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プロ論。

個人のプロ意識が組織の一速ギアを上げる

社会人1年目の頃、初めて社外の方と一人で打ち合わせをした時のことです。

「あなた、プロですよね?じゃあ、この件についてはどう考えますか?」

先輩社員が必ず同席していた試用期間を終え、意気揚々と臨んだ専門家への取材。
しかし、そこで投げかけられたこの一言に、私は言葉を失ってしまいました。


あの日、突きつけられた「プロ」の壁

本で読んだ「取材の型」に倣って質問を投げかけてみたものの、相手は私の不安や準備不足を見透かすように、深く鋭い質問を返してきます。

「あなたが本当に聞きたいことは何なのか?」
「なぜこの取材をしているのか?」

頭の中は真っ白。
ただただ、目の前にいる専門家と、自分自身の経験不足との差に圧倒されていくばかり。
そして、自分は「この取材にのぞむ際に、自分の頭で考えた“核”がないのだ」と痛感させられ深く反省しました。

「若さ」という免罪符

社会人3年目、仕事にも慣れ、少し自信が持てるようになってきた頃。
面談で上司から言われた一言が、忘れられない記憶として蘇ります。

「今は若いから、周りの人たちが助けてくれてコトがうまくいっているけれど、歳を重ねた時にどういった振る舞いでキャリア形成するかを考えているか」

現代だとコンプラ的にアウトな発言なのかもしれませんが、自分が「半人前だ」と突きつけられたような気がして、振る舞いを見直すきっかけになりました。
当時の私は無意識のうちに「女性」で「若い」ということで、どこか甘えがあったのかもしれません。

「プロ」であることを問われる日々

その後も、様々な場面で「プロですよね?」という言葉に直面しました。
その度に自分の未熟さを痛感し、一般的な「プロ(専門家)」としての意識の差を突きつけられるような思いでした。

そして、最近では、私自身が相手に「プロなんですよね?」と問いかける側になることも増えてきました。

自分がこの言葉を投げかける当事者となって初めてわかったのが、

  • 相手の能力を信頼しているからこそ、責任ある仕事を任せているのだということ

  • そして同時に、その言葉の裏には、プロであると信じる自分自身の責任も存在するということ

でした。

「プロ」と「素人」を分けるもの

一体、「プロ」とは何でしょうか?

様々な経験を通して、私がたどり着いた答えは、覚悟の差 です。

言われたことをこなすだけの「素人」ではなく、
プロとして、責任と覚悟を持って仕事に取り組む。

そして、相手の期待を超える結果を出す

それが、「プロ」と呼ばれる人に共通する、たった一つの条件なのかもしれません。

プロ意識の欠如が招いた、日本通運システム開発訴訟問題

2023年、日本通運で起きたシステム開発訴訟問題は、まさに「プロ意識」の欠如が招いた典型的な事例と言えるでしょう。

日本通運が委託した物流システムの開発は、担当者の専門知識不足やプロジェクト管理の不備により大幅に遅延。
その結果、巨額の損害が発生し、開発を請け負ったベンダーとの法廷闘争にまで発展しました。

この問題は、

  • 「プロ意識」の欠如が、組織に深刻な損害を与える可能性があること

  • 専門性の高い分野においては、外部の専門家との連携を強化し、適切なリスク管理体制を構築することの重要性

を浮き彫りにしたのではないかと感じます。(訴訟段階なのでなんとも言えないですが、個人の感想です)

プロとして問われる、終わりなき挑戦

経験を積む中で、周囲から「プロ」として認められる瞬間が訪れるかもしれません。
しかし、本当のプロであり続けるためには、現状に満足することなく、常に学び続ける姿勢が不可軽です。

誰かに「プロですよね?」と問われるのは、まだ相手に優しさがあってのことだと思います。
そう問われなくなったときにこそ、自ら学び、行動し、プロとしての知識やスキルを磨き続ける。
その積み重ねこそが、成長の一歩に繋がるのだと感じます。

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