「です・ます」と「だ・である」

テキストの語尾を「です・ます」か「だ・である」のどちらかにまとめるのが文章表現の基本だ。これらの混在は概ねしないものとされている。

「です・ます」は、表現として穏やかでフレンドリーな感じがします。
会話的または「やりとり」的ですし、説明的というか、こちらから説明をしてあげる的というか、そういうていねいさ、相手への優しさ・配慮を含んでいるのではないかと思います。説明的なので、文章の量が増えます。まだるっこしく間延びしやすくなる、というネガティブな側面もあります。
ていねいで相手に配慮している感があるので、気持ちや感情を述べるのにいいのかも知れません。

「だ・である」は断定的で主張的だ。自分の側からの表現形式で、忖度しない・またはする必要がない。誰が述べるかによらない事実や客観的な結論・逆に他人を忖度しないでいい個人の主張を述べるのに適している。このパラグラフにもこれ以上書くことがなく、短い。

テキストを書くときは、どちらの方式で書くのかスタイルを決める必要があります。決める時には自分の文体に対する好みも影響します。私自身は村上春樹の文体をまるで自分が書いたように自然に感じていますが、ものを書くときの理想・目標としているのは白洲正子の文体で、それはほぼ完全に「だ・である」で、断定的です。あの方は思想的に自分で考えたことしか書かない方ですから。
このnoteサイトでテキストを書くことにしたとき、まだどちらで書くかが決まっていませんでした。というより、ふだん「だ・である」なので「です・ます」で書いてみたらどうなるだろうか、と試行錯誤していました。「ですます実験」なわけですが、どうもさくっと書こうとすると自然に「だ・である」になっていきそうな感じがしています。

これら二つの表現形式はは混在できるのだろうか。難しいのかもしれないが。公式のプレスリリース会見の質疑応答のフェーズで「ぶっちゃけ」のような発言で表現形式が変わることがある、そんな感じだろうか。
たまにすこしだけ試してみるか、または自然にそうなることがあるかも知れない。基本「だ・である」をキープしつつフレンドリーでいられるか? というチャレンジになるかも知れない。

と、パラグラフごとに交互に「だ・である」と「です・ます」を使ってみました。

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