マークの大冒険 フランス革命編 | エジプト遠征での秘密
4月、校門の先には桜の花びらの絨毯が続いている。大学のキャンパスを照らす春の優しい陽光。そんな穏やかな光が窓の先にある教室を包んでいる。教室では、マーク教授による第一回目の講義が行われていた。
「始めに言っておこう。ボクの授業では、寝ていても、ゲームをしていても、違う授業のレポートをしていても構わない」
マーク教授の発言に生徒たちの驚きの声が上がった。
「なぜなら、学生時代のボク自身がそうだったから、ボクにそんな説教がましいことを言える権利はない。キミらがボクの授業の中で寝ようが何をしようが、ボクは決して怒らない。キミたちは、このモラトリアムを存分に謳歌したらいい。学生というのはそういうものだ。くれぐれも他の先生の講義で同じことはするなよ。教室から摘み出されるか、単位を落とすことになる。だが、別のことに注意を注げないほど、キミたちの興味を惹いて止まない授業になることを約束しよう。それほどに古代エジプトは面白い」
マークの言葉に学生たちの席から拍手喝采が上がった。彼の講義は、そんなふうにして始まった。
「ボクは常に自分の中に葛藤がある。新しいことが分かるようになるのは嬉しいが、ふと自分のこれまでの行動を振り返ると複雑な心境になる。古代エジプトにおける研究は、死者の眠りを妨げるという意味では避けるべきものなのかもしれない。でも、パンドラが甕を開けることを我慢できなかったように知的好奇心を制御するのは難しい。さて、早速だが、このスライドを見て欲しい。これはボクが学生時代に参加していた調査隊が発見したサッカラの墳墓の写真だ。ボクらが発見する以前は未開封の墳墓だった。そして、この墳墓の発見は、古代エジプト研究における重大な発見のひとつとなった。まずはその話からしていこう。これはボクがまだキミらと同じ18歳だった頃のことで......」
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1798年、フランス・パリ_____。
「マークさん、あの、本当にありがとうございます。俺なんかのために」
ナポレオンの書斎から出たジャック=ジョゼフ・シャンポリオンは、マークに感謝の言葉を告げ、深々と頭を下げた。
「キミの中にかつてのボクが見えた。現実に抗えず、途方に暮れた昔のボクの姿が。キミにはボクのようになって欲しくない。何者にもなれなかったボクのようには。人間、興味を持てることがあって、そして、それに打ち込めることほど幸せなことはない。頑張る者は、求める者は、報われなくてはいけない。ボクは、そう思うんだ」
「マークさん、俺を弟子にしてください!」
「弟子だなんて、ボクはそこまでの人間じゃない。だけど、キミには夢を叶えて欲しいと思う。だから、協力できることなら手を貸すことを惜しまない。ボクにも昔、そうしてくれた人がいた。ボクはその人の期待には結局応えられなかったけれど、それでも彼なくして今のボクはいない」
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1798年、エジプト・アレクサンドリア_____。
神殿の中で、マークは壁面に彫られた文字をぶつぶつと読んでいた。
「王が神に与える供物。オシリス、西方の第一人者、アビュドスの主......」
「マークさんには読めるんですか?この文字が」
「ああ、読めるよ。世界の始まりの秘密もここに隠されている」
「古代エジプト文字は、未解読のはずではなかったですか?」
「そうだね」
「マークさんは解読に成功したんですか!?」
「いや、ボクじゃない。ボクはただのデータベースに過ぎない。分かっていることを、ただ覚えているだけだ。ボクは何ひとつ独創的な発想ができない。データベースは独創的発想という高度な知恵を持たないのさ。ボクはただ、先人たちが切り拓いてきた情報を知っているだけに過ぎない。本当にそんな自分にウンザリするし、悔しいよ。なぜ神は、ボクに好奇心や野心だけを与えて、それを叶えるだけの才能を与えてくれなかったのか。生殺しにされている気分だよ」
「そうですか。でも、あの、マークさんでなければ、誰が解読したんですか?」
「いずれキミにも分かる。でも、まだそれを知るには少しは早い。キミに近しい人間がその鍵を握っている。だからキミもいずれ必ず知ることになる。意地悪をしているようで申し訳ないが、今はまだ言えないんだ」
「俺に近しい人間?マークさんでなければ、誰なんだろう?まあ、よく分からないけれど、大人の事情ってやつですね」
「そんな感じだ」
「それで、古代エジプト語についてはどれくらい解読が進んでいるんですか?」
「古代エジプト語は、意味の上ではほとんど全てが解読ができているよ。一部、中期エジプト語の動詞など、文法構造に疑問が多々残っているけどね」
「中期エジプト語?古代エジプト語には、何か、その、段階があるんですか?」
「ああ、古代エジプト語と言えども歴史が長いからね。彼らの歴史は5000年に及ぶ。言葉の変遷があっても当然だろう?フランス語だって、今と昔で違いがあるのと一緒さ」
「なるほど!」
「古代エジプト語による文字資料は、大きく分けて歴史記録、宗教文書、文学作品、会計報告、外交文書の5つにカテゴライズできる。だが、特に彼らは宗教文書が発達している。死後の世界について独自の世界観を持っていて、また死後の復活に執着していたことが窺える」
