マハーバーラタ/6-28.ガトートカチャの武勇
6-28.ガトートカチャの武勇
八日目の朝がやってきた。
この日は両軍ともに珍しい陣形を採用した。
ビーシュマはカウラヴァ軍をウールミヴューハ(海の陣形)に整えた。
まるで海の波のように広がった陣形であった。
一方でユディシュティラはパーンダヴァ軍をシュリンガタカ(角)の形に整列させるように指示した。
その二つの陣形はビーシュマとアルジュナが得意としていたものであった。
最初に圧倒的な活躍を見せたのはビーマであった。
彼は祖父ビーシュマに襲い掛かり、矢のマントで彼を覆った。
さらにビーシュマの馬達と御者を殺した。
その時彼に目に飛び込んできたのはドゥルヨーダナの弟達。
彼が殺すと誓った獲物であった。
そして彼らを襲い、相次いで8人を殺した。
弟がさらに8人も殺された光景を見て恐ろしくなったドゥルヨーダナはビーマの誓いを思い出し、祖父ビーシュマの元へ駆け込んだ。
「ビーマを早く殺してくれ!
あいつは私の弟をさらに8人も殺してしまった。このままでは全員死んでしまう。
何をそんなに落ち着いているんだ? やはりあなたはパーンダヴァ兄弟の味方なのか? 私達にも愛情を見せてくれ! もうどうしてよいのか分からない」
「ドゥルヨーダナ、そんなひどい言葉を口にするのはやめなさい。私はあなたを愛している。その証拠に私は逃げることなく、あなたの為に戦っているではないか。あなたのグル、ドローナも私と同じだ。
何度も忠告しただろう。パーンダヴァ達を倒すのは不可能だと。
あなたも、あなたの弟達もこの戦争でビーマに殺されるだろうと。彼はドゥリタラーシュトラの息子を見れば直ちに殺しにやってくる。彼の復讐は誰にも止められない。
戦争をしないようにたくさんの者達があなたを説得しに来たのを覚えているだろう。このような事態になったからには、私に言えるのはこれだけだ。
死ぬ覚悟をしなさい。クシャットリヤとしての勇敢な死を理解しなさい。人の力ではどうにもならない運命を変えようとするのは無駄なことだ」
そんな厳しい言葉を残してビーシュマは去っていった。
お昼のことであった。
パーンダヴァ達は団結して一斉にビーシュマを攻撃していた。しかし誰一人として彼に対抗できないままであった。
アルジュナの息子の一人、イラーヴァーンもこの戦争に参加し、毎日戦っていた。
彼はシャクニがパーンダヴァ軍を攻撃しているのを見かけ、自軍を引き連れて向かった。
彼の武勇は父アルジュナに匹敵し、武器の扱いはアビマンニュのように巧みであった。
その技でシャクニに大きな傷を負わせることに成功した。
その戦いを見たドゥルヨーダナは自軍のラークシャサ(妖怪)、アランブシャの所へ行って命令した。
「アランブシャよ。アルジュナの息子が伯父シャクニを苦しめている。
彼は危険だ。あなたのマーヤーの術で退治してくれ」
アランブシャはイラーヴァーンの所へ向かい、戦い始めた。
両陣営から英雄と称えられたイラーヴァーンであったが、アランブシャのマーヤーの術に耐えることができなかった。
そしてイラーヴァーンの首がラークシャサによって切り落とされた。
イラーヴァーンの死を目撃したのがパーンダヴァ軍のラークシャサ、ガトートカチャであった。
彼もまたマーヤーの術を使ってドゥルヨーダナに襲い掛かった。
まるでネズミをもてあそぶ猫のようにカウラヴァ軍をもてあそんだ。
ガトートカチャに襲われるドゥルヨーダナを助ける為に集まったたくさんの王達が対抗した。ドゥルヨーダナの周りには大混乱が生じていた。
その混乱の音を聞いたビーシュマが言った。
「ドゥルヨーダナはあのビーマの息子には敵わないだろう。ビーマの誓いがなければとっくに殺されているだろう」
