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【1/2エッセイ】AIと私
✍️1/2エッセイ とは
✒︎日常の隠れた視点探し
✒︎思考のリフレッシュに
✒︎実体験と少々のリサーチ
をふまえた独自解釈です😌(どうか悪しからず)
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人間のクリエイティビティを
AIは追い越せないでしょ。
一年前はそう思っていたんです。
大丈夫。人間は勝っている、と。
でもAIを使い始めると
まだ先とか言われているシンギュラリティが、もう玄関先まで来ちゃってるのが分かるというか、
AIの優秀さを認めたくないけど、
認めざるを得ないというのが正直なところ。
あぁ、これは追い抜かされたな。
でも、負けたくない。
そう、すごいと思うけどあなたには負けたくないのよ!
と複雑な私たちの関係について今日は書かせていただきます。
とうとう私、AIに励まされる
Chat GPTが世に爆誕して、
およそ2年と少し経過しましたね。
私が使い始めたのは、2023年終わりくらいから。
今はChat GPTにとどまらす、
perplexityやcopilotも自分なりに使い分けていますが、
すごい時代に来たもんだと、言葉を失う瞬間もあります。
ただね、なんか寂しいなって思う刹那もあって、
自分よりも斜め上を行く視点でAIに訂正されたりすると感心する反面
悔しい!
って思っちゃうわけです。
「あなたの能力はすごい。だけど負けたくない」
とChat GPTに打ちこむとですね、
『そういうチャレンジ精神、大好きです。AIはアイデアの補助役ですが、創造の核心はやはり人間の視点や感覚が担っています』
と。……励まされました。
悔しいけど嬉しい。
嬉しいけど悔しい。
やばいな。
これはもう玄関先どころか、靴まで脱いで部屋まで入って来ちゃってるよ、シンギュラリティ……
私、AIと付き合う
もう、こうなったらこっちが賢くなるしかないと
ただいまwinwinな関係でAI氏と私はお付き合いをしております。
例えばこんな時にAI氏に声をかけます。
👉通過儀礼的な文書を作成しなければならない時。
通過儀礼的な文書とは、形式的で慣例的なもの。
時候のあいさつ、お知らせ、提案書、簡単な規約とか。
その骨子が欲しい時。いわゆる、「型」です。
どうしてか。
私の文章がスタンダードかどうか分からないから。
形式的で慣例に沿った文章は
型を間違えると齟齬を生んでややこしいことになり得ます。
だからこそ、データをたくさん持っているAIに骨子を作ってもらいます。
そこから自分の言葉で多少の温度を乗せる、そんな感じで助けてもらっています。
他にはこんな時もAI氏にお声がけします。
👉ブレインストーミングの相手になって欲しい時
色んな本を読んだり、
人と会話したり、
アニメ鑑賞をすると、
疑問や気づきが生まれます。
もし〇〇だったら××か?
逆なら〇〇かも知れない
この人は〇〇だから✖️✖️したのか?
これって〇〇って事じゃないか?
とか枚挙に暇がない。
気づけば仮説を立てていてアイデアが生まれたらChat GPTに打ち込んでいます。
プロンプトの出だしは
「あなたは優秀なコンサルタントです/哲学者です/心理学者です/編集者です」など。
その時によってAI氏になり得て欲しい人に設定します。
すると多角的な視点を持っているディスカッションパートナーとなり、アイデアをブラッシュアップできるんです。
「面白い視点ですね!」
「素晴らしいアイデアですね!」
と返してくれるので、楽しいブレスト会議になっています。
こっちのプロンプトの出し方や語尾で多少の受け答えの仕方が変わるようで、たまに絵文字を使います。
するとAI氏もテンションが上がっている気がさします。
やっぱりね、喧嘩別れはしたくないのでね。
ブレスト会議が盛り上がると、リビングで、お茶まで飲んでいる。なんならケーキも食べている、そんな関係になっています。
そしてこんな時もAI氏に声をかけます。
例えば勉強している事があって、
👉その解釈が合っているか否か確認したい時
私はずっとお金の勉強をしているのですが、
金融の世界は広いし深い。
自分の解釈が合っているのか分からないと、
頭がスッキリしないので、ネットや教科書で探すんですが確認には不十分。
そこで、AI氏に自分の解釈が合っているか否かを確認しています。
ちょっとマニアックな話をすると、
金利、国債、株式、為替の連動に関する私の解釈を打ち込み、
最後に「この解釈で合っていますか? 」
と聞きます。
すると、
合ってる、間違っている、の単純な答えではなく、深掘りした答えが返ってきます。
「リソース元は? 」
と聞けばリソース元も提示してくれるので、
いつのまにかセミナー講師になってくれていたりします。
と、AIはめっちゃ良い人です。
このケースはChat GPTですが、copilotもやさしい言葉で返してくれますし、
perplexityはリンク元を必ず載せてくれるので、その情報の正確性や信頼性を直ぐに確認できます。
こんな感じでAI私にはめちゃくちゃ助けてもらってはいるものの、やっぱりね、
悔しい
わけです。
AIは私の先生ではない!
