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サイケデリアに埋没する/草間彌生美術館

先日、東京を訪れた際に新宿にある草間彌生美術館に初めて行った。住宅街付近にぽつんと立つ細長い建物。平日の昼間だったからか、観客の大半が恐らく海外からの観光客。あまりないシチュエーションでの鑑賞だった。


有名な大きな南瓜のオブジェなど巨大な作品はいくつか観たことはあったが、ここまで多くの草間彌生作品を一挙に観る機会はなかった。巨大な絵画作品、紐状の物体と箱によって構成された作品など、どれも圧巻。そして全てが無数の水玉や同一モチーフが連続する作品であり目に訴えかけてくる。


草間彌生は統合失調症を患っている。妄想や幻覚を主症状とする精神疾患だ。10歳の頃から幻視や幻聴に悩まされており、水玉や網目を書き始めたのはその苦しみから逃れるためだった。彼女なりの防衛機制として、その幻視そのものを書き始めること。それが草間彌生の芸術の始まりだったという。


水玉が散りばめられた部屋にしばしの間その身を置くことのできる作品「I'm Here, but Nothing」には恍惚とした。彼女の見ているサイケデリックな景色の中にそのままひきずり込まれたような気分。目がチカチカとしてくるのだが、次第にそれすら心地よく水玉に没入していくような視覚体験だった。


9月18日まで開催されている展覧会は「草間彌生の自己消滅、あるいはサイケデリックな世界」という。草間彌生は単一モチーフの強迫的な反復と増殖から生じる、自他の境目が消えていくような感覚を“自己消滅” と呼んでおり、まさにこの作品に身を置いたからこそ実感することができた。

また、映像作品でも世界各地で繰り広げてきた路上パフォーマンスを確認できた。集まった人々の体に水玉を描き、自分の周囲全てを水玉で埋め尽くすその姿。彼女は、自らのサイケデリアの中へそれ以外の世界を全て巻き込もうとしているようだった。病(とされている世界)と、周囲の世界の主従を反転させるような。それこそが、彼女の生み出す作品の力なのだと思った。



全国各地に置かれているパブリックアートもまた、目に楽しいもの以上の意味をもって届いてくる。この景色の中に自らのサイケデリアを鎮座させること。それこそが、苦しみと世界を接続し、反転させる役割を果たす。このような、病との共生があるのかと感嘆する。いや、病とみなしているのは我々の尺度で、彼女はそれと全く異なる位相で病と居る。きっとそうだろう。



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