#329 家康はなぜ日光に祀られたのか?
徳川家康は「東照大権現」として日光東照宮に祀られている。
家康は生前、自分の葬儀について次のような遺言を残している。
久能山は家康が幼少期と晩年を過ごした駿府にあり、増上寺は江戸城下の徳川家の菩提寺である。
しかし、もともと家康と日光には関わりがない。
家康は自分を祀る場所としてなぜ日光を選んだのだろうか。
①源頼朝の影響
日光山は、鎌倉時代に源頼朝をはじめ関東武士たちの信仰を集めていた。
家康は源氏の末裔を名乗って権威を高めていた。
大河ドラマ「鎌倉殿の13人」の最終話では、源氏の活躍を描いた『吾妻鏡』を読む家康(松本潤)がサプライズで登場したが、現実の家康も愛読書だったという。
そんな家康が、頼朝にあやかって日光を自身を祀る地として選んだという説がある。
②江戸からの方角
日光は、江戸から見てちょうど真北にある。
古代の中国には、「天子南面す」という言葉がある。
「君主は北極星を背にして南向きに座し、神と一体となって国をつかさどる」という意味の言葉だ。
宮中の正門とされている「陽明門」は、真南を向いて建てられている。
陽明門の正面から夜空を撮影すると、北極星を中心に星がまわっている様子を見ることができる。
つまり、家康は日光に祀られることで、神になって江戸の街を守ろうとしたと言えるだろう。
③久能山との位置関係
江戸から真北の地域は他にもたくさんあるのだが、日光が選ばれた理由として久能山との位置関係があげられる。
久能山と日光を直線で結ぶと、その間にちょうど富士山がある。
富士山は、名前の語源が「不死山」と言われている。
久能山で一周忌を迎えた家康の魂は、富士山を通過することで「不死の存在」=神となり、江戸の真北にある日光から江戸を見守っているのではないか。
諸説あるものの、家康は死後も江戸の発展を深く考えていたことは確かだろう。
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