時間の切り売りの限界と違和感
こんにちは。
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私は、時間の切り売りする働き方に違和感がある。
医者も単価は高いものの自分の時間を切り売りしている。そこから病院経営など自分の時間をあまり使わずにレバレッジをかければ、それは時間超越型のビジネスモデルになる。
どうしてもが適してい時間の切り売りで成り立つ業界もあるし、そのすべてを否定するわけではない。中にはただ決まった時間働いてスパッと帰りたい人もいるだろう。それは人の生き方、価値観の問題である。ただ、ビジネス的に考えれば時間超越型のビジネスモデルを目指すべきであろう。
私が特に納得いかないのが工数という考え方だ。昨今、大企業からの仕事は派遣から請負いに軸足を移しているように思う。
これは、何かあっても派遣に関する法律が厳しくなって使いづらくなったことと、何か問題があっても自社ではなく請負いの会社が勝手にやったことだからと逃げることができるからではと邪推している。
例えば、ある仕事を請け負った時に自分たちでやるならば、1日8時間×20日でやる仕事を納期10日で発注した場合、請負った会社は1日16時間の仕事をしなければならない。
仮に、そうしたことが常態化し労働基準法に引っかかったとしても自分とは関係ない会社での出来事というわけである。
そこで、工数という概念が出てくるのだが、ここに非常に違和感がある。
本来、仕事を請け負っているので出てきたアウトプットに対して対価が決まるべきであると思うのだが、実際にはその仕事に何人でどれだけの時間が掛ったか記録しておき、時間単価×工数でお金が支払われる。
これだと、例えばAIなど画期的な技術で仕事を1/10で出来たとしたら収入が1/10になるのである。逆にダラダラ時間をかけて仕事をすればその分収入が増えることになる。
これでは、効率化を図ろうという動機は生まれにくく残業も増えていく。
現に、私は今、工数をもとに働いているがどうでもよいことにこだわり、効率的に早く仕事を済ませて早く帰るという意識が希薄に思う。
工数を用いなければ、それこそ無理な日程での仕事の発注がなされるというが、そんな仕事は請負わなければよいと思う。ただ、仕事にかかる適切な時間が見積れるかが難しいのだとは思う。
私は、どうもこの工数という考え方に心が拒否感を持つ。