ファン失格だとしても、「みうらじゅん」を作った「三浦純」の尊さを知ってほしい。
はじめに
みうらじゅんさん、並びに関係者の皆さま。
私は去年末、みうらさんに憧れて何の勝算もないまま会社を辞め、今日までブログを更新し続けているシャニカマ、本名を岡勇樹と申します。
本日「MJ's FES in 富山」の最終日に参加させていただきました。
これからその感想を書かせていただこうと思います。
ですが、このブログはみうらさんにとって何1つ嬉しくない、邪魔にしかならないものだと思います。それは「みうらじゅん」ではなく「三浦純」についての感動を綴るものだからです。
まるで、手品師の種明かしをしてしまうような。
アイドルが裏でやっている枕営業を暴いてしまうような。
そんなことなのかもしれません。
では、それを分かっていながらなぜ書くのか。
申し開きようもございません。ただの自己満足であります。
これまで何人もの方に「夢」や「目標」を問われる度に胸を張って「みうらじゅんです!」と答えて来ましたが、それを素直に感心してくれる人はごく僅か。逆にそれが誇らしくもありました。人には理解されない稀有な感性を持っているように錯覚していたのでしょう。
しかし、今回のMJ's FESを通じて考えが変わりました。
全国民にみうらじゅんの素晴らしさを理解してもらいたい、と。
それは単に私のエゴイスティックな感情でしかありません。おそらく自分がみうらさんのような生き方を志しているからこそ、勝手に自分事化しているのだと思います。
ですが、居ても立っても居られないのです。
「みうらじゅんってスゴい!」と全ての人に伝えたいのです。
そして、そのためには「みうらじゅん」ではなく、「三浦純」についてを語らねばならないのです。
それほどまでに、今回の展示には感銘を受けました。
斜に構えてなんかいられませんでした。
ファンとしてあるまじき行為と知っていながら、筆を進めてしまうご無礼をお許しください。
2019.09.01 岡勇樹
「みうらじゅん」の面白さ
まずはシンプルに「みうらじゅん」の面白さを綴ります。
みうらじゅんさんを誰かに勧める時、私はいつも「作品」の紹介を先にしません。「カスハガ」や「とんまつり」などの説明をしたところで、みうらさんの本で読まなければ「そのハガキが面白い」とか「そんな面白い祭りがあるんだ」となってしまうからです。
みうらじゅんの面白さは大きく2つ。
「着眼点」と「コストパフォーマンスの悪さ」です。
しかし、後者の話は実物を見ないと伝わりません。
なので、私は「みうらじゅん」の面白さを伝えるためにいつもワイドナショーの話をします。
ある回でのこと、番組で「中学校受験の加熱」が取り上げられました。
なんでも受験の当日に塾の先生が受験先までやって来て「頑張るぞー!」と円陣を組んだりするんだとか。それが騒音問題になり、派生して『小学生から受験戦争に巻き込むのってどうなんだろうね?』と議論になっているそう。
コメンテーターの茂木健一郎さんは「受験前に円陣を組むのは良くない。適度にリラックスしたフロー状態を作るべきなんです」とマジレス。私もふむふむと聞いていました。
次に話を振られたみうらさんはこう答えます。
「あれ、旗が縦だからダメなんですよ」
「は?」
スタジオ内が疑問符で埋め尽くされます。
「いや、CoCo壱も旗が縦だからカーッとくるじゃないですか。あれ横にしたらみんな並んでゆっくり行進するんですよね。」
これぞみうらじゅんの真骨頂。
独自の視点で誰も予想だにしない話をし始める「着眼点」の斬新さです。
そこで食いついてくれる人が50%程度。ハートを掴めた彼らにだけ、そこから懇切丁寧にみうらじゅんの作品を教えていくことにしています。
