心のシャッタータイミング
カメラを始めて丸6年目、写真は相変わらず上手くならない。
そもそも上手い写真とは何なのかも未だに分かっていないけれど。
しかしこの6年間で仕上がりや撮れ高はどうであれ自分の琴線に触れたらとりあえずシャッターを切るという事は以前より習慣付いてきた気がする。
撮るのはタダだし、撮らないと始まらないから。
やっぱりあのシーンを撮っておけば良かったなと後悔することはたまに有るのだが、撮ってから後悔したことは今までに無い。
後々見返して何でこんなシーンを撮ったんだろうと回想することが出来るし、本当に取るに足らない写真なら後からいくらでもデリートすれば良い。
自分の場合は大したことない写真でさえこうやって"写真の供養"とか言いながらnoteやInstagram、X等のSNSに吐き出しているが。
話は変わるが、写真撮りの人たちと話していると、写真に対する思想の緻密さや奥深さが、自分の理解の何百倍も上の人ばかりである。
目の前の光景を美しい、面白いと感じてその事実を記録するというよりは、頭の中で写真のイメージやコンセプトはすでに完成されていて、写真を撮るというより、絵を描くように写真を創っている人たち。
撮影後にPhotoshop等の現像ソフトで写真を加工したり合成したりといった意味ではなく、シャッターを切った際にその絵は完成している。
写真の色作りとか構図とかそういったパラメータでは説明出来ない何かが撮影前から確立している。
言語化が難しいけど現実というノンフィクションを撮っているのにも関わらずその人の意思がフィクションとして付与されたような表現なのかと。
自分にとっての写真は業務での撮影の一面も有るが、刹那的娯楽という一面が強いため、他の人と写真の優劣を付けようと思ったことは無いし、そもそも写真には本来上手い下手も無いため比較することもナンセンスだとは思うが、そういった人達の思想にはとても尊敬出来る。
とはいえ写真はシャッターを切らないと写らない。
つべこべ言っていても写真は勝手に生み出されないから。