瞑想って何?/13.メンタルチャンティング(ジャパ)
瞑想において、
想像することを減らせば減らすほど
真実が見えてきます。
想像することを減らすこととは、
あるがままを見ること(自分の主観を乗せないこと)
現在、瞑想の方法には、
身体のさまざまな場所に位置するチャックラを
イメージするよう求められるものが多い。
この方法は、考えを内側に向けるという点では有効かもしれませんが、
古典的な指導者たちからは奨励されていません。
マントラだけでは、人生に変化をもたらすことはできません。
マントラは繰り返し唱えることで効力を発揮します。
言い換えれば、自分の信念とコミットメントによって
マントラに力を与えるのです。
ジャパは完全にメンタルな鍛錬でなければなりません。
声はかすかなものであっても加わってはならないし、
チャンティングを呼吸と同調させてはなりません。
ジャパを定期的に練習することで、
多くのスペースが生まれ、
自己への集中が生まれ、
その結果、自分自身にアクセスできるようになります。
マントラのもう一つの重要な点は、
意味があることです。
意味のない音をチャンティングしてマントラと呼ぶことはできません。
瞑想の定義はサグナ・ブラフマン(イーシュワラ)を対象とすることなので
意味のない音(意味を理解していない音)を対象とすることは、
この定義からすると瞑想とは言えない。(対象物が見えていない)
瞑想は真摯な鍛錬であり、
意味のない音を唱えているようでは、真摯であるとは言えません。
従って、マントラは意味のあるものでなければなりません。
イシュタデーヴァター(各自の好みの神)を視覚化することは、
ジャパの前に行われなければなりません。
それはジャパとはまったく異なる瞑想です。
ジャパではデーヴァターの視覚化は行いません。
瞑想のプロセスにおいて、
神をチャンティングしながら視覚化することは不可能です。
考えは瞬間的なものなので、
両方のことを同時にやっているように見えるかもしれないが、
それは単なる注意散漫にすぎません。
イーシュワラは信じるためのものではなく、
イーシュワラは理解するためのものです。
イーシュワラは、長い時間をかけて探求され、
理解されなければなりません。
イーシュワラと関わることで、
この探求のプロセスが始まるのです。
om tat sat
(おわり)