ちなみにみうらさんの「コストパフォーマンスの悪さ」を知りたい人は絶対にMJ's FESへ行くべきです。が、今日で終わってしまったので写真でお楽しみください。
1.アウトドア般若心経
般若心経を1文字ずつ、街中の看板から探し出して写真に撮り完成させたもの。これは「写経」ならぬ「写真経」という修行らしい。
2.自作フォークソング
高校時代のみうらじゅんは毎日1曲は作曲するという謎のカルマを背負っており、多い日には1日4曲も作ったそう。トータルでたしか400曲とか。台所で母親が口ずさんでいた時のエピソードが最高に面白い。
3.ケロリ新聞
みうらじゅんが小学校1年生の時に、誰に頼まれたわけでもなく勝手に創刊していた「ケロリ新聞」。原本が残っていることも驚きだが、何より驚いたのはそれらを「ほぼ日刊」でやっていたことだ。
4.フィギュ和
土産屋でたまに置いてある和製のフィギュア。
要らんのに高い。でもみうらじゅんはこれを見つける度に購入している。
5.ヘンジク
フィギュ和と同様、絶対に要らないお土産(通称「いやげもの」)。
無駄に奇抜でどこに飾っても場違いな感じがする変な掛け軸。
シャ乱Qのファングッズが最高にシュール。
ここまで読んで、一人のクリエイターとして彼がいかに天才的かがお分りいただけたと思います。おそらく国民の50%ぐらいには。
しかし、このような「ナンセンス」という分類に当てはまるような、かなりシュールな笑いというものは理解を示さない方も少なくありません。
だからこそ「三浦純」の素晴らしさを伝えたいのです。
「三浦純」のスゴさ
三浦純のスゴさを伝えたいのですが、とても稚拙な言葉で表現するなら「セルフプロデュース力」と言うことになります。ですが、そんなに生易しい精神性で出来ることではありません。
これは「ビジネス」や「コンテンツ」の話ではありません。
間違いなく「人生」の話です。
先ほど「みうらじゅん」の面白さを書き綴りましたが、率直に皆さんはどう思われましたか?
「変な人だな」
「面白い人だな」
「バカなことやってるなあ」
そんな風に思ったかもしれません。
しかし、その裏側に黒幕が存在していると考えてみてください。
それが「三浦純」です。
モーニング娘。の裏側につんくがいるように、ステージに立つみうらじゅんを観ているファンを更に後方から俯瞰して見ている存在です。
三浦純は「みうらじゅんが何をすれば笑ってもらえるか」を考え続けています。どうすれば自分が滑稽に映るのか、バカバカしいと思ってもらえるか。
「それってそんなに難しいこと?」
そう思われる方もいるかもしれません。
しかし、私には少しだけ分かります。
「みうらじゅん」をプロデュースすることの過酷さが。
比較するのもおこがましいのですが、私も「シャニカマ」という偶像をプロデュースする立場にあります。シャニカマとして何かを発表した時に反応を受けるのは「シャニカマ」ではなく「岡勇樹」本人です。
他人からの反応は暖かいものだけじゃありません。
マジレスと呼ばれる厳しい意見なんかもいただきます。
それも、セルフプロデュースする立場であれば戯けて返さねばなりません。
でも考えてみてください。自分が正しいと思っていることを否定されて、個人のアイデンティティが損なわれてしまおうとしている時に、ひょうきんな顔をしてそれをかわせますか?
本当に体調が悪かったり、辛いことがあって病んでしまった時、時間もなくて心にゆとりが無い時だってあるでしょう。
そんな時に誰からも頼まれていない巨大な油絵を描けますか?
誰も見向きもしていない地方のお祭りに丸一日かけて行けますか?
本当にお金がなくて来週楽しみな旅行があるとします。
その時に取材先で見つけた変な掛け軸に2万も3万も出せますか?