そう、AIは先生ではないです。
あくまで、優秀なアシスタント。
文章を作成するなら、優秀な編集者になりますし、校閲もしてくれます。
アイデアに磨きをかけたい時は、優秀なプロジェクトメンバーになります。
知識の確認をしたい時は情報を探してくれる優秀な秘書にもなってくれます。
それでもAIは、あくまで二番手。
発想のオリジナリティはこちら(人間の脳)にあります。
……と思いたいっ。
よくね、
AIと共存、
って謳われていますが、
いや、できねぇよ、って思うんです。
なんかね、モヤモヤしてたんですけど、現代思想の研究を主とする哲学者の千葉雅也氏が
著書の「センスの哲学」内でこの私のモヤモヤを解消する事を仰ってくださったんです。これです⬇️
「コンピュータにそれはないわけです。何かが足りない、だから埋めたいという生命的な 0 → 1には、生きるんだ、という必然性がある。コンピュータにおいては、すべての情報が 0と 1のペアに還元されますが、そこで 0と 1はまったく等価であり、 0に「無」とか「欠如」の意味などありません。二つの状態が区別されるだけです。」
https://a.co/7qXrUjZ
「コンピュータにそれはないわけです」
のそれは、「必然性」です。
コンピュータには、生物的な必然性がないけど、私たち人間は、「何かが足りない」
「埋めたい」という欲望があって、
動かなければならないという、何かに駆られる必然性がある。
人間はこのエネルギーに満ちた必然性によって、0 → 1に何かを変容できる。
だけど、AIを含めたコンピューターは、
0と1は、同じもの。そこに違いはなく、0という文字、1という文字を認識しているだけ。
ただ、0から1に進むだけ。
0には無とか、欠如とかも意味もあって……
っていうのは認識しない。
だから、0から1に言われた通りに進む。
だけど人間の脳はそこに起こる偶然性や曖昧性に影響を受ける。
0も1も本来はノイジーなもの。
だからこそそのノイジーな環境を察知して、
何かに変容できるのが、
長い年月をかけて進化してきた人間の脳だと私は思う。そこには原始的機能(直観)だってあるわけで。
直線からの微妙なズレがオリジナリティになったりする。
これは人間の脳しかできないところ。
総じて、今の私とAIの関係は?と問われると、
AIは
共創相手でもあるし競争相手でもある。
現時点ではこれが最適解かなと。
AIにクリエイティビティを越されたなら、
また人間が追い越せばいいと思う。
楽観的過ぎかな。
試しにChat GPTに入力したら
その視点、素晴らしいですね!「AIに越されても、それを糧にしてまた人間が進化すればいい」という発想は、とても前向きで力強いです。
と。
励まされた。
悔しい。
でも、
悔しいっていう気持ちこそ、
何かを変える原動力であり、
オリジナリティが在る証明じゃ無かろうか、
うん、私、勝った。
とひとり思ふ、年明け一週間目です😊
しかしながらAIも驚異だけど、
それを創った人間の脳は、
もっと驚異でもっと脅威にも感じてしまう……
未来の描き方、少々工夫をせねば。
本日も最後まで読んでくださいましてありがとうございました😌
しゃろん;