その発言を聞いたドローナ、アシュヴァッターマー、ジャヤドラタが救援に向かった。
ガトートカチャは敵軍が集まってきたのを見て、かつてないほど興奮し、力強い声で雄たけびを上げた。
ユディシュティラがその叫びを聞いた。
「ビーマ! 来てくれ! ガトートカチャの美しい声が聞こえた。
あの声の方に向かって敵軍が集まっている。
彼が心配だ。アルジュナはビーシュマの怒りから我が軍を守るのに忙しい。どうかあなたの息子を守りに行ってくれ。彼に加勢してドゥルヨーダナを倒すんだ!」
ガトートカチャの元にビーマが駆け付け、共に戦い始めた。
ドゥルヨーダナの軍はあっという間に破壊され始め、劣勢となっていった。この父子は手に負えない二人であることを証明した。
ドゥルヨーダナは怒り狂って宿敵ビーマと戦い始めた。
周りにはたくさんの戦士達が集まり、次第に全軍同士での戦いとなっていった。
優勢となったビーマがいよいよドゥルヨーダナを殺そうと鎚矛を掲げた時、ドゥルヨーダナは連れ去られた。
カウラヴァ軍にとってビーシュマが無敵であるのと同じように、パーンダヴァ軍にとってビーマは無敵であった。
そしてビーマの息子ガトートカチャもまたカウラヴァ軍を怯えさせていた。
何が起きているのかを見る者は無く、彼と戦う者もおらず、襲われた者は次々と倒れて気を失った。
カウラヴァ軍はまさに混乱していた。
兵士達は自軍のキャンプに向かって走り去った。
パーンダヴァ軍から吹き鳴らされたほら貝はガトートカチャが敵軍を完全に敗走させていることを示していた。
ドゥルヨーダナはビーシュマの元へ駆け込み、これまでの出来事を伝えた。
「祖父よ! あのガトートカチャを殺しに行ってください」
「我が孫よ。聞きなさい。今は行くことはできない。この場から離れることはできないのだ。バガダッタを行かせよう」
バガダッタがスプラティーカという名の象に乗って向かった。
ビーマ、アビマンニュ、ガトートカチャ、ドラウパディーの息子達がその巨大な象を迎えた。
ビーマに向かって突進する象に対し、パーンダヴァ軍の英雄たちは槍や鎚矛を使って止めようとしたが、その前進を止めることはできなかった。
そこへダシャールナの王が象に乗ってやってきた。
二頭の巨大な象はぶつかり、互いに押し合った。
象の力は拮抗し、髪の毛一本ほども動かなくなった。
しかしバガダッタがダシャールナの王に矢を放ち、撤退させた。
カウラヴァ軍には喝采が起きた。
バガダッタは象に乗ったままパーンダヴァ軍の破壊を再開した。
そこへアルジュナが駆け付けたが、その時彼は息子イラーヴァーンの死を知らされた。
「クリシュナよ。
叔父ヴィドゥラは予言していた。この戦争が始まってしまったらカウラヴァとパーンダヴァ両方の終わりになると。だから叔父はこの戦争を止めようとしていた。
この両軍の今の状態を見てくれ。
ほんの一週間前はあれほど膨大な数の人達がいたのに。
たくさんの罪のない人々が巻き込まれ、カウラヴァや私達によって殺されてしまった。
私は戦争が憎い。
兄ユディシュティラがたった5つの村でも受け入れようとしていた理由が今ならよく理解できる。
あの時私は従兄弟にそんなことを求めるなんて、ユディシュティラの品位を落とすことになるとまで思っていた。
しかし、兄は高貴な動機に突き動かされて、自尊心を犠牲にしてでも平和を求めたのだと、今なら分かるんだ。
あのシャクニさえいなければ、もっと前に彼を殺していれば、こんなことにはならなかったのに!
私がクシャットリヤに生まれたことを残念に思うよ。
でも、今は振り返る時ではない。
さあ、私の馬達をカウラヴァ軍へ向かわせてくれ!
