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思い出になった人 | 祖父とケンタッキー

コロナの真っ只中に祖父が死んだ。ケンタッキーが大好きな人だった。戦争で幼少期は芋のツルしか食べられず、大人になったら、たらふく肉が食べたいというのが彼の夢だった。戦争が終わり、彼はその夢を叶えることができたが、食べ過ぎて身体に悪いからという理由で、晩年は祖母からケンタッキー禁止令が出た。

それでも、内緒で買って行き、二人で隠れて食べるというのをよくやった。祖父は死に際にも病院の床の上でケンタッキーが食べたいと呟いていた。だからケンタッキーを用意し、彼が入院する病院に向かったが、コロナの院内感染が発生しているということで、面会は許されず、泣く泣く引き返すしかなかった。

そうこうしているうち、容態は悪化。そのまま帰らぬ人となった。大きな病気ひとつしたことなく、死因は老衰だった。健康と元気そのもののような人だったから、その死は幻想のように思えた。その後、祖母と共に彼の墓にケンタッキーを供えた。ケンタッキーの看板を街で見かける度、亡き祖父のことを思い出す。あの世では、たらふく食べていることだろう。

「危篤状態なのに面会がダメなんですか?」「ダメです」病院の対応は淡々としていたが、それは痛いほど理解できた。彼らも私たちにそう告げることが、本当は心苦しかったことだろう。こうして死に目に立ち会えずに終わった。孤独のうちに死んだ祖父は寂しかったことだろう。最期に何を思ったのだろう?

疫病の本当の怖さは感染者の身体を蝕むことだけでなく、感染者とその周囲の人間の精神をも蝕むということだった。ボクとと家族は、死に目に立ち会えなかったという一生の後悔と無念を心に刻まれた。この精神的苦痛こそ、疫病の後遺症のひとつと言えよう。肉体と違って、一度傷ついた心は再び癒えることはない。

Shelk🦋

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