとか。
これって、「言いたいことが言えてない」「やりたいことがやれてない」「何らかプレッシャーを背負いすぎ」つまり消化不良的な状態になってる暗示なのだ。
「も少し楽に気にせず生きよ」ってこと…
うーん覚えがありすぎるぅぅんーーー最近少しずつ減ってきたけど。
第2章 彼(自己を想う)
横尾氏が自分を「彼」といって客観視してるのが、いかにも直観っぽいなと。
私が直観やチャネリングを学んだとき、「俯瞰」をたたき込んだのを思い出した。
自分の感情からすら、一歩退いて観る。
今起きていることの全体像を、長い目で見ることも結構徹底的にやった。
そしてこの章でも客観性はそのままに、旅先でのおもしろエピソードが大真面目に語られている。何回も吹き出した。
面白い漫画より面白い…
笑わせようとしてないからこその面白さなのだった。
第3話 わたし(宇宙人)
3話では、再び横尾氏主観に戻る。
ここで、私はひとつの疑問を持った。
「なんで、1話は1人称が”ワシ”で関西弁だったのに、3話は1人称が"わたし"で丁寧な書き言葉なんだろ?」
個人的な見解だけど…
1話から2話、3話へと進むにつれて、横尾氏が異界と繋がっていく感じだからなのかな、と。
1話では、「この次元(私たちが生きてるこの世界)」にいて夢の話をしている。意識の両足がこの世界にしっかりついた状態で話してるというのか。
一方、3話では富士山を目前に望める場所にいる。
山やその裾野の青木ヶ原樹海、地下にある洞窟からのパワーを強烈に受け取っている様子が伝わってきた。
そして、最後には金星人との交信の内容がそのまま公開されてたり、日本の神様の力をお借りするなどなど…
意識がずいぶん「上の次元」に移ってるのかな、って印象を受けた。
この章の内容を読んで、最初に絵だけ鑑賞したとき感じた「うさんくささ+コミカルさ」の正体に、ほんの少しピントが合ってきたような。
ここまで直観を信じてて、UFOや宇宙人と会話してたらうさんくささが絵に現れ出てくるのも納得だよなぁと。
ぼんやり結論:「うさんくさい」は見たくないこわいものに使う言葉なのかも…
横尾氏の魅力について「うさんくさい」と表現したけれど。
「うさんくさい」=こわいもの・見たくないものに関して使う言葉
ではないかなーとふと思った。
そのひと言で片付けてしまえば、それ以上何も考えなくていいからだ。
そして、そのこわいもの・見たくないものとはまぎれもない「自分の本当の気持ち」では、と。
「一番やるのがこわいこと(自分の中でタブーだと思ってること)をすると道がひらける」という言葉がある。
少なくとも私にとっては見えないもののことを語るのはこわいことだ。
まだそういう思いがあるから、横尾氏に対して「うさんくさい」という言葉をつかってしまったのかも知れない。
そこにもやはり「まともな人間に思われたい」という気持ちがあったのかもしれない。
でも、今回直観やシンクロ、霊、宇宙人、UFO、天使、神様のことをめちゃくちゃ語ってる横尾氏の本にかこつけて、ちょっとだけ感じたままが書けた気がする。
自分に対して「お前はまともでなくてよし」とできたような気がする。
横尾氏の本を9冊も読み続けたあと、自分がどうなってるのか。ちょっとこわいけど楽しみだ。
富士山の地下には洞窟があるらしい。
そして洞窟は「母親の子宮」を意味するんだとか。
もう一度、そのことを書いた部分を読み返してみようと思った。
色々なおそれがまだなかったであろう胎児のころを、ちょっとでも思い出せるかも知れない。