「壁画に記されているものも、それに関係しているんですか?」
「ああ、その通りだ。墳墓内の壁画や棺のテキスト、パピルスの巻物は、死者の復活についての記述が大半だ」
「具体的にはどんな内容が記されているんですか?」
「死者の書だよ」
「死者の書?」
「神々はとりわけ嘘をつかない正直者、謙虚な者を好む。古代エジプトの死生観では、真実の間と呼ばれる場所で死者は心臓の重さを測られる。真実の女神マアトの羽と共に天秤にかけられ、釣り合えば楽園行き、そうでなければ地獄へ落ちる。この試験に合格するため、人々は生前に善良な行いをした。こうした死生観を植えつけることで、モラルハザードを防いでいたわけさ。例えば、死者の書『アニのパピルス』では、心臓の計測者アヌビスが『お前は謙虚で好感が持てる。楽園へと受け入れよう』とアニに対して述べる箇所がある。死者の書とは確実に楽園へ導かれる方法が記述された文書で、正式名称はペレト・エム・ヘルウ、日下出現の書という」
「ごめんなさい。俺には難し過ぎて分からないです」
「こちらこそ、マシンガンのような語り口調ですまない」
「マシンガン?」
「いや、何でもない」
*マシンガンはこの時代にまだ存在しない。彼らはマスケットと呼ばれる銃弾の装填に時間が掛かり、連射ができず命中率も極めて悪い銃を使用していた。
「あの、5000年の歴史や中期エジプト語と先ほど仰っていましたけど、そうした変遷がどうやって分かるんですか?」
「古代エジプトの歴史を研究する際の資料は、前4世紀のエジプトの神官マネトによって記された年表がベースになっている。彼は歴代の王朝を区分し、番号を振ることによって年代の整理を行ったんだ。もちろん完璧なものではないが、彼がまとめた年表は古代エジプト史を知る重要な鍵になっている。今では年代を紀年法で記すのが習わしだが、当時は即位紀元という年代の記録方法が採られていた。王の即位から何年目という数え方で、王が変わると数字はまたゼロに戻り、年が明ける度に順に数えられてく。この年代記法は、ボクの日本でいうところの元号に相当する。キミらで言うところの革命歴だ。古代エジプトの歴史上の出来事は紀年法で記されるが、これは同時代の諸外国の文献や天学的な現象を基にして推測・換算を行っている。だが、全ての年代を明確なものとするには遺された文献の数が少なく、不明瞭な点も多い。古代エジプトの歴史は、末期王朝時代以降の出来事は年代がほぼ年単位で判明しているが、それ以前の時代については判然としない部分が多く、推測の域を出ないのが現状だ。プトレマイオス朝時代については大きな出来事であれば、それらがいつ起こったのか年単位でほぼ正確に判明している」
「やっぱり難しいですね。全然分からないです」
「それで良いさ」
「最後に聞きたいことがあって。一番最初に世界の始まりの秘密が隠されていると仰っていましたが、世界はどうやって始まったのですか?」
「良い質問だ。世界は当初、暗く湿気に包まれていた。それは、原初の海ヌンと呼ばれる。この暗闇の海に突如、光が照らされ、スポットライトのように当てられた部分からピラミッドが出現したんだ。すると、どこからともなく現れたベヌウ鳥と呼ばれる不死鳥がピラミッドの頂上にとまり、鳴き声を発した。その鳴き声を発端に世界が次々に創造されていったと記されている」
「世界の始まり、何だか神秘的ですね」
「ああ、だが、今話したことは、まだキミとボクだけの秘密にしておいて欲しい」
「分かりました」
「キミのような好奇心のある人間には、つい口が滑る。本当に大サービスだが、キミにこのメモを渡しておこう。これは誰にも見せてはいけない。使わないことが望ましいが、もしどうしても必要があると感じたら使うんだ。これはパンドラの箱のようなものだと思って欲しい」
「これ、古代エジプト語とマークさんの国の言語ですか?漢字ってやつ?」
「ああ、そうだ。わざと分かりにくいようにボクの国の言語で書いた。一種の暗号化だね」
「大事にしまっておきます!」
「アンシャンレジームが終わって、キミたちはナポレオンがつくった新しい時代にいる。無限の可能性を秘めた時代に」
「ナポレオンさんは、みんなの希望です」
*ジャック=ジョゼフ・シャンポリオンは、ボナパルティストの一人だった。ボナパルティストとは、ナポレオン支持者を指す。当時、若者たちの間ではナポレオンを支持する者が多く、ジャック=ジョゼフもそうした流行りに乗ってナポレオンに憧れる一人の青年だった。
「ああ、キミたちはナポレオンと共に新しい時代を切り拓く。何だってできるさ」
「古代エジプトの学術的なことはまだ全然分からないけれど、俺、エジプトのこの風が好きです」
「ああ、そうだね。この風を5000年前の彼らも感じていたんだ。そう考えると浪漫がある」
「本当に来れて良かった」
「うん。ボクもキミと来れて嬉しい。そろそろ昼食の時間になる。ナポレオンたちのところに戻ろう」
「はい!」
*エジプトでの発掘調査は、明け方から正午にかけて行われる。午後の灼熱の中では危険が伴うため、正午まで調査をした後は休憩を取り、午後は室内で各々の研究活動を行う。
To Be Continued...
*このストーリーは一部史実や研究を元にしていますが、フィクションです。
Shelk 🦋