【しくじり先生】評価を気にしすぎて自分の原点を忘れてしまった先生
はじめまして(*/ω\*) オハツデス♪
社長勇退ドットコムのイソムラタカシでございます。
今まで、見る専だった「note」。これからゆるりと始めていこうかなと思っております。せっかくnoteを始めるのであれば、まずはプロフィール、ということで、過去のブログ記事をリライト。
M&Aプレイヤーを目指すも空回りしてしまった失敗談や、M&A漫画を作って集英社に持ち込んだ話など、今まであまり語ってこなかったこともオープンにしちゃってます。途中、重苦しいところもあるので、テレビ朝日の人気バラエティ番組「しくじり先生」風に仕上げてみました。
思いのほか長文になってしまいましたが、お時間に余裕のある方はぜひご覧ください。何かしら感じ取っていただけると、うれしく思います。
◆イソムラタカシの生い立ちと趣味嗜好
ザックリこんなかんじです。特に変わったところもない、普通のおじさんでしょ。では、こんな普通のおじさんが、なぜ M&Aや事業承継という仕事に命を賭けるようになったのか。きっかけになったエピソードをご覧いただければと思います。
◆私が社長の”勇退”をサポートする仕事を始めた3つのきっかけ
筆者が今の仕事をするにいたったきっかけは、大きく3つの出来事が関係しています。
①多感な青春時代に父親が家業を廃業
筆者が高校三年生のとき、父親が祖父から受け継いだ家業の豆腐屋をたたむことになりました。時代の流れと言ってしまえば、それまでのことですが、父親の寂し気な後ろ姿は今も忘れられません。この経験により、経営者の仕事とその孤独感というものに興味を抱くようになりました。
②M&Aに可能性を感じた顧問先への買収提案
大学卒業後、私は地元の会計事務所に就職しました。経営者の方と直で関わりあえるというのが、会計事務所を選んだ一番の理由です。独立して顧客を奪われないよう、あえて資格に興味のない人を募集するという、一風変わった会計事務所でした。
見ようによってはブラック企業に見えるかもしれませんが、筆者にはこの考え方がとても合理的に感じられました。資格を取得する必要がないので、その時間を仕事に費やすことができたからです。
でも、一つだけ気がかりなことがありました。それは、顧問先の中に、廃業する企業が後を絶たなかったことです。これが、中小企業の現状なのかもしれません。筆者はそんな会社をどうすることもできず、モヤモヤとしていました。
そんな中、顧問先企業に対して、ある会社から買収提案がありました。いわゆる、M&Aというやつです。まだ、ホリエモンや村上ファンドが、ニュースを賑わす前の話です。
乗っ取りといった強引な手法ではなく、紳士的なご提案でした。廃業によって全てを失った父と、M&Aにより経営を託し創業者利潤を手にした顧問先社長。どちらも「会社を手放す」という意味においては同じですが、結果があまりにも違いすぎました。私は、M&Aという手法に無限の可能性を感じ、7年間勤めた会社を辞めることにしたのです。
当時、M&Aの専門会社は、数えるほどしかありませんでした。学歴と経験が求められる職種なので、募集も極めて限定的です。私はある一社に狙いを定め、履歴書とともに熱烈なラブレターを送りました。
普通、経験のない人間が、募集もしていない会社に応募しても、書類落ちが良いところです。ところが、熱すぎる情熱が通じたのか、いきなり副社長と面談という流れになったのです。
面談時に聞かれた質問は、たった一つだけでした。「M&Aに必要な能力は何だと思いますか?」というストレートな問いかけに対し、「人間力です!」と即答。それしか、答えることができなかったというのが本音です。「採用です」思いもよらぬ展開に、耳を疑いましたが、面談からわずか数分、私は念願のM&Aプレイヤーとしての道を歩むことになったのです。
③憧れのM&A専門会社に転職
転職後、私は大阪支社勤務となりました。M&Aの仕事は、一見派手なイメージがありますが、実際には泥臭く完全に裏方の仕事です。でも、それが地味な私の性格と合致していました。
慣れない仕事に悪戦苦闘しながらも、様々なノウハウを吸収していきました。のめり込みすぎて、休みの日も仕事に明け暮れていました。やり甲斐を感じる半面、妻には寂しいおもいをさせていたと思います。
当時、私の主なミッションは、売り手企業の発掘でした。M&Aブームということもあって、有り難いことに様々なご相談をいただきました。とは言え、案件になりそうな優良企業は多くはありません。報酬基準が合わず、サポートを断念するケースも多々ありました。会社の基準なので、仕方ありません。疑問を感じながらも、それを素直に受け入れていました。
