実録 -30kgダイエット 4
更新間隔空いてしまってすいません💦
ありがたいことに忙しくさせて頂いてました。
今回は中1〜中3の予定だったのですが、受験偏があるのでその手前、中3冬までとなります!
是非Part1,2,3もご覧下さい😊
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中1〜中3
人は、人と違う事を嫌う。
私は群れて下らない悪ふざけをしたり、わかりやすくグレたりする事ができなかったから、常に1人で過ごしていた。
周りからは浮いているわけでも、埋もれているわけでもなく、孤立していた。
※(こう言った「俺は周りとは違う」的な視点から物を見ている人の事を中二病と呼ぶ事があるが、ニュースを見て世間がバカらしく思えるなら貴方も同じ病気にかかっている可能性があるし、この病は薬もなく、無症状患者が多い疾患なので、完治は不可能です。来世で会いましょう〆)
人とは違うのは内面だけでなく見た目も同じで、太っている事で冷やかされたり、蔑まれる事も増えたが、入学時にとんでもない奴と遭遇する事になる。
それは同学年の生徒で、中1にして170cm程の身長をほこり、体重120kg超と言う規格外の体格の持ち主だ。
当時身長160cm、体重65kgくらいだった私×2人分程のでかい壁。他の追随を許さないデカさだった。
「あいつは小学生の頃からデカかったし、あいつは親もデカいんだ。親が食べさせたんだろどーせ」
と同級生が教えてくれた。
だが、声をかけて話してみると見た目の大きさとは裏腹に、小心者で本当は心優しい人格だった。
中学一年目の担任はスターウォーズに登場する宇宙のギャングのボス「ジャバザ・ハット」にそっくりで、シルエット、性格の傲慢さをとっても発酵が進み、今にも炸裂しそうな酒樽の様だった。
この担任とは2年後の進路相談でバトルし、高校合格おめでとうの握手を笑顔で断ることになる。
Part5で紹介します。(笑)
浮いていた私にも1人、一緒に学校に通う友達ができたり、週末は友達電車に乗って遊びに行く様になった。
この頃はよく、コンビニに売っているリプトンとホットスナックを昼ごはんに、帰り道にはマックに寄る。そのマックを帰りの電車とチャリで消化して、家で飯を食べる。その流れが続いていた。
私の同級生は部活に励み、顧問の先生と学校に保証された環境で汗水垂らして頑張っていた。
私は制服や集団行動が苦手だったから部活には入らなかった。
その時間は全て地元ではない場所で過ごして、学校内だけでは得られない世界の広さと理不尽さをそれなりに味わったけれど、今となれば大切な経験だったと思う。
そして余計に孤独は増していく。
運動部全般が間違いなく私を見下していたし、彼らも間違いなく私を見下していたからだ。
何故か背後から蹴られたり、すれ違い様に肩をぶつけられる様な時期もあった。
中3
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「どうだと思う?こんな見た目で成績も最悪な俺に、誰かが、ましてやアイツが、興味を持つと思うか?」
「それとこれは別だろ。そんな事より、噂になってるぞ。おまえら、本当のところ、どうなんだよ?」
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消灯時間が過ぎた修学旅行の布団の中で、この会話は教師の見張りを警戒しながら粛々と交わされた。
もう6時間以上どうしょうもない噂話と、同級生カップルの下半身事情だけを話し続けている。
明日は東大寺と三十三間堂が控えていると言うのに。
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「ただ仲が良いって言うとそうではなくて、お互い好きな音楽があって、好きなカルチャーが同じだけだよ、てか、もう寝ない?あと10分しか寝れないけど」
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見た目も考えも幼稚でカーストの底辺にいる私が、この場の深夜のテンションに任せて「少しは気になっている」と言ってしまえば、明日の朝には言いふらされて夕食の頃には全校の共有事項に変わる。なにより、目の前の連中は口が1500円くらいのふわふわパンケーキより軽い。
それに、私にとってはその子と結ばれるよりも、好きな物・事について話し合う時間こそが重要で、退屈な学校では大好きなご飯の時間を差し置いてもそれが一番好きな時間だった。
間違った決断をしたら、自分にとって重要な時間を壊す事になる。相手からすればただの日常の中の会話だったかもしれないが、友達が少なく趣味趣向も特殊な私にとっては、学校内で唯一他人と話していて楽しいと思える時間だったのだ。
中学3年の1学期が終わり、夏休みに入った。
この時期から受験に向けて勉強しますとか言い出す連中と、最後の夏大!と言って惨敗して帰ってくる部活ガチ勢がこぞってLINEの一言とアイコンをそれらしい物に変え始めた。
私の夏休みはもちろん、ほぼ毎日遊んでいた。勉強には興味がなかったし、受験に合格するとか、落ちるとかは考えていなかった。
ある日、数学の教師が夏休みの終盤に教室で夏期講習をやると言う話を、あろう事か母親が聞きつけ、そこに行かされることになる。
夏休みに入った瞬間のハイテンションで、髪型を当時はほぼ誰もやっていなかったツーブロックにしていた為、教室入った瞬間「あいつやべえ」の視線が突き刺さった。
夏期講習には、意外にも多くの生徒が参加していて、部活を引退して暇な奴らも集まっていた。
地元の進学に強いとされる塾に通う者はおそらく今頃noteは読まない人種になっていると思う。
体型はというと、夏ということもあり、この頃の私は少し、痩せていたと思う。しかし、相変わらず3段腹だった。
2学期はあっという間に終わった。
外に出るとすっかり静まり返ったピロティ。校庭の奥で駐輪場と体育館の照明だけが鋭く銀に光っていた。こんな夜ばかりは、学ランをホックまで止めて肩を窄めながら帰るしかない。今週末で中学校は冬休みに入る。朝の冷たい空気が鼻の奥に突き刺さり、涙と共にあくび、鳥肌、くしゃみが込み上げてくる。
下駄箱に汚いスニーカーを突っ込み、今日から徐々に荷物を持ち帰らなければいけない事や1時間目が何の授業だったか、今日の給食はなんだったか、今日の放課後はなにしようか。そんな事を考えていたら終業式は終わっていた。
冬休みは案の定、年越しのその瞬間すら進路について考える時間だった。三者面談で言い渡されたのは、自分の学力では都立高校への進学は厳しいという事と、私立高校に入学する場合でも自宅からかなり離れた通うのに不便な学校しか無いという事。
確かに、内申点は良くない。そういえばそんな物に対して一切の興味が無かったので今まで気にもしなかった。
周囲と考え方や趣味も合わない私にとって、学校や制服は制度でしか無く、囚われてい様な感覚が毎日続いていた。だから、制度の中で経験できる事よりもそこでは学べない事に興味を持ったし、その分制度の内側で人よりも数倍もがいてきた。
学ラン、白シャツ、インナー、校章、クラス章。全てが自分にとって1番身近な環境であると同時に大きな枷だった。
「こんなんじゃまるで刑務所だ、奴隷だ、変わり者を見るような目も蔑みも一つとして忘れてやるのものか。今に見てろ、全部否定しやる」
自分のこの精神以外の全てに宣戦布告を突きつけ、そのほか全てのものを諦めるような決意だった。
この精神が、ダイエット成功の大きな足掛かりになったことは間違いない。
冬休みが明けてすぐに幼馴染の親に紹介された受験対策塾に選考の余地もなく突っ込まれた。
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次回、塾〜受験編。
はたして、学もスキルも見た目も終わっている奴がどうやって進学したのか。
乞うご期待。