稲庭城に稲庭うどん他 秋田県湯沢市 ぶらり旅4
秋田県と言えば・・・
やはり、稲庭うどんだ。
佐藤養助商店ばかりが目についたのだが(というか、他の稲庭うどんの店がわからない)、昔からの老舗で秋田ばかりではなく、海外にも出店しているようだ。
腰があり、大変美味しい。
売店では乾麺を買う事が出来るのだが、おまけとして、かなりの量のうどんの切れ端(売り物にならないらしい)をおまけにと貰った。
味は同じで、有難い。
さてさて・・・
歴史好きの私としては、城に行かねばならない。
ということで、やってきたのは稲庭城。
かつては、出羽の国と呼ばれていた地域。そこを治めたのは小野寺氏。
で、小野寺氏とは・・・
小野寺氏は平安時代後半に下野国都賀郡小野寺(現・栃木市岩舟町小野寺)を「一所懸命」の地としていたのが始まりと言われている。文治5年(1189年)の奥州合戦よる戦功でに出羽雄勝郡などの地頭職を得た。通綱は将軍源頼朝の信任厚く、以降も歴代将軍に近侍している。その為、各地の所領には庶流の子弟を代官として派遣し、惣領は鎌倉に常駐し出仕していたと見られる。南北朝時代に、惣領家も狭小な本領から広大な所領である出羽雄勝郡稲庭に移住したと見られる。小野寺氏は当初南朝方として活躍したようであるが、後に室町幕府に降る。足利将軍と鎌倉公方の和睦により、陸奥、出羽は鎌倉府の管轄となり、小野寺氏も鎌倉府に出仕する。しかし、鎌倉公方の支配に反発した他の有力国人と同じく、室町幕府の京都御扶持衆となり、鎌倉府に対抗した。また、歴代当主は将軍より偏諱を賜っている。
この後、小野寺氏は勢力を拡大し、各地に庶子家が分立する。しかし、この時期の小野寺氏の系譜については、史料的裏付けがとれず、不詳な点が多い。
戦国時代に入ると、小野寺氏13代にあたる景道のときに、雄勝郡をはじめ平鹿郡、仙北郡の仙北三郡から由利郡・河辺郡・最上郡にまで勢力を広げる有力な大身となり、「雄勝屋形」と称されて最盛期を迎えた。
こちらは、横手城内にある小野寺氏の墓である。
危うく這っている蛇を踏みそうになった。
毒のないものらしいが、その辺に普通にいる。
関東の人間には住めないかしれない。
こちらの稲庭城。スロープカーという変わった乗り物を使って山の上に行く城に行くのだ。
係員が待ってくれており、こちらが行くと発車してくれる。
体力のある人は、山登りするのだが、途中の道では所々、ベンチがあり、休めるようになっている。
やはり、城は山の上にあるもの!!
そう思うのであった。
膝がまだ完治していなかった為、スロープカーを使ったが、次回は是非、山登りしたい。
これらは、スロープカーの頂上から撮影したものである。
スロープカーの乗り心地はと言うと。。。
立っていたとしたら、マジカルラブリーの野田クリスタルの芸がそのまま出来るであろう。
見事な眺めだ。
さてさて・・・
秋田県湯沢市出身と言えばーーーー!
そう!我が尊敬する菅義偉先生であります。
これは相当昔の写真。
菅義偉先生のご実家に、目の前の畑。
菅義偉先生の実家の目の前にあった🍓出荷用の農協です。
こちらは、稲庭城売店にて購入。
秋田県湯沢市の道の駅にて購入。
飲むヨーグルト🍓味です。
菅義偉先生のイラスト入りです。
他にも菅義偉先生の愛らしいグッズの山々に嬉しくなるのだった。