一方で、後継者のいる優良企業に対して、強引にM&Aに結びつけようとする自分がいました。手段と目的を混同し、自分の営業ノルマのために行動していたのです。
こんなことを繰り返すうちに、徐々にやり甲斐は薄れ、何のために仕事をしているか、わからなくなっていきました。判断基準を見失い、仕事に価値を見いだせなくなっていたのです。
自分に嫌気を感じながらも、仕事に忙殺される日々。病魔の手は確実に忍び寄っていたのです。
多忙な業務活動に加え、キャパを超える出来事の連発。大好きな趣味やお出かけも、何もかもが楽しく感じられず、作り笑顔で自分と他人を誤魔化す日々を送るようになっていたのです。次第に、顔からは表情が消え、人前に出られる状態ではなくなっていきました。M&Aの話なんて論外でした。
そう思えば思うほど、泥沼にハマっていきました。食欲不振と睡眠不足が続き、ついに私はダウン。医師の診断によると、適応障害でした。重度のうつ状態に陥っていたのです。でも、「やりたい仕事をやって、何を苦しんでるの?」そう言われると思うと、妻にも友人にも職場の仲間にも、誰にも相談できずに月日を重ねていきました。
最初に異変に気付いたのは、妻でした。
「ダメだったら辞めたらいいじゃん。私が働くから・・・。」
妻は、何もかもわかっていました。私のプライドを傷つけまいと、敢えて黙っていてくれたのです。その気持ちはとてもうれしく、反面、情けなくもありました。
ここで一念発起して頑張っていたら、カッコいい話になるのですが、そうはいきませんでした。悩みに悩んだ挙句、退職という苦渋の決断したのです。当時31歳、雪がちらつくクリスマスイブのことでした。
◆好きなことだけをやる引きこもり生活
正直な話、仕事もせずに引きこもっていた時期もありました。映画や読書、マンガやゲームに明け暮れる生活を送っていたのです。海外のネットサービス(YouTube、Second Life、Stage6、Twitter、bloggerなど)にハマったのも、この頃のことです。まだ、サービスが日本に上陸する前だったので、日本では走りだったと思います。こんな堕落した生活も、私にとっては大切な充電期間でした。
一番辛かったのが、妻以外の人には無職生活を隠していたことです。プライドが邪魔して、仕事をしていないという現実を受け入れられなかったのです。仕事をしているフリをして、遊びほうけて、妻に養ってもらう。ホントクズ人間です。この時の私は、自己が肥大しすぎたモンスターでした。こんな自分を何も言わず支えてくれた妻には、いくら感謝してもしきれません。
でも、何がどう転ぶか、人生わからないものです。この時に始めたブログにより、私は精神の安定を取り戻し、そこに生きる価値を見出し始めていたのです。
◎元上司との再会
とは言え、大好きだった仕事を自分から放り出した寂寞(せきばく)は、すぐになくなるものではありません。辞めた後もジワリジワリと私を苦しませ続けました。
この悩みを取り除いてくれたのは、M&A専門会社時代の大阪の上司でした。「お前がやってた案件、全部決まったぞ!」当時、私が担当していた3つの案件は、一社残らず成約していたのです。元上司の話によると、詳細なヒアリング調査が決め手だったようです。当時から、社長の武勇伝やしくじり話を聞き出すことは得意でした。事業を興した人の生い立ちへの興味に加え、それが事業の魅力に繋がっているという自負もありました。
自分がやっていたことは、間違ってはいなかった!
正直とてもうれしかったです。わざわざ大阪から名古屋まで伝えにきてくれた元上司には、感謝しかありません。と同時に、熱心に事業のことを語ってくれた社長に対して、申し訳ない気持ちになりました。私は、自己の評価を気にするあまり、自分を見失っていたのです。
元々、事業の継続のお役に立ちたかっただけなのに…。
ようやく、自分の原点を思い出したのです。にしても、遅すぎですよね ( ˙▿˙ ; )
人材スカウト会社から連絡があったのは、ちょうどこの頃です。”M&A経験者”を名古屋で募集しているとのことでした。どうやら、ご縁というのは実際にあるようです。私は、過去のしくじりを取り戻せるチャンスだと感じ、再び、M&Aアドバイザーの道を歩む決断をしたのです。
◆社長勇退アドバイザーとして再始動
私のしくじりの原因は、M&Aを手段ではなく、目的にしたところにありました。この過ちを二度と繰り返さないためにも、仕事のコンセプトを明確にする必要がありました。悩みに悩んで生み出した私なりの答えが、「社長の勇退を支援する」というコンセプトでした。
◎社長勇退ドットコム爆誕!!
