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翻訳と対訳

言葉は流行がある。
意味が時代と共に変わるものもある。
ひろさちや先生が書かれたが、絆は、元は、牛や犬などの家畜を縛るという意味だったのだ。
24時間テレビ、恐るべし。

だからこそ、外国語で書かれた本は、新しい訳が必要なのだなと思っている。
私のような旧い頭の人間は、中高生、大学生がネットで使う言葉が理解出来ないからだ。


松本侑子さんの偉業には敬意を表するのみだ。

ただ、申し訳ないが、やはり私は村岡花子さんの訳が好きだ。
それは個人の好みの問題だと思う。

村岡花子が洗礼を受けた山梨県甲府市の教会は、カナダ人宣教師が建てた。 彼女自身は、時代背景もあり、カナダに頻繁に行くなど出来ないが、カナダ人宣教師から訓示を受けた。 それで、情熱を持って多くの翻訳をしたわけだ。
時代背景、村岡花子自身の思想も翻訳に出ているかもしれない。
それでも、村岡花子が好きなんだから仕方ない。
村岡花子の洗礼を受けた甲府教会の牧師とは、Twitterでは相互フォローであり、マスクなしで落ち着いて誰でも行けるようになったら(今は教会員以外は入るな!の教会が多いのだ)行きます!と約束している。
20代の時に少しばかりの間だが、結婚してから村岡花子が通った池上本門寺の裏にある教会にも行っていた。合わなくて、すぐに辞めたが。

 日本モーム協会会長で、東大名誉教授の行方昭夫先生は、語彙が豊富で、それが好きだが、古臭いと思う人もいるだろうから、やはり、個人の好みなんだろうなと思う。

確かに、全訳をして丁寧な注釈は素晴らしいが、聖書のマタイ福音書も、賛美歌というものがどういうものかも知らない人の為の注釈であり。
レイチェル夫人の名前の元となったいるラケルがどういう人物かわかるなら、必要ないかな、と。

もちろん、多くの人に読んでほしい。

ただ、村岡花子さんや行方昭夫先生のような戦前の素晴らしい翻訳家の本を図書館や書店から観えなくしたいのかな、とも思うのだった。

これは、あくまでも私の独り言だ。


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