ラクシュミー(富)とは何か?
サンスクリット語にはラクシュミーという言葉があります。
もしかすると富の女神様の名前としてどこかで聞いたことがあるかも知れません。
ラクシュミーの和訳として最もふさわしい言葉として富と訳されています。
ですが、ラクシュミーという言葉が指し示す対象は日本語の富とは異なります。
富のイメージとしては、お金、財産、所有物といったところでしょうか?
ラクシュミー、富にはどんなものがあるかみてみましょう。
お金はダナ・ラクシュミー
家族の幸福はグルハ・ラクシュミー
子宝はサンターナ・ラクシュミー
夫婦の幸福はヴァラ・ラクシュミー
勇気はダイラヤ・ラクシュミー
物事を上手に処理する能力はジャヤ・ラクシュミー
私の人生はあらゆる形のラクシュミーで満たされています。
お金や財産だけが私のラクシュミーではありません。
私の中にはたくさんのラクシュミーがすでにあります。
私の経験、知識、能力、優しさ、愛情。何も持っていない人なんていません。
私の外にもたくさんのラクシュミーがあります。
家族、友人、同僚、
食べ物、水、空気、大地
たくさんのラクシュミーに守られて人生を生きてきました。
これからもラクシュミーに守られて生きていくのです。
1人で生きていくことはできません。
見方を変えれば、私は誰かのラクシュミーです。
誰かの敵になってばかりではラクシュミーとは呼べません。
私は周りの人、動物、自然にとってのラクシュミーになるべきです。
恐れられる人よりも、歓迎される人になるべきです。
私は周りに生かされているけれども、
私は周りを生かしている。
周りからもらった以上に周りに与えることができる人は
素晴らしいラクシュミーの人です。
最初のうちは、もらってから与える、でもいいでしょう。
しかし、「もらう」と「与える」が同じに見えてきたなら、
自分から与えることにチャレンジしてみるのです。
周りを生かす人は、周りから生かされます。守られます。
与えることが不安であるならどうすればよいでしょうか?
あるヨーガの先生が言っていました。
与えなさい。与えられないなら、与えるフリから始めなさい。
与えてみることで、与えられない自分を超えなさい。