事業ドメインが決まったので、経営理念も作成してみました。「#ジブン株式会社」をうまく動かすためには、必要なことでした。
さらに、どうせならということで、勢いに任せてサイトを作っちゃいました。それが、「社長勇退ドットコム」です。そのまんまですね(笑)。とにかく何でもやってみるのが、私の良いところです(^-^)v
同じベクトルの集合体が、企業を企業たらしめているものだとすると、後継者、社員や取引先、家族など、同じベクトルを目指す利害関係者の人たちにとっても、事業承継は見過ごせない大きな問題のはずです。
でも実際には、問題を先送りにしていたり、問題にすら気付いていない会社も多くあります。また、一時の感情に流され、利益だけを追求した結果、承継後に大きな後悔となって、生涯オーナー社長を苦しめることにもなりかねません。実際の話、後悔はホントに辛いですよ (。º̩̩́⌓º̩̩̀).
◎経営理念「共創(共に創ろう!)」
納得のいく決断をするためには、自己の利益のためだけではなく、「事業にとっての是か非か」で、判断した方がうまくいきます。また、「共に未来を創造」してきた仲間への配慮も忘れてはいけません。
だから、経営理念を「共創」としました。競争(きょうそう)ではなく、共に創る。「勝ち」にこだわるのではなく、「価値」にこだわっていくという姿勢を示したのです。
実際に、経営理念を明文化してみると、スッキリと自分の考えがまとまり、気持ち良く仕事ができるようになりました。何より、ここまで信念を熱く語る人もいないので、結果としてブランディングにもつながったと思います。
◆なぜ”勇退”を目指さなければいけないのか?
誰かに事業を引き継いでもらうためには、何らかの理由が必要になります。あなたが、理想の後継者像のイメージができれば、事業承継は半分終わったも同然です。
「なぜ、あなたなのか?」
事業承継のコツは、「”相手(後継者)にとって”この事業がいかに魅力的か」を伝えることです。そのためにはまず、自社の魅力を知る必要があります。
伝えるべきは、この3つ。
そして伝え方は、
「大切な事業を託すには、あなたしかいない」
これに、限ります!!
だから、「勇退イメージ」を明確にするのです。
すべては、相手(後継者)に理解してもらうため…。
自分のエゴのためではなく、事業にとって最適な結果にするための判断基準が、「勇退イメージ」なのです。イメージが明確になれば、あとはアクションを決めて、ひたすら実行に移していくだけです。
ここがブレるから、話がややこしくなるのです。株式売却益や、相続税、連帯保証人のことなどは、引き継ぐ相手(後継者)も関わる問題なので、社長一人が心配しても仕方のない話です。
事業承継は、その性質上、どうしても手法に目が奪われがちです。しかし実際には、ほとんどがコミュニケーションの問題です。今まで、事業に没頭してきた社長ほど、家族や従業員など利害関係者との接し方がわからなくなっているものです。
営業のことを流暢にお話しになる社長でも、いざ奥様やお子さまと話す場合は、急によそよそしくなったり、妙に強気な態度に出てみたり、自分を素直に表現できないという方がほとんどです。一国一城の主人がこれでは、ちょっと寂しすぎますよね。
だから私は、
という思いやりのあるオーナー社長を、全力で応援すると決めたのです。
「勇退イメージ」が明確になれば、次は解決手段を探っていくことになります。解決手段は、M&Aだけとは限りません。親族内承継、従業員承継(MBO・EBO)など、事業継続にとって最適な方法を一緒になって考えていきます。
私はこれまで、事業承継に悩む社長と本音で向き合い、奥さまのおもいにも耳を傾け、お子さまや第三者との架け橋としての役割を全うしてきました。「勇退イメージ」に合うアクションを確認し、初めはインポッシブル(不可能)と思われていたミッションを一つひとつクリアしていったのです。
円滑なコミュニケーションのコツは、恋人に送る「ラブレター」と似ています。
黙っていても伝わらないし、しつこくしすぎると嫌われてしまいます。相手(後継者)に対するおもい、相手(後継者)の気持ち、適切なタイミング…など、最適な方法を一緒になって考えていきます。
会社の規模が大きくなるほど、配慮しなければならないことは増えますし、業績の悪い会社ほど、伝え方が難しくなるものです。
頭を悩ませることも多いですが、最終的に「イソちゃんのおかげで、うまく伝えられた。ありがとう!」と言われると、疲れも全部吹っ飛びます。「この仕事に戻ってきて良かったな」と思える最高の瞬間です。
◎社長勇退ドットコムがお客さまをサポートする条件
社長勇退ドットコムでは、業種や売上規模、資産規模でお断りすることは、一切ありません。