もう日が暮れてしまう」
その後も戦いは続いた。
アルジュナはビーシュマと対戦したが決着はつかなかった。
ガトートカチャがバガダッタを見事に食い止めて戦っていた。
ビーマはドゥルヨーダナの弟をさらに8人殺し、これまでに24人の弟がビーマによって殺された。
頭のない体、体のない頭、体から切り離された宝石で飾られた腕、剣や弓矢、槍を握りしめたままの腕、死んだ象や馬が戦場のあちらこちらにまき散らされていた。それは身の毛のよだつような光景であった。
太陽が沈んだ。
この日の両軍の損害は大きなものであったが、その中でもビーマとガトートカチャの活躍が目立った一日であった。
その日の夜、落胆したドゥルヨーダナはラーデーヤの所へ行った。
彼だけがドゥルヨーダナを慰めてくれる人であった。
「ラーデーヤ、今日は散々だったよ。
もう24人も弟が死んでしまった。軍もどんどん小さくなっていく。
このまま祖父に任せていたら勝てないのだろうか?」
「愛しい友よ、落ち込まないで。
あなたの笑顔を見ることだけが私の喜びなんだから。
あなたの弟達の死は私も悲しい。
しかしそれは運命なんだ。だからどう慰めてよいか分からない」
「ドローナ、ビーシュマ、シャルヤ、クリパ。
皆がパーンダヴァ兄弟を殺すことを拒否しているんだ。敵軍を攻撃しているように見えて実際は本気じゃない。
ラーデーヤ、あなたが参戦してくれないとこの戦争に負けてしまうのではないかと」
「ドゥルヨーダナ、あなたの祖父ビーシュマはパーンダヴァ達をとても気に入っている。彼ではパーンダヴァ達に勝つことはできない。あの老人を戦場から引かせるよう頼んでくれないか? そうすれば私は武器を手に取って戦場に入り、あなたの笑顔を取り戻せるんだ。
私がアルジュナを殺します。私なら躊躇しない」
ドゥルヨーダナはラーデーヤの言葉に喜び、ビーシュマのテントへ向かった。
「祖父よ、私はあなたが神々と戦えるほどの強さを持っていると思っていました。だからこの戦争での勝利を確信していました。
しかし、それは夢でしかなかったようです。
1日で終わるどころか、いまだにパーンダヴァ兄弟は全員生きています。
彼らに対するあなたの愛情が原因です。
それとも私に対する不満でもあるというのでしょうか。
確かにあなたは敵軍を毎日破壊しているが、それは私の望みではありません。私が欲しいのはパーンダヴァ達の死だけです。
あなたが戦う気がないのであれば、もういいです。
ラーデーヤに戦わせます。彼ならきっと私の望みを叶えてくれるはずですから」
そう言ってドゥルヨーダナは静かに座った。
ビーシュマはその言葉に傷ついた。
怒りの目をドゥルヨーダナに向けながら優しい言葉を話し始めた。
「ドゥルヨーダナ、なぜこのようなことを毎日私に話すのだ?
私はあなたの為に偉大な儀式を執り行っている。この儀式の最大の捧げ物が私自身だ。
あなたを喜ばせる為に自分を殺している。
そして、もう何度も言っているが、パーンダヴァ達は無敵だ。
私が望んだとしても彼らを殺すことはできない。
宇宙の守護者クリシュナに守られているのだ。
ドローナでも、あなたの親友ラーデーヤでもそれは無理なのだ。
それを分からずに毎晩毎晩言葉で私を傷付けているのだ。
それでも私は戦う。
明日私はまるで山火事のように敵軍を焼き尽くす。
私の恐ろしさで世界中の人々は震え上がるだろう。
私ができることはそれだけだ。
もう帰りなさい」
ドゥルヨーダナはその言葉を聞いて少しは満足した。
そしてビーシュマの死が訪れるまでラーデーヤが戦場に入らないという約束を思い出し、憂鬱になった。
ラーデーヤならパーンダヴァ達を殺せるはずだと信じていた。
どうすればよいのか解決方法が見えなくなっていた。
ドゥルヨーダナを慰めたラーデーヤ自身も気が沈んでいた。
愛しい弟達と戦う時が迫ってきていた。
その猶予期間を与えてくれたビーシュマに対してむしろ感謝していた。
パーンダヴァ達が自分の弟であることを自身に教え込む時間が与えられて8日間が過ぎた。
もし明日ビーシュマが武器を置けば戦場に行かなければならない。
先ほどドゥルヨーダナに対してはパーンダヴァ達を殺せると宣言した。
彼は自分を信じてくれている。
しかし、彼にはまだ準備ができていなかった。
それどころかビーシュマ以上にパーンダヴァ達に対する大きな愛情を抱いてしまっていた。
それは誰にも言えない秘められた愛情であった。
おそらく、あと数日しか猶予はない。
彼は祈った。
弟達への愛情の束縛に立ち向かう力、
唯一の友ドゥルヨーダナへの義理を果たす力、
母ラーダーの息子ラーデーヤという名を名声として残すこと、
そして戦場での死を求めて祈った。
彼の目は眠ることができず、眠ろうともしなかった。
こうして夜が過ぎていった。
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