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「疑わしきは罰せず」という原則が崩壊した和歌山カレー事件

昨日、和歌山カレー事件から25年が経過した。

町内会の夏祭りのカレーに毒物を混入させ、無差別に人を殺した悲惨な事件だった。

当時毎日のように報道されていたことを鮮明に記憶している。

林真須美死刑囚がマスコミにホースで水を撒く映像がセンセーショナルで、とんでもない人間がいるもんだと子供ながらに思った。

保険金詐欺に無差別殺人を重ねた結果、死刑判決を受けたことについて私は特に何も疑問を持ったことはなかった。


しかし2年前にこの動画を見て以来、私の考えは一転した。

犯人の冤罪説というのは、あらゆる凶悪事件で浮上する。

都市伝説に過ぎないような有り得ないものも多いので、正直このサムネを見たときも動画を再生して間もなくは「きっとこれも胡散臭い類だろ」なんて思ってた。

でも違った。

そしてこの事件に興味を持ち、自らあらゆる情報を調べた。

調べれば調べるほど、林真須美さんの死刑判決が確定した理由が分からない。

確たる物的証拠は見つかっておらず、本人は最初から今までずっと無罪を主張し続けている。
それなのにコロコロ変わる他人の証言や状況証拠が優先された。

そんな不安定な証拠だけで、人1人が死刑になると思うとめちゃくちゃ恐ろしい。

林真須美さんは、報道のイメージもあるように気が強いのは確からしいので、近所であまり彼女のことをよく思っていない人もいたと思う。
そし逮捕前から犯人と決めつけたような報道が白熱していた。

だから『アイツが犯人だ』と決めつける空気が現場だけでなく日本中に間違いなくあった。

毎日のようにワイドショーで流れてくる情報を見て、私もそう思っていた1人だ。

しかし冷静に事件を追っていくと、彼女が真犯人だった場合にいくつもの矛盾が生じている。

例えば林真須美さんがカレーの見張り番をしていたのは昼過ぎ。
その後に別の主婦と交代している。

夕方には家族でカラオケに出掛けているので、カレーが振舞われたときにはとっくにいない。

なぜその間に誰も味見をしていないのか…。

いや、事件直後は直前に(夕方5時頃)に主婦たちが味見をしたという人のインタビューもあった。(新聞の記事になっている)

その人達は何の被害もなかった。
そして今その証言はなかったことにされている。


コロコロ変わる近所の人たちの証言も反論の余地があるものばかりだ。

詳しいことは以下の動画のシリーズが分かりやすくまとめてくれている。


「疑わしきは罰せず」という有名な言葉があるように、刑事訴訟において被告人が有罪だということに「合理的な疑い」が残らないほどまでに、検察官が証明しなければ裁判所は被告人を有罪にしてはならないという原則を示す法諺がある。

しかしこの事件はその原則が崩壊している。

もし本当に犯人であったとしても、もっと確たる証拠が出るまで捜査をしてから死刑判決を確定するべきだし、冤罪なのであれば今も真犯人が息を潜めていると思うともっと恐ろしい。

どちらにせよもっとちゃんと捜査をして欲しい。


先日宮部みゆきの『模倣犯』を読みながら、この事件についても考えた。

被害者の立場、犯人の立場、遺族の立場、犯人家族の立場、それぞれの視点に立って書かれたこの作品は私の視野を広げてくれた。


私は幸いにもどの立場にもいないので、それぞれの気持ちは分からない。
絶対にそれぞれ経験してみないと分からないと思うから「気持ちがわかるよ」なんて薄っぺらい言葉を使う気にもなれない。

しかし明日は我が身と思えば、どれも他人事ではない。

ある日人生が一変してしまうことは誰の身にも降り掛かる。
いざ自分がその立場になったときに「誰も助けてくれない。私の気持ちをわかって」と言っても遅い気がしている。

だからと言って私には何も出来ないが、関心を持つことだけは必要だと思っている。

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