なぜなら、筆者が嫌だからです。一定のラインで条件を区切ってしまうと、自分が気持ちよく仕事ができなくなってしまいます。そうなったら、精神を病んでしまうことは実証済みです(笑)。何より、筆者が病んでしまったら、筆者のサービスを心待ちにしているお客さまに申し訳ありません。
社長勇退ドットコムがサポートする条件は、いたってシンプルです。「勇退を志す人」もしくは「勇退の意思を尊重できる人」のみです。高く売却することだけが目的の人は、固くお断りさせていただいております。
お客さまの定義を明確にした結果、大小さまざまな案件をサポートさせていただくことになりました。
結果として、
上場会社やファンドに引き継いだ方もいますし、「カンブリア宮殿」に出演された社長さまもいます。上場会社の子会社を譲り受けた非上場会社もありますし、成約率が高いM&Aプレイヤーとして、取材されたこともあります。再生案件から後継者不在企業まで、金額で言うと200円から数十億円まで。おかげさまで、幅広い案件のサポートをさせていただきました。
◎「勇退」という考え方をより多くの人に…
お客さまの中には、「もっと早くイソちゃんに相談したかった」と言ってくれる方がいます。とてもうれしい話ですが、力不足を感じる瞬間です。そんな声にお応えして、始めたのがブログです。
元々、備忘録としてスタートしたものです。でも、どうせ書くからには、少しでもお役に立つことをわかりやすく書いていこうという気持ちになり、いろいろと試行錯誤を繰り返した結果、今のカタチになりました。「有名企業の事業承継やM&Aに関する事例を紹介する」というスタイルに落ち着いたのは、最近のことです。
皆さまに「愛されるコンテンツ」に育てていきたいと思っていますので、ぜひとも応援よろしくお願いいたします 。
ちなみに、YouTubeチャンネルでは、これらのブログ記事をアニメーションに加工してお伝えしています。アニメ化するのは大変な作業ですが、メンバーとともに視聴者の笑顔を創造しながら作成しております。こちらも、ぜひご覧くださいね。
コロナ禍には、「M&Aのイメージを払拭したい!」ということで、漫画の制作に着手しました。その名も「ロマンとソロバン」。M&Aにおいて大切な感情(ロマン)と勘定(ソロバン)を表現しています。
原作脚本は私イソムラタカシで、作画は丁松剛雄さんに依頼してます。筆者の実体験をすべて漫画にぶち込んで作りました。ストーリーでお伝えしているので、オーナー社長の揺れるおもいを、より強く感じ取っていただけると思います。
有り難いことに、この「ロマンとソロバン」は、集英社の「グランドジャンプ漫画賞」にて佳作をいただいたんですよ。パンフレットとして作ったのに、まさかの受賞…。こんなことって、あるんですね!
◎世界の中心で「勇退」を叫ぶ!
これらのコンテンツは、私の血と汗と涙の結晶です。引退にお悩になっているオーナー社長のために、徹底的に考え、ハートにグイッと刺さる良質なコンテンツを作りつづけたいと思っています。そして、「少しでも感情を揺さぶる変化”を起こしたい!」というモチベーションで動いています。
もう二度と、父のような「悲しい後ろ姿」は、見たくはありません。
大きな決断をするとき、信頼できるアドバイザーが近くにいるってだけで、大きな安心感につながることもあると思います。まずは、あなたの気持ちに寄り添ったアドバイザーもいるってことを、ご認識いただければ幸いです。
そしてよろしければ、
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「ブログでは言えない話」や「日々感じたこと」などを、週に一回(毎週月曜日祝日除く)お届けさせていただいています。ブログのようにしっかりと作り込んだ記事ではなく、コラム的な内容ですので、お気楽にお楽しみいただけると思います。
まずは、「勇退」を現実化するために、小さな一歩から踏み出してみませんか。
今まで事業に真剣に取り組んできた経営者が、胸を張って後継者に引き継ぐことを応援できたらいいなって思っております。
とともに、
素晴らしい企業の維持・発展に貢献できたらサイコーです。ニッポンが元気を取り戻すことにも、繋がりますしね。私が「#未来に対してできること」は、きっとこんなカタチなんだろうな( •̀ω •́ゞ)✧ビシッ!!
価値ある事業を未来に残すために、
ぜひ一緒に「勇退」について考えていきましょう!
〈勇退川柳〉
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「勇退の イメージ創る 月曜日 ٩(。•̀ᴗ-)人(-ᴗ´•。)۶✧」
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