「楽したい」とか。
「休みたい」とか。
そんな当たり前の感情を許していては、「みうらじゅん」をプロデュースできないんです。
私はシャニカマをプロデュースしていく中で、何度もミスを犯しています。
このブログだってそうです。本来なら斜に構えた屁理屈でもって戯けなければならないんです。
でもそれが出来ていない。
そっちが「本人」なんですから。
ですが、そんな「本人」を捨てる覚悟が無ければ「みうらじゅん」は勤まりません。これをみうらさんは「自分なくし」と読んでいます。
この本を読んだ時には「自分があるから辛くなるんですよ。自分なんて無いと肩の力を抜きましょう。」と言うニュアンスでこの言葉を捉えていました。
しかし、今は違います。
「自分なくし」とは自分の人格を殺すことです。
本人が今眠れていないとか、お金がないとか、時間がないとか、そんなことはどうだっていい、取るに足らないことなんです。「どうすればコイツが面白く映るか」だけを考えて行動することだけを考える。
それが「自分なくし」です。
これは言い換えると全ての行動を「誰かに見せる前提で行う」ということになります。これをみうらさんは「見せ前(ミセゼン)」と読んでいます。
自分が行う行動全て、誰かに見せるための「見世物」であるならば、自分のエゴイスティックな行動は排除されるべきです。その時は辛くても、最後に誰かを笑わせると信じて行動するんです。
これと似たようなことを、世界の喜劇王チャップリンが言っています。
「人生はクローズアップで見れば悲劇だが、ロングショットで見れば喜劇だ。」
今やっている辛いことをどれだけ「後で面白くなるから」と信じられるかどうか。それが世界の喜劇王とみうらじゅんを構成する根源的な姿勢なのかもしれません。
だから彼はその手法として「無駄な努力」を惜しみません。
それをヒシヒシと感じたのが今回のMJ's FESでした。
所狭しと並べられた作品の数々には、全て三浦さんの手によって作り上げられたもので、そこに手を抜いて楽をする生易しさは1mmもありません。全部自分でやる、その時間をファンが感じられるぐらいまで。
それが「みうらじゅん」のアイデンティティなのですから。
「無駄な努力をする」
口では簡単に言えますが、実際にここまでやれる人は他にいません。
限りある人生のうち、100%をそっくりそのまま明け渡さねば出来ない芸当です。
「三浦純」は「みうらじゅん」に魂を売ったんです。
人を笑わせるためには、人がやらないことをしなければならない。
そんなシンプルなことを究極なまでに突き詰めた人物こそが「みうらじゅん」なのです。
誰にも出来ない時間をかけて。
誰にも出来ない量を作り上げる。
だから三浦純は尊いんです。
さいごに
私がみうらじゅんと言う人物をいかに愛しているかが伝わったでしょうか。
しかし、やったことは紛れもなく謀反行為です。
ファン失格なんです。
しかし、私は今日MJ's FESに行く前からこうなる気がしていました。
だから最終日になったんです。
本当なら初日に行って、本人のセレモニーを見るべきでしたが、どうしても行けませんでした。その時はピークに悩んでいた時期で「今行ったら確実に心が折れる」と言う自信がありました。
「三浦純」に会うのが怖かったんです。
自分も「シャニカマ」と言う偶像をプロデュースする立場になって、自分をなくし切れない現状に何度も直面したからこそ、三浦純の偉大さを横目で感じていました。それを直視したくなかっただけなんです。
そして踏ん切りが付かないままズルズルと最終週になり、このままじゃイカンと富山行きを決めました。そしてこの有様です。
展示を3時間かけてじっくり見て、私は会場下の空きスペースでノートに「自分を詰める言葉」を書き続けました。
「お前は何もしていないじゃないか」
「お前には覚悟足りない」
「なに休んでんだ」
正直、泣きそうになりました。
直径1m弱の井の中にいた蛙が、果てしなく広がる太平洋を思い知らされたのですから。
この感情を財産にできるか、蓋をして終わるか。
それはこれからの自分次第です。
もしかするとこのnoteは自分への「戒め」なのかもしれません。
本当に「自分なくし」が出来たと思えた時に、消そうと思います。
なんか消すとか書くと、メンヘラっぽいですね。
失礼しました。忘れてください。