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靖国神社に放尿と落書きする中国人と複雑な課題

みなさんこんばんは。いかがお過ごしでしょうか。

午前中は晴れてましたが、午後は雨の日曜日となりました。ここのところ晴れると夏のような強い日差しがあります。

今日は以下のニュースが話題になっていますので取り上げます。

靖国神社(東京都千代田区)の石柱に落書きが見つかった事件で、男が石柱に放尿するようなしぐさをした上、赤いスプレーを使って英語で「トイレ」と吹き付ける様子を収めた動画が中国の交流サイト(SNS)に投稿されたことが2日、分かった。

共同

最近は再生数稼ぎに迷惑行為を行う迷惑系YouTuberもちょくちょく散見しますが、政治的な問題も踏まえて、中国など近隣諸国から来る市民も、目立ちたがりの低俗行為をするようになり、呆れや憤りを感じる人も多いでしょう。

悪質なイタズラをさせないように靖国神社自体の警備をもっと強化したほうがいいかもしれません。

そもそも靖国神社を政府関係者が参拝すると、中韓ら青筋立てて怒り出しますが、どういうけとなのか。数年前の記事を見ながら説明します。

創立百五十年に合わせた靖国神社の参拝要請を宮内庁側が断り、平成は神社創立以来、初めて天皇参拝がない時代となった。戦後七十四年。戊辰戦争の官軍側の犠牲者を慰霊するため明治天皇の意向で造られ、「皇軍」の戦没者らも祭る「天皇の社(やしろ)」の危機感は深まり、新たな転機を迎えたともいえる。上皇さまの元側近は「静かな環境で参拝できる状況ではない」と明かす。A級戦犯合祀(ごうし)が尾を引いている。

東京新聞2019/8/14

靖国神社は明治天皇の意向で作られ、戊辰戦争に始まり、太平洋戦争まで戦没者をまつっています。合祀は戦前、戦中は"◯◯の戦いの戦没者"とかちょくちょく行われていたようです。参拝も太平洋戦争が激しくなるまでは欧米やアジアかど海外からさまさまな国の首相や大臣、駐日大使、皇室関係者もきていて、記録に残っていました。ビルマ(現ミャンマー)あたりは熱心に何度も来ていました。

戦没者らを慰霊、顕彰する中心はあくまで天皇で、宮司らの役割は「代行」にすぎないというのが靖国の立場だ。在位中に国内外で慰霊の旅を続けた上皇さまは、皇太子時代に参拝しているが、即位後は一度も足を運ぶ機会がなかった
 参拝要請を断られた靖国神社関係者には今、諦めムードが広がっている。「明治以降、初めて天皇参拝を果たせなかった。再開は難しいだろう」
 昭和時代も含め一九七五年を最後に天皇参拝が途絶えているのはなぜか。背景の一つにはA級戦犯十四人の合祀がある

東京新聞2019/8/14

中韓らが怒るのはA級戦犯の合祀に対してなのです。

主導したのは、七八年七月に宮司に就任した故松平永芳氏だった。当時の中堅幹部故馬場久夫氏によると、松平氏は就任直後の会議でA級戦犯合祀が「宮司預かり」になっていて宙に浮いているのを知り激怒、合祀手続きを急ぐよう部下に指示し、この年の十月実現にこぎつけた。
A級戦犯を裁いた極東国際軍事裁判(東京裁判)について「戦勝国による東京裁判を認めるわけにはいかない」というのが持論だった。十四人は「昭和殉難者(じゅんなんしゃ)」として祭られた。

東京新聞2019/8/14

A級戦犯の合祀は宮司によってなされて、昭和天皇への相談はなかったようです。また、東京裁判自体が戦勝国側の都合良く行われて、一部の人たちが絞首刑となり、責任を取らされたという解釈は日本国内にあるが、占領されていた中韓には、戦犯諸悪の元凶という認識から、1985年8月15日に公式参拝した中曽根首相以降、激怒と激しい抗議を行うようになりました。2000年初頭には小泉首相が積極的に参拝し、その結果日中関係は大きく冷え込みました。

旧厚生省が六六年、A級戦犯を含む「祭神名票」を靖国神社に送り、神社総代会もA級戦犯合祀を了承していた。ただ松平氏の前任宮司の故筑波藤麿氏は慎重な姿勢を崩さず亡くなった。自身の長男には「戦争責任者を戦没者と一緒に祭ると納得しない犠牲者も多いだろう」と胸中を明かしていた。富田氏のメモにも昭和天皇が「筑波は慎重に対処してくれたと聞いた」とある。
靖国を支える遺族会の一部には天皇参拝を実現するためA級戦犯の分祀を求める声があるが、靖国側は神道の在り方を踏まえ「認められない」と主張している。

東京新聞2019/8/14

A級戦犯の遺族の人たちが合祀を望み、了承されたものの、慎重に対応するべきということになっていたのを短期間で合祀がなされたのだそうです。当時一部自民党議員たちも実現に向けて動いていたようです。

解決策として分祀が上がるも、現実的ではないようで、今に至っています。

みなさんは"靖国神社"の名前は知っていても、それ以外はあまりご存知ない方もいるでしょう。
何があるのかご紹介しますと、遊就館という戦争の博物館があり、遺品などが展示されています。関東大震災や太平洋戦争の空襲で焼失し、再開は1985年になってからです。また偕行文庫という資料館もあります。

神社として例大祭や御霊祭りなどの行事もあり、大奉納大相撲というのも行われているようです。日本人に愛されているのがわかりますね。


私たちは日本人としてよく歴史の理解を深め、国内外の葛藤を知恵を絞り解消し、未来の世代にに繋げていく必要があると思います。

